章末話『俺と君とスーツと』・「それでも俺は」

 平静を装って働いた。

 ありえない状況に内心は穏やかじゃなかったが、生活保護と同じでそう気づかれない。

 彼女も変わりなく働き蜂だったが仕草のどれもが不審に見える。

 初めから騙されていてあざ笑ってたのか?

 一週間ぐらい色々考えても疑問が晴れるわけはなかった。

 当たり前だこんな異常な話。

 晴らす手段は一つしかない。

 踏ん切りはつかなかった。だから急ピッチでを進めた。

 をきっかけにすれば――

 俺はきっと、話すきっかけが欲しかったんだ。




 覚悟してみてもバイト中はそわそわして落ちつかない。

 一歩さえ踏みだせればあとは進める。経験したんだ。

 勤務の合間にやっと声をかけた。


「あの、トワカさん」

「はい、なんでしょう」


 なんの変哲もない彼女の目を見て言うんだ。


「終わったらちょっと、話せるかな。人がいない所で」


 他人には聞かれたくない。


「もちろん。いいですよ」


 兎羽歌さんらしい素直そうな笑顔。


「なら仕事が終わってから裏手に」


 だけど覗いた彼女の瞳の中は、

 やっぱり薄暗い空洞に感じた。


 それにもう、敬語ではいられなかった。







 夜になってスーパーの裏手や道路にも電灯がついていた。

 自分のアパートと明かりがついてない窓も見える。

 隣で兎羽歌さんが地面を見ながら口にした。


「こうやって話すの久しぶりな感じしますね」


 ほほ笑みながら靴の先で石を小突いてる。


「トワカさんに聞きたいことがあって」

「はい」


 彼女はどこか愉しそうだ。俺は全然楽しくないのに。

 今度は目を見ては言えない。ブレーキがかかるから。

 自室の窓を見ながら言った。


「キミが、なんだろ」


 彼女の動きが止まった。

 こっちは口を止めない。


「なんなんだ、キミは。だけど俺は見た。殴られて気を失う前、体が縮んだのを」


 横顔の兎羽歌さんが目を見開いた。やっぱりあの時、この子は油断したのか。

 俺が気を失うだろうと。

 けど彼女の想定よりも耐えた。


「直也さんなんでそんな」

「ヘラクレスの事件を話した時のキミは、佐藤さんの事情をすでに知ってたんだね。知ってたから佐藤さんの件は気にしてなかったんだろ?」

「どうして」

「キミといると変な匂いがした。前から」

「匂い……?」


 女の子に変な匂いなんて言うのは失礼だし変態かとも思った。傷つくかもしれないけど、


「前から覚えてた匂い。感じたんだ。ヘラクレスの体が縮んだあとに」

「私には……わからないです。それに」


 続く言葉を待った。


「私は、ヘラクレスなんかじゃない」


 彼女の口ぶりは強くて拒絶されたみたいだった。

 すぐに違うとわかった。


「私は。直也さんが思ってるそんなんじゃない。そんなんじゃないんです。だけど、直也さんには……事実を話したい」

「俺も聞きたい。知りたいんだ」


 兎羽歌さんが周囲をうかがう。


「見せられない」


 彼女は自分の体を抱えて不安そうだった。


「そうか。ならうちに来なよ! 俺の部屋ならゆっくりできるっ」


 急にでたなと俺も思った。変な声だったし恥ずかしかった。

 兎羽歌さんはを見せた。


 ああやっぱり――


 俺が殴られる前のヘラクレスと、なんだよ。


「わかりました。直也さんの部屋なら私……」

「そ、それに、渡したい物もある」


 部屋に誘うそれらしい理由がやっと。


「渡したい物?」

「約束してたから」







 部屋に入って電気をつけた。

 二人とも仕事着のまま座ってみたが気まずい空気が流れていく。

 空気を打ち破るように、


「私、この部屋の直也さんを知ってたんです。見たから」


 告白された。


「不良の人たちのあの時、見たから。だけど気にしなかった。どうせバレないだろうって。姿形、全然違うんだから。すれ違った時も。それで直也さんのことは忘れてました。けど直也さんがバイトで入ってきたから。だから顔も思い出したんです。私、黙ってた。言えるはずない……。なのに直也さんと話すようになって、色々仲良くなって楽しくなって」


 彼女の話し方は溜めてた汚物を吐き出すみたいだった。


「直也さんから話を聞いて凄いと思いました。そんなこと考えてる人いるんだって。だから私、ヒーローもいいかなって思ったんです。私には本当になにもない……なにもないから」

「けどヘラクレス、いや、キミは不良を追い払った」

「佐藤さんの様子がおかしくて仕事に支障がでてたから。それだけなんです。あのままだと小山さんのパワハラもあるし、責められるのを見て昔の私を思い出すのも嫌だったから。直ってほしくて。私にはヒーローだとかは全然頭にない……」


 話の辻褄つじつまは合ってて、さらに彼女の言葉は俺の心を揺さぶるのに充分だった。


「わかった。キミの気持ちは。けどまだ」

「そうですよね、わかってます。私、今日はそのつもりで、来たんだから……」


 彼女が立ち上がる。俺も急いで立ち上がった。


「私は覚悟をしましたから。だから」

「ああ。俺も覚悟を、」


 なにを見るとしても。


「覚悟を決めた。だから安心して」

「はい」


 初めてだ、彼女のこんなに一生懸命な顔。


「だから見てください。私のを」


 


 

 




 不気味な音が彼女の体から聞こえてくる。

 未知の光景は想像を遥かに超えた。

 それでも自分の目で見るまでは信じられなかった。


 音と一緒に体が盛り上がって膨れたからスーパーの制服がビリビリ破けた。

 けど現れたのは肌色じゃない。

 灰色混じりの黒い体毛がどんどん伸びていく。

 腕も伸びて、脚も伸びて、

 体格がどんどん大きくなる。

 顔も大きくなり、耳や鼻も伸びて、

 なにより口と鋭い歯が伸びた。

 音が収まったら、

 目の前にいたのは。


 見ても信じられない。


 けど今までの記憶が繋がって、


 間違いなくそれは――




 黒くて大きな、


 だった。




 宝石みたいに光る二つの眼。


 左側の目がで、右側の目がの――




 俺は目が潰れたのか。

 かけたい言葉もでない。

 恐ろしいのか?


『直也さん、ボクは――』


 地の底から響くような声。

 目を閉じた。もう見ていられなかったから。

 代わりに叫んだ。


「もういいわかったから!」

『もう戻、っていい?』

「ああっいいよ」


 シュウ~っと魔法みたいな不思議な音がして、収まったから目を開けた。

 ほとんど半裸以上になって破れた服で胸とかを隠して困ってる、地味な女の子がいた。

 裸の兎羽歌さんが俺の部屋にいる。

 だから考えるより先に動いた。

 を探して掴んで、彼女に差し出した。


「今はなんて言っていいかわからない!」


 まだプロトタイプだ、


「それでも俺は……。君にこれを着てほしいって、思ってる」


 彼女のために作ったヒーロースーツ。


 彼女は、


 受け取ってくれた。


 兎羽歌さんの頬はまだ赤くて、


「ありがとう、直也さん」


 ささやかな笑顔を見せてくれた。

 俺が見た現象の正体はまだ考えず、彼女が秘密を教えてくれた事実だけを飲み込んだ。


 裸の彼女から視線をそらして窓から外を見る。

 気をそらすにもちょうどいい綺麗な満月だった。

 早く、彼女が着れる服を――

 そうやって別なことを考えてみても、


 それでも俺は、


 自分の秘密を口にはできない。

 卑怯な男のままだった。



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