第四話『ヒーローのいない世界』・「オレの彼女を紹介します」
四人でテーブル席に座ったら対面で開口一番に質問された。
「薬は飲んでるの?」
喫茶店内と同じぐらい明るい調子で。言葉は軽いのに重いから胸に刺さる。
「なん、で」
どもってしまった。教えてないし知らないはずだから。
けど同い年のこの男なら軽く言ってくるのは知ってる。
「うん? ああー知らなかったか。田中がうつ病になったって噂はあったよ。だから辞めたらしいね」
イケメンと呼ばれてた
態度は数年前と変わってない。
一ノ瀬は人当たりがよさそうな笑顔を見せて口を開いてきた。
「それに当時見てたからなんとなくさ」
「今は飲んでない」
抵抗する気持ちで素早く答えたが反射的に目もそらしてしまう。
なにがなんとなくだ。
正面の相手ばかり気にしたが、向かいの席で一ノ瀬の右隣にはフライヤが座ってる。
俺の右には兎羽歌ちゃん。
うつだったのが二人に知られた。
うつと無縁そうなフライヤは青い片目をぱちくりさせてる。目が合った。褐色の健康的な笑顔が返ってくる。
右からは気まずい空気を感じた。彼女には顔を向けられない。
「ご注文はなんになさいますか」
助け船みたいに店員が来たから各々が注文した。
一ノ瀬はブラックコーヒー。
俺はコーラ。
兎羽歌ちゃんはミックスジュース。
フライヤはパフェを。
「ワオォおいしそうー。ライブあとはやっぱコレだよォ」パフェをつつきだした。
一ノ瀬は上品にコーヒーをすすってから一息おいてまた聞いてきた。
「んー大丈夫か」
自分で仕向けておいてよく言う。
「大丈夫だよ」
「それならよかったじゃん」
昔はうっとうしげだった黒のロン毛男も今は金の短髪男になった。耳のピアスもいじってるしケロっとしてるな。
なにもよくないし俺の人生はズタボロでコイツは知りもしない。
違うな、知ってほしいとは思わない。
喫茶店に来たのも間違いだった。
今はヴィーナス芸能社に入社してフライヤの担当だという一ノ瀬。
それが「昔の同僚と再会した」と喜ばれて同窓会みたいな流れで誘われた。
断りたかったのにフライヤや兎羽歌ちゃんがいる手前でOKしてしまった。
突然兎羽歌ちゃんの声があがった。
「あの。一ノ瀬さんはフライヤさんのマネージャーさんなんですよね。私は前に直也さんとマネージャーさんに会いました。その時は女性でした。あの人はどうしたんですか」
どこかトゲのある聞き方だ。
マネージャーはセックかもって話はまだ彼女にしてなかったな。
思い出して右隣の彼女を見てしまった。
兎羽歌ちゃんの顔つきには警戒の色がある。ナンパ師に不信感を抱く女性みたいに。
彼女の言葉に一ノ瀬は眉をひそめてたが、口はすぐゆるめた。
「実は先代のマネージャーとは少し縁があってね。やめるから代わりに入らないかって頼まれたんだ。前の会社はこういう髪やピアスとかは目立つからさ。芸能事務所に興味もあったしめでたく再就職」
どこか変な気がした。
一人で手を叩く一ノ瀬、隣でパフェをつつくフライヤ。
芸能界の裏側のこんな光景を見たからだろうか。
「田中は今なにやってるの」
「スーパーでバイトしてる」
「へぇー」
バカにしたような笑みを浮かべてる。
目を閉じた一ノ瀬はすぐに目を開けて俺と兎羽歌ちゃんを交互に見た。
「というか田中のその子って彼女? 彼女はフライヤと知り合いみたいだね。その繋がりで田中も。うちのフライヤと」
「そうだけどいや、」――彼女じゃ、
「そうです、彼女してます」
えっ。
右腕に圧があると思ったら掴まれてた。兎羽歌ちゃんが両手を絡めてる。
「直也さんとは今日はデートの予定でした。フライヤさんからライブも誘われてたので行ったんです」
ガタンとテーブルを叩く音がした。
「トワちゃんとナオヤさんツキ合ってたの!?」
黒髪のフライヤの口からバニラが霧吹きみたいに散ったのが見えた。
アイドルだと唇の周りにも虹がかかりそうだ。
「うん。言ってなくてごめん」
兎羽歌ちゃんが彼女を見据えて真顔で答えていた。
いつからなんだ妹ぐらい年下の子と恋人関係になってたのは。なにか見過ごして誤解された?
どこかで暗黙の了解があったのか。あとで彼女と話すか。いや師匠に相談する手もある。それはどうだろう。
フライヤを見ると子供みたいに不機嫌になったのがわかりやすい。
「ソッかイイよ。これからはナオヤって呼ぶし、二人にはフラちゃんって呼んでもらおう」
「うんフラちゃん。教えてなくてごめんね」
「いやいや話が変に」
なんで呼び方の話になるのか。それに前も誰かとこんなやり取りをした気がする。
でも女子の間で変な話の展開になったから自分の心から緊張が少し消えたのを感じた。
けどこうなると、
改めて一ノ瀬の様子をうかがう。
思った通り気に食わないんだろうな。頬杖しながら片手の指でテーブルをトントン叩いてる。
納得したのか話に参加してきた。
「なるほどね、まあ田中にはお似合いの子じゃん。もしかして彼女も同じスーパーの人か」
「はい、直也さんとは職場で知り合いました。私が先輩なので色々教えてます」
「やっぱりーなんかいかにもそんな感じだよね。いるいる」
軽薄だが言葉に毒がある一ノ瀬らしい言動。昔のままだな。
嫌な記憶も症状的にリフレインしてくる。
「しっかし田中はさぁえらく若い子を捕まえたな。前の職場では彼女もいなかったよね。まあ同い年のオレもなんだけどさ」
“オレもなんだけどさ”が『若い子を捕まえた』にかかってるのか『前の職場では彼女もいなかった』にかかってるのか気になった。
一ノ瀬はプレイボーイだったはずだ。職場の子にもしょっちゅう手を出すみたいな噂の記憶が浮上してくる。
「オレもそうで最近若い彼女ができたんだよー。これがめっちゃ可愛くて、」
口の端がかすかに吊り上がったのを捉えた。
瞬間に一ノ瀬の体が横に動いていた。
「だから、オレの彼女を紹介します」
動く唇がスローモーションに感じられて不思議だったけど理由はすぐわかった。
「
右にいるフライヤに密着すると片手で肩を抱いてグッと引き寄せてる。
「アイドルをやってるだけに可愛いしスタイルもいいし最高でしょ。オレは外国人もストライクなんだなって気づいたんだよ」
肩を抱いてた片手が彼女の右側の脇から静かに出てきて、
右側の大きな胸を
見たショックで硬直して言葉も出ないのに、なぜかセックの言葉だけは浮かぶ。
『心の不浄を捨てよ。リラックス落ち着きな。あとは呼吸で集中力も高く保たれるよ』
沈着と集中が同居した“
教えられた状態が今必要だと感じるのに頭の具合がぐちゃぐちゃで自信がない。
胸から手を放して座り直したイケメンが一方的に告げてくる。
「まあオフレコで。彼女アイドルだからスキャンダルになるしオレはマネージャーだから一応ね」
頭がぐちゃぐちゃになった理由を俺はあとから理解した。
抱かれた彼女の体が
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