第二話『新月に乗れ』・「見よう見まねで!」

 修行できる場所と言われても。

 広くて人目につかないのは川か山が思い浮かんだ。他は学校の校庭や体育館。夜の港や工場に公園や空き地。

 案じる俺をよそにセックは無責任な言い分だった。


『あたしはどこでもいい。キミらが困るだけだ。まあ全部試してみればいいじゃないか。どこでも戦えなくては話にならない』


 加えてこう。


『なによりキミらが困るのは見てて面白いよ』


 あんた本当に師匠なのか。

 とは突っ込まずに胸へしまった俺は夜の神内川にいる。

 河川敷付近には灯り以外に人の姿はなかった。当のセックと俺に兎羽歌ちゃんの三人だけ。

 スラッとしたセックの格好は半袖シャツと綿パンだが紫のフェイスベールは相変わらず。

 比べて小柄な兎羽歌ちゃんは動きやすそうなジャージ。飾り気はないが運動部の女子っぽい雰囲気だ。

 で――


「なんで俺だけスーツを」


 腕を組んだセックが悠々とアゴで説明してきた。


「その変な格好は。衣装は黒い狼を模してるんだろ」

「そうです」

「キミはどこまでいってもただの人間。だからこれからはなってもらう」

「はぁ」

「口答えか」

「いえっわかりました」


 ごっこ遊びをしろって指南だろうか。まあヒーロー活動を志す者がバカにはできない。

 それに兎羽歌ちゃんのスーツはまだ直してるから仕方ないな。

 セックは彼女に顎を向けていた。


「トワカ嬢もちょっとこっち」

「はいっ」


 呼ばれた彼女が俺の左隣に並ぶ。


「先日このビッグ・セックが説いた教え。トワカ嬢は人である。覚えてるね」

「覚えてます」

「いい子だよ。ならトワカ嬢にはして強くなってもらう」

「それって」


 なにか気づいたらしい兎羽歌ちゃんがこっちを見つめてきた。

 目が合ってから俺も気づく。

 セックも満足げに声をあげてくる。


「そうキミらにはお互いをてもらう」


 まるで答えを示すみたいに、


「お互いを見習うんだよ」


 言った彼女が目線と顎で俺たちを交互に指して、


「それがきっとコンビってもんだぜ。あたしにはわからないが」


 最後は寂しげに聞こえたが気にはしなかった。


「ナオヤ君とトワカ嬢、理解できたか」

「とりあえずは」

「わかりました」

「さてと次は手を繋いで」

「はい?」

「え?」

「聞き返すんじゃない。さっさと手を繋ぎなよ。ナオヤ君は仕込んでない左手でな」


 左隣にいる兎羽歌ちゃんの顔をうかがいながら左手を動かした。

 彼女は戸惑いを隠せないみたいだけど観念したらしい。俺の左手と彼女の右手がぎこちなく触れ合う。

 けどこっちがまどろこしくなって彼女の手をぎゅっと掴んだ。

 びくんとされたのが伝わってくる。

 スーツの生地ごしだけど兎羽歌ちゃんの手は思ってたより小さく柔らかい。女子の手って感じ。それに暖かった。

 フライヤに触られた感覚的も思い出すがあの時とはまた違う。

 どこか安心できる。もう馴れた匂いのせいかな。

 しばらくは繋いで待っていた。

 セックはなにも言わず腕を組んだまま見てる。

 もう我慢できなくなってきた。


「し師匠、これになんの意味が」

「なにも」


 彼女がにやけるように目を細めたのを見逃さなかった。


「なんだよっ」

「意味はないが楽しい。ハッ、冗談だよ。意味はあるよミラーニューロンにはね。手でお互いを感じな」

「感じなって」


 兎羽歌ちゃんの顔を見る。

 伏し目がち。


「ナオヤ君は彼女の、トワカ嬢は彼の


 何度も言われると効果がある気がしてきた。

 そうしてかの偉大なビッグ・セック様からお言葉を頂いた。


「ドキドキしたかい。若いねぇ。なら本題に入ろうか」


 本題じゃなかったのか。




 今日は新月だったから俺たちを照らすのは河川敷の周りにあるライトだけだ。

 もし誰かに見られても運動をしてる三人と思うだろう。

 不審なのは美女のフェイスベールと全身タイツにフルフェイスの男ぐらい。

 兎羽歌ちゃんが入念な準備運動をしてる間にこっそり聞いてみたかった。


「あのー師匠。質問いいですか」

「いいよナオヤ君」

「師匠はどうして教えてくれないんですか。知ってること」

「面白いから」


 聞いてすぐ呆れた。同時に彼女らしい回答だと感じる。


「師匠、いやセックネエさん。いやセッちゃんは、何者なんですか」


 核心に迫りたかったから聞きだせそうな呼び方を探してしまった。


「ずいぶんせっつくね。まだ教えるつもりはないよ」

「そうですか……」

「言えるのは今のあたしは敵ではない。だが味方になったつもりもない。はてな、それはによるか。これからずっと味方かもしれないし最初から敵かもねぇ」


 ダジャレ?


「全然わからないですよ」

「いいの。あたしはそういう性分なんだよ。このビッグ・セックは早々掴めない」


 彼女がを自分の胸に置いて自慢げに、


「その代わり、たまにはいい思いもさせてやる」


 なにをするかと思えば胸を掴んでグッと持ち上げていた。


「ちょ、ちょっと!」


 すぐに兎羽歌ちゃんのほうを見た。彼女はまだ準備運動に熱心だ。

 急いで話題を変える。


「わからないといえば気になってるものが」

「水臭い。さっさと言いなよ」


 水臭いってもうそんな仲か。


「師匠のです。トワカちゃんヘラクレスのパンチをもろに受けて激しく歪んだのを見た。きっと複雑骨折――」

「私も気になってました」


 急に兎羽歌ちゃんが入ってきたから驚いた。


「びっくりした。そう腕が治ってる。そうなんだセックが俺の家に初めて来た時にはもう」

「あたしの答えは簡単。からだ。小指とは違うやり方でね。あとコラ夢中になって呼び捨てにするんじゃない」

「すみません。けど元に戻したって」


 すぐは戻らない。新型うつ病もそんな簡単には治らないし今も頭の中のどこかに潜んでる。

 普通は怪我や病気はすぐには治らないんだ。

 しかしセックは普通の人間じゃない。身近になって親しみも感じたから忘れかけてた。

 彼女は超人。いいや化け物だ。

 セックだけじゃない。化け物はもう一人――


「あたしは不滅の存在なんだ」


 言葉がスッと入ってきて意味は理解できたのにどっかへ飛んでいった。

 気が抜けたあの時に似てる。去年の生活保護を受けた時の気分に。他人事みたいな感覚。


「ナオヤ君はまだ理解できないって顔をしてるな。トワカ嬢も同じ」


 彼女は指を顎へやりながら話し続けた。


「人の体にも便利な体性幹細胞は元々あるんだ。薬物で活性化すれば神経組織や消化管組織でさえ再生できる。あたしには必要ないが。他にDNAスイッチもある。この切り換えを自由に。おっとー、いやはや難しいね。まあ気が散るだけだからあたしの正体は気にするな」


 一人で笑って話しかけてくる。


「しかしヘラクレスとは。面白い名前をつけた。ギリシャの神と人間のハーフで英雄の半神かデミゴッド。性別も“男”だ。あたしには及ばないが面白いね」


 なにが可笑しいんだ。

 おかげで普段みたいに兎羽歌ちゃんと顔を見合わせて、彼女と同時に首をかしげた。


「トワカ嬢がヘラクレスならキミのほうはなんだ。ヒーローの名は」

「まだ決めてないです」

「そうか。あたしが名づけてやってもいいぜ。偉大な名付け親godsibbでもあるこのビッグ・セックが」


 委ねて大丈夫だろうか。


「ともあれキミが今肝要なのは。そうさ、夜空を見てみなよ。今夜は新月だね」


 言われて上を見た。綺麗な夜空だ。


「ナオヤ君わかるかい。月の姿は見えないけれどちゃんと月はある。キミはあの新月に乗るんだ」


 ほんとよくわからないなこの人。

 けど思い出せた。狼人間ヘラクレスの動きを。

 かなりムチャな話だけど。

 ムチャでも狼になるには――


 やれることは、

 とりあえず一つ、

 見よう見まねで!

 真似てみる。

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