第三話『センパイの圧力』・「覚えてないのに覚えてた?」

 本日午後の俺は謝っていた。


「あっすみません」

「おめぇ使えねえなぁ、不器用なの?」

「……すみません」

「なんでこんなのがわかんねえの。フツーは間違わないよ。フツー誰でもできんだから、商品を上げたり下ろしたり並べたりこんなの。おめぇだけだよ。周りのバイトのやつ見てみ。間違わずにやってんだろ。おめぇだけだよやれてねえの。物覚え悪いのは。みんなその日にやれんだから」

「すみません」

「もうおれはヤになってきたよー。業務で教えてやんなきゃいけねえからやってるけどヤだわー。これだから使えねえ新人はぁ。おめぇみたいなのが一番ヤなんだわ~使えなさすぎるわ~」

「すみません……」


 あれから数日たって例の近所のスーパー『流原ルハラマート』に短時間バイトとして入っている。

 なれない制服を着て早々二日目で謝るのがバイトなのかというぐらい謝っていた。

 相手は五歳年下の男性従業員でフロア担当の小山こやま先輩。

 彼の圧力プレッシャーのせいか顔つきがワニみたいに見えてくる。

 ウォーキングで症状も改善してきたのに、またぶり返しそうな気分……。


「おめぇさぁ。はぁ、もう一服してえわ~。けど休憩時間まだだかんなぁ。誰か教育係代わってくんねえかな。おっ」


 ワニみたいな小山先輩センパイからの圧力が消えた。

 次の獲物を見つけた表情になっている。

 獲物を見つけた小山先輩センパイの目線の先。

 地味な雰囲気の若い女性従業員が制服とスカート姿で仕事をテキパキこなしてる。


「ちょうどいいとこに。大上おおがみちゃんさぁ、こいつに教えてくんない? おれ忙しくて、他に教えなきゃいけないのもいるしさぁ」


 呼ばれた大上さんが小山先輩センパイと俺を交互に見ると、彼女のまとめられた髪がみたいに軽く揺れた。


「わかりました」

「おっ、さすがリーダー候補」


 即答した彼女を見た小山先輩センパイはさっさと立ち去っていく。

 後ろ姿に軽くお辞儀した俺は、大上さんにもしっかり挨拶をした。


「すみません、よろしくお願いします」

「大丈夫ですよ」


 大上先輩がニコッと笑った。

 これなら大丈夫かな。


 彼女は十九歳でありながら教えるのが上手いのか、俺の失敗もぐっと減っていった。

 十歳も年下だけど近くで見てたらデキる人はやっぱり雰囲気が違う気がする。

 大上先輩の動きはテキパキしてるが、印象自体は地味でいかにも存在感がない子だ。

 百七十センチ台の俺より随分低いから百五十センチ台かな。

 男だからつい見てしまうけど、胸もそんなに存在感がない。

 胸の名札には『兎羽歌とわか』と名前も書いてある。フリガナも振ってあるけど珍しい名前だ。

 まあフリガナは俺の胸にある名札『直也なおや』にも振ってある。


「なにか気になります?」


 突然で驚いた。見すぎたからか。


「あっいやなんでも。ただ仕事うまいなって」

「一応私は入って一年以上たってるので」

「さっきの小山さんだと三年ぐらいでしたっけ」

「そうですね。あの人は当たりがキツいところがあるから」


 大上先輩がなにかを思い出したかのように軽く苦笑する。

 彼女も当たられた口かな。

 ふと例の怪人物のタックルを連想した。

 このスーパーで働くと決めた理由も思い出す。

 怪人物が万が一スーパーに訪れるかもという期待があった。だから働く時間も夜に近い午後の短時間にした。

 キツくなったらすぐ辞めようとも思ってたけどさすがに二日では辞められない。

 他にもはあった。

 先の目的のための資金と行動力。

 収入を得るとその分の保護費は減らされるが、控除こうじょを申請すればなんとかプラスでやりくりできる。

 今までは用事がないから引きこもりがちだった。今は行動面もフットワークが軽くなった気がする。

 他人に対する洞察力も養いたい。一般的な見方ではなく特殊な観点を。特に挙動に対して。

 スーパーはうってつけな気もする。

 もう一つあった。聞かないと。


「えっと……」

「なんでしょう」


 大上先輩がなにを聞かれるんだろうみたいな顔をしていた。


「あそこの佐藤さとうさんは長いんですか」


 気弱そうな男性従業員を指した。


「私と同じ一年かな」

「大上先輩と同い年ぐらい?」

「そうですね。あの……」


 彼は例の不良軍団に恐喝を受けていた人物だ。事情がわかるかも。

 もっと大上先輩に聞きたかった。


「佐藤さんって最近トラブルとかなかったですかね。変わった出来事とか」

「……さあ、わかりません。けどちょっと前までは暗い感じで失敗もしてたかな。最近は明るくなった気がします」

「なるほど」


 裏にある事情が先日解決したからじゃないかと思った。


「私、佐藤さんともたまに話すからよかった。失敗しなくなって」


 彼女が佐藤さんを見ながらつぶやいた。

 その瞬間に妙な違和感があった。


 ……変な匂い。


「大上先輩って前に俺と会ったことありますかね」


 聞いといてだけど覚えがない。

 彼女は俺の顔を見て思案するような表情をしてから答えた。


「三回ぐらいかな」

「えーっ。そんなに」


 驚いたが変な感覚もある。

 ……覚えてないのに覚えてた?

 なんだその感じ。

 確認してみるか。


「最近ウォーキングをやってるのでそれですかね」

「そうですね」


 やっぱりあの匂いの子か。

 けど匂い以外は思い出せない。


「スーパーにもよく来てたからその時にも」

「そうかもしれないです」


 大上先輩は俺の目をじっと見つめて答えた。

 すごく変な目力がある。けど奥には洞窟みたいな――

 匂いの、印象のせいかもしれないな。

 大上先輩に視線を外されて、そのまま彼女が喋りだす。


「あ、お喋りばかりしちゃいけません。仕事をしないと」

「そうでした。すみません色々聞いて」

「いいんですよ、わからない作業があったら聞いてください」

「ありがとうございます大上先輩」

「はい。あの……」

「なんでしょうか」

「田中さん、私よりずっと年上だから」


 溜めてから彼女が言った。


「先輩は、ちょっと変な感じなので」


 彼女が軽く苦笑した。やっぱりさっきの変な目の印象は気のせいか。

 悟られないようなるだけ明るく俺は返そうとした。


「じゃ大上さんで!」

「はい。そうしてください」


 それからは意外と楽しい勤務だった。実働時間が終わってみると悪くない疲労。

 怪人物は見かけなかったし佐藤さんとも話す機会はなかったが、おかしな様子も見なかった。

 帰宅した俺はまた窓からスーパーの裏手を眺めて、今後のについて考えていた。

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