黒猫に恋して

柴田尚弥

黒猫に恋して

 

 一度見ただけの黒猫に心を奪われたと言ったら笑われてしまうだろうか?


 この強い雨の日を僕はずっと忘れずにいることだろう。


 街から街へと渡り歩くようにして暮らし、定住地というものを持ったことのない僕にも仕事は当然必要となる。動くと腹が減るからだ。とはいえこのような生活で定職を持つことはできないので、自然とアウトローな方法で日ごとの糧を得ることになる。誰かの残飯をあさったり、弱者からものを奪ったり、隙のあるひとから盗んだりするのだ。


 ひとには決して褒められることのない生き方だろうと自分でも思うものだが、性分というやつは変えられない。おそらく本能のようなものなのだろう。たとえば飢えた子どもの食べ物は取り上げない、といったようなアウトローなりの美学やルールはあるけれど、それを守るのはどちらかというと自己満足の意味合いが強い。


 現代日本の治安においてこのような生活は推奨されないにもかかわらず、このような生き方しかできない者は少なくない。ひとの世の作った合理性と秩序の前に僕らは排除される運命にあるが、嘆いたところで現状が変わるわけでもないので、僕らは僕らの幸せのために逞しく生きるだけである。実のところ、ひとに褒められる必要などどこにもないのだ。


 しかしながら、生きづらい生き方だろうなとは常々思う。普通のひとたちが大きく取ったパイの残りを僕たちで奪い合うようにして生きなければならないのだ。全員が満足できるだけの量が残されはしないので、僕たちは自然とそれぞれに縄張りのようなものを形成し、その自分の領土が理不尽に奪われる危険と隣り合わせに仕事を行うことになる。その理不尽さに抗う者もいるし、僕のように頃合いをみて住まいを移す者もいる。


 どちらが正解かはわからない。わかっているのは、僕のように決まったホームグラウンドを持たない者は縄張り争いにおいて不利であり、その争いに敗れた際にこっぴどくやられやすいということである。よそ者は後腐れなく殴ることができるからだ。


 その雨の日、僕はこっぴどくやられていた。多勢に体中を痛めつけられ、打ち捨てられた雨ざらしに体力を奪われ続けているというのに身を動かすこともできなかった。このまま体力が尽きるか、車か何かに轢かれて死んだとしても何の不思議もないだろうと思われた。


 そんな中、1匹の黒猫に出会ったのだ。その黒猫は横たわる僕と目線を合わせるようにしてしゃがみこみ、至近距離からじっと僕の様子を見つめていた。


 何と美しい猫なんだろうと僕は思った。つややかな毛並みは雨粒を弾き、小さな頭の大きな両目が宝石のように光っているように僕には見えた。艶めかしい体のライン。少し長めの尻尾が挑発的に揺れている。


「おい大丈夫か? 生きてるか?」


 その美しい黒猫の背後から、男の声がかけられた。それを合図に黒猫は素早くその場を立ち去った。一切の痕跡を残さず瞬く間に視界から消える。まるで最初から何もいなかったかのようである。


「死んではないのか」


 男は観察者の声色でそう言った。「助けてやろうか?」


「必要ない」

「必要はありそうだけどな。お前、このままじゃ死ぬんじゃないか?」


 確かに僕は死んでもおかしくなかった。しかしそれ以上に今見た黒猫の姿形が脳裏に焼き付いていて、鳴き声ひとつ聞かずに立ち去られたことに対して僕は男に怒りを覚えていた。


「おれも医療者の端くれだからな。しょうがないから連れて行ってやるとしよう」

「頼んでない」

「まあまあ、そう言わず」


 男はそう言い、雨の降る中僕の体を抱え上げた。僕は体中の痛みを言い訳にして、強く拒否することなしに、されるがままに治療を受けた。体中にシャワーを浴びせられ、彼の見立てで抗菌剤を投与された後温かいミルクを飲まされた。


「おれは医者でも歯医者でも獣医でもないからな、薬剤の選択や用量は適当だ。効くかどうかはわからんが、あの野外で外傷もあることだし、ま、たぶん飲まないよりはいいだろう」


 これが動物の言葉がわかる珍妙な薬剤師、長岡司ながおか つかさとの出会いだった。


○○○


「ちょっと長岡さんまた拾いもの? この薬局を難民キャンプにでもするつもりなんじゃない?」


 翌朝、薬局内の待ち合いスペースに整えてもらった寝床で僕が寝ぼけまなこを擦っていると、入ってくるなり僕を見つけた女性が高い声でそう言った。彼女の名前が藤間愛とうま あいであることを僕は後日知ることになる。


「まあな」と司は笑って答える。「でも、お前もそんな感じだったじゃん」

「あたしは就職活動で悩んでただけです」

「臨床か研究か、はたまた臨床といったところでどれだけ薬剤師が患者の役に立てるのか、なんて青春の悩みを抱えて捨てられた子犬のような目をしていたじゃないか」

「今思うと長岡さんは、その捨てられた子犬のようなあたしを善意で拾ってくれたわけじゃなくて、悩んで弱った就活学生を言いくるめて貴重な新卒薬剤師を薬局に確保したんですよね」

「その考えがあったことは否定しない。でも迷える子羊を正しく導いたつもりでもあるぜ」

「この子も何かに使える迷える子羊ってわけですか?」

「こいつはどちらかというと野良猫のようなものだろう。労働力にしようとは考えていない」

「どうだか。あんたも気をつけた方がいいわよ、そのうち働け、何ならネズミでも取って来いよって言われちゃうよ」

「ネズミが出てくるような衛生管理の薬局は潰れるべきだな」

「確かに。じゃあ招き猫にでもなれって言われるのかも」

「まあ傷だらけで行き倒れてた割にはカワイイ顔をしているからな、店に置いてりゃ客寄せになってくれるかもしれない」

「確かに、女の子みたいな顔してるもんね、でもあたしの勘では男の子とみた」

「馬鹿馬鹿しい」と、ついに僕は彼らの会話に口を挟んだ。


 居候から毒づかれるとは想定していなかったのかもしれない。彼らは顔を揃えて僕を見た。寝床から立ち上がって彼らを睨み、大きくひとつ息を吐く。この薬局に世話になったのは事実だが、僕には僕の都合がある。彼らに生活をコントロールされるつもりはなかった。


「もう行くよ。手当をしてくれてありがとう」


 そう言い立ち去ろうとする僕を司は呼び止めた。


「まあ待てよ。止めるつもりはないが、どこか行くあてでもあるのか?」

「あてというか、目的はある」

「それは何だ?」

「仕返しだ。あんなやられ方をしたままではいられない」

「復讐は何も生まないぜ?」

「何かを生み出すためではなく、取り戻すためにするんだ。誇りのようなものと言えばあんたのようなひとにもわかるんじゃないか? 僕たちの世界では、やられっぱなしで舐められたままでいるなら死んだ方がマシなんだ。もしくは飼い猫のようにどこかで平和に暮らせばいい。野良猫には野良猫なりの矜持があるのさ」

「なるほどね」と司は面白そうに言った。「そういう世界もあるかもしれない。理解はできないが想像はできる。でも、それならなおさらもう少しここにいた方がいい」


 怪訝な表情を浮かべる僕に、司はニッと笑ってみせた。「今日は午前中で薬局を閉める日なんだ。それが終わったら道案内くらいはしてやるよ。俺に連れて来られたから昨日の場所もわからないだろ? それともその野良猫の鼻はそれほど利くのか?」


 僕は意識して鼻をフンと鳴らし、踵を返して待合室のソファへだらりと座った。


○○○


「それじゃあ俺は行ってくるよ」


 僕の肩に手をかけ爽やかな笑顔でそう言う司へ女性薬剤師は呪いの言葉を吐きかけた。「そういうことか……」


「何だって?」

「午後からその子の手伝いをするから薬局を出るなんて言っちゃって! 後始末が必要な仕事は全部あたしに押し付けたじゃないですか!」

「そう見えたか? 俺としては、ひと助けのひとつでもしようと思ってだな」

「嘘つき! その胡散臭い笑顔をやめなさい!」

「ひどい言いがかりだな。俺は別に残ってもいいから、それじゃあひとりで行けとこいつに言ってやってくれたまえよ」


 司はそう言うと僕の背中に手を回し、愛の方へ僕をぐいっと押し出した。その力に1歩前に押し出された僕は正面から彼女と向き合うことになる。すぐにその目は逸らされた。


「もうわかったわよ、行ってくればいいでしょ。書類仕事も薬局の締め作業も全部あたしがやっときますよ」

「悪いねえ」

「だからその顔やめなさいって!」


 ぷりぷりと文句を独り言のように言いながら僕には想像もつかない仕事を続ける愛を尻目に、この薬局の責任者であろう男は悠々と自分の仕事道具を片付け、着替えを済ませた。


 少し申し訳ないような気持ちになる自分を自覚する。こんな気分になるからこそ、やっぱりひとりで生きて行くのが楽ちんでいいやと僕はぼんやり考えた。滑らかに段差を飛び下り薬局の自動ドアを潜り抜けると外の世界が待っている。


「こっちだ」と司はある方向を指さした。


 僕は示された方向に顔を向けた。風が小さく吹くのがわかる。太陽の光が木の葉の形を道路上に映し出す。街の匂いや音が僕の五感を刺激する。体に痛みは残っていない。どうやらコンディションは良好である。


 この街のどこかにあの黒猫がいるのだろうか。痛めつけられた昨夜のことを思い返すと、美しい黒猫と共に報復すべき敵対者たちの姿が脳裏によみがえる。僕は牙を剥くような気持ちで奥歯を強く噛みしめると、それらに向けた1歩目をするりと踏み出した。


○○○


 アウトローたちにはそれ特有の習性がある。不思議なことに、地域を変えたところで大抵同じような場所を根城に同じような縄張りを張って暮らしているのだ。僕には群れて暮らした経験はないけれど、彼らのことはそれなりにわかる。先ほどの司の言葉を借りれば「理解はできないが想像はできる」というやつだ。


 だから司が僕と並んで歩きだしたのに僕は小さく驚いた。てっきり面倒な仕事を部下に押し付ける言い訳として僕を利用しただけだと思っていたからだ。


「なんだ? 方角だけ教えてバックレるとでも思ってたか?」

「正直そう思ってた。それに、僕にはそれで十分だ」

「俺には十分じゃないからな。お前にはお前の目的があるように、俺には俺の目的があるんだ」

「ふうん」と僕は曖昧に頷き、足を進めることにした。司は僕と並んで歩いた。


 しばらく歩くと、「訊かないのかよ、俺の目的を!」と司はひとりで憤りだしたので僕は再び小さく驚いた。


「なに、聞いて欲しいの? だったら勝手に話せばいいじゃないか」

「お前は女心をまったくわかってないな」

「司は女じゃないだろう?」

「そういう問題じゃないんだよ。――まあいい、何を隠そう俺は動物の言葉がわかるんだ。人間バウリンガル、これは俺の大いなる秘密だ」


 ありったけのドヤ顔で大いなる秘密とやらを打ち明けた司であったが、「ふうん、そうなんだ」以上のいかなる感想も僕には浮かばなかった。なぜならそれは当然のことのように僕には思えたからだ。


 大いなる秘密にはしていないが、ヒトとネコという複数の種類の生き物の言葉が僕にはわかる。サルやトラといったそれぞれに対してより近しいであろう生き物がこの世に存在しており、不思議なことにそれらの言葉はわからないのだが、とにかくヒトとネコの発言内容が僕にはわかる。


「なんだよそれ、意味わかんねーよ」といった内容のことを言われ説明を要求されたこともあるけれど、どういう理屈で自分がこうなっているのかはわからない。しかし、どれだけ説明ができないとしても、この事実は覆しようのないものなのだ。


 自分にできる方向性のことをより上手くこなせる者がいても驚く必要も興味をもつ必要もないだろう。だから僕には淡白な感想しか生まれなかった。


「そうなんだ。だから何?」


 せめて会話を続かせようという気遣いの結果がこの付け足された質問だ。司の気には召さなかったらしく、「だから何、って、なんだよ!」と彼はふてくされたようにして言った。「この秘密を知ってるのは俺とお前と、藤間くらいのもんなんだぞ」


「動物という意味では僕も猫の言葉がわかるんだ。人間の言葉もわかる。だから司がもっと上手にできたとしても、そんなに驚きじゃないっていうかさ」

「俺はとても驚いた。お前にもその能力があることにだよ。俺たち以外にこんな能力があるやつを見たことあるか?」

「さあね。気にしたこともないからわからない。あ、でも、確かに知ってる範囲ではいないかも」

「はああ~、なんとも淡白なことだねえ!」


 がっくりと肩を落とした司は足取りが重くなり、なんとなく並んで歩いていた僕の歩行速度も落ちることとなってしまった。これは僕の望むところではない。僕は早く黒猫に会いたいのだ。


 だから僕は仕方なく、彼の目的を訊いてあげることにした。


「司の目的ってのは何なんだい?」

「ああ、俺の目的ね。なんだかお前の淡白さにあてられちまったけど、俺やお前のこの能力を何とか解き明かせないかということだ。これまでは自分だけの能力だろうから研究のしようがないと思っていたし、する意味もあまりないんじゃないかと思ってた。でもお前という協力者を得られたなら、俺とお前の共通点や差異点を考え機序や法則を考察することができるかもしれない」


 目をキラキラと輝かせてこれからの研究テーマを語る薬剤師を僕はぼんやりと仰ぎ見た。自分が特別な能力を持っていると考えたことが僕にはなかったし、それについて深く考えようという気にもならない。やりたいなら勝手にやればいいと思う程度だ。それよりモチベーションを得た彼の歩行が速度を取り戻したことの方が僕にとっては大切だった。


「だからこうしてお前を手伝っている。恩を売って、今後の協力を得ようとしているというわけだ」

「なるほどね。でも僕はいつまでここにいるかわからない。気分次第で生きているんだ」

「それを改めろというつもりはないさ。たとえば週や月に1・2回、俺の薬局に遊びに来て、色々と俺の質問に答えてもらったりするのはどうだ? それも嫌か?」

「別に。予定で縛らないならそこまで嫌とは思わない」

「じゃあ決まりだ、頼んだぜ。きっと藤間もお前を気に入ってるから意外と居心地がよくなるかもしれない。なんなら住みついちゃってもいいんだぜ」

「それはご免こうむるよ。僕は誰かに飼われる気はない」


 司が肩をすくめて口笛を吹くのと僕がやつらの気配に気づいたのはほとんど同時の出来事だった。野良猫のようにひとりで生きてきた本能が僕に臨戦態勢を整えさせる。


「のいてろ、司」


 わずかに残った理性で司にそう言うと、急速に進む集中力の高まりに僕はその身を委ねていった。


○○○


 心臓が強く鼓動し全身に血液が行き渡る。標的を捉えた両目は視界を狭め、それと引き換えに様々な視覚情報を探知する。標的との距離。その間の地形。僕の身体能力を考えどのようなイメージで襲い掛かるのがもっとも適したオペレーションか。


 地面をいつでも蹴られるようにつま先が大地を掴むのがわかる。その状態を保ったまま、低く地面を滑るような動きで少しずつ標的との距離を僕は縮める。適切な体重移動。すべてのエネルギーをひとつの動きに集約させることができるだろう。


 大きくひとつ息を吐く。感じられる大気の流れが集中力で狭まった視界を補填し、違和感を僕に届ける。その違和感を視覚情報がある結論へと結びつける。


 やつらは僕に気づいている。


 不審な侵入者に対して警告を送ってくるだろうか? もしそうだとしたら、既に送ってきている筈だ。そしてそんなことは昨夜も彼らはしなかった。僕は不意打ちを食らい、多勢に無勢でなすすべなく打ち負かされたのだ。


 苦い敗北の記憶が僕の奥歯を噛みしめさせる。意識してそのままの運動を続けた僕に、死角から奴らのひとりが襲い掛かってきた!


 反発しあう磁石のように、僕は飛び退き接触することなくそいつと一定の距離を作った。意外そうな顔。囮を視界に入れてからの不意打ちが成功すると確信していたのだろう。僕は重心を低く保ち、足の指は地面をしっかりと掴んでいる。


 全身の力をひとつに集め、あらゆるエネルギーを総動員して僕はそいつへ飛びかかった。対峙してからの行動であるにもかかわらず、まるでそんな動きを想定していなかったかのような鈍い反応だ。話にならない。


 顔面にこぶしを打ち付けた。その衝撃が伝わる間に奴の背後へとすり抜けるようにして移動する。不意打ちの成功を期待したのろまには何をされているかもわからないことだろう。流れるような動きで僕はそいつを組み伏せた。


 まな板の上の鯉よろしく、どのようにでも料理することができる体勢だ。僕を侮っているのだろう。複数で襲うこともせず、今こうして主導権を握られた後もどこか楽観的な態度をしている。


 殺してやろうか? 僕の頭にそんな考えがよぎったことに気づいたのか、彼は急激に抵抗をはじめた。


 この形になってから真剣になっても意味がない。センスのない無能にキツめの一撃を与えると、観念したのか今度は絶望的な態度となった。


「そのくらいにしといたら?」


 格付けの済んだ僕らにそんな声がかけられた。ナメた態度を取るようならすぐさま致命的な攻撃を与えられる状態を維持しながら、僕は声の出し手に目を向ける。


 そこにはあの黒猫がいた。


○○○


「あなた、強いのね」と黒猫は言った。「昨夜はズタボロだったけど」

「昨夜は雨で、不意打ちを察知できなかった。それに彼らが警告なく攻撃してくるとは思わなかったんだ」


 簡単に言えば油断していた。何とも恥ずかしいことである。バツが悪そうにしている僕を見つめ、黒猫は小さく笑った。


「これからどうするの? 彼ら全員と戦って勝ちたい? その後はわたしが相手をすればいいのかしら」

「僕の望みはズタボロにされて失った尊厳を取り戻すことと、できれば君を探して会うことだった」

「そのどちらも果たせた気がする?」

「そうだね、こいつがひどく弱かったから、群れの代表みたいなやつと1対1で戦っても良いかなと思ってた」

「この群れのボスはわたしよ。1対1で戦いたい?」

「それはとても面白そうだ」


 僕は牙を剥いてそう言った。もちろん殺し合うわけではなく、仲良くじゃれ合おうという意味だ。彼女はとても美しい黒猫で、メスが群れの代表をしているというのはとても意外だったがあり得ないことではないだろう。


「あなたもわたしの群れに加わる? ひょっとしたら、ゆくゆくボスにもなれるかも」

「それは遠慮しておくよ。僕は群れるのは嫌なんだ」

「あら、このご時世に一匹狼ってわけ?」

「ただの野良猫だよ、性に合わないだけだ。今後はそうだな、たとえば週や月に1・2回、この縄張りに遊びに来て、君と会うというのはどうだろう?」

「素敵」と彼女は言った。僕はそれに頷いた。

「それよりあのひと、いつまであそこでわたしたちのこと見ているの?」

「さあね。ひとの考えることはよくわからない」


 僕たちは揃って放置されている司を眺め、顔を見合わせて笑い合った。とても愉快なことである。


 こうして僕はこの街に友人やパートナーを持つことになった。どちらも僕の性分からすると極めて珍しいことだ。


 いつまでそんな生活が続くかはわからない。研究欲に支配された薬剤師が僕の頭をかち割って脳を調べようとするかもしれないし、猫の群れの迷惑さに耐えかねた人間が彼らの縄張りを脅かすかもしれない。人間のもたらす理不尽に対して僕らはあまりに無力なのだ。


 しかし、無力だからといって彼らに迎合して生きていく必要はどこにもない。僕はこの先もいつかは街から街へと渡り歩いていくことだろう。


「ある日、あの子が突然いなくなった!」


 そんなことを言われる日まで、僕は僕なりに楽しくこの街で暮らすだけである。


 自分の隣に座った美しい黒猫を眺め、僕はその首元にキスをした。



  おしまい

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