第10話 隣街にて

 2人は先に行っているという連絡があったので、一人で馬車に乗ってリンドゥスに来た。ここに来るのは初めてだ。

 王都と比べれば小さな街。けれどその賑わいは決して見劣りしない。別名〈露店の街〉とも呼ばれるここでは、至る所で布が敷かれ商品が並べられ、声高に客引きが行われているらしい。


「おにーさんおにーさん、これどうよ!」


 女性が持った髪留めが陽の光を跳ね返してきらりと光る。


「女の子は皆こういうの好きだよ? おにーさんも彼女の一人や二人、いるでしょ?」


「一人や二人? ……いや、そういうものを渡す相手は……」


 一瞬思い浮かべてしまった双子を慌てて掻き消す。


「なんだ、ハズレか」


 女性はちっと舌を鳴らすとぱっと俺を視界から外した。そしてまた新しいターゲットを見つけたらしく声をかけている。なるほどこういうものなんだな、とそこから離れる。


 あのふたりが先に言ったのはこういう女の子らしいものを見て回りたかったのかもしれないなと思った。自分がいると邪魔なのだろう。

 あまり金をもっているわけではないが、見るだけでも楽しいので暫くうろうろしてから合流することにする。


「……ん?」


 串屋の店先で何やら揉めているようだった。背の低いフードを被った人物が手を差し出し、店主に首を横に振られている。それを幾度か繰り返し、がっくりと項垂れ、とぼとぼとこちらに歩いてくる。どうやら周りが見えていないようで、真っ直ぐ近づいてくるとそのままどすんと俺の胸に額をぶつけた。

 まさか本当に衝突するとは思っていなかったので驚く。


「あ……」


 その人物はぱっとこちらを見上げた。そこで少女だということに気がつく。同じか少し下くらいか。

 翠の大きな瞳がぱちくりと瞬きをした。煌めくストロベリーブロンドの髪が見える。頬は桃色に染まり、全体的に丸みを帯びた愛らしい顔立ち。あの双子でいい加減慣れかけているが、彼女たちとはまた違う美貌だった。こうして隠して歩かなければ人目を惹き付けてしまうだろう。


「あの……も、もうし、もうしっ、わけ……ご、ござい、ませ……」


 翠の瞳が潤み、蚊の鳴くような声で少女が言う。耳を澄ませなければ喧騒に掻き消されてしまいそうだ。

 人と話すのがあまり得意ではないのだろうか。何だか非常に頼りない。お節介とは思いつつつい声をかける。


「大丈夫です、ぼうっと立って避けなかった俺も悪いので。それよりどうかしたんですか? 何か揉めているようでしたけど」


「……その、か、買え……なくて」


「買えない?」


「ちゃんと……価値は、あるはず……ですが」


 先程のように伸ばされる手。その手のひらに載っているのは大振りの金貨だった。驚きながら受け取る。ずしりとした重さに唾を飲む。――本物だ。


「こんなもの出したら駄目ですよ。しまっておいてください」


 少女の手に返し、鞄の中に入れさせる。恐らくギルコインではなかったので店主はろくに見もせず端から突き返したのだろうが、知れば目の色を変えていただろう。

 こんなものを簡単に出せるなんて、一体どこの金持ちの娘なのか。


「あの――」


 きゅう、と少女の腹が鳴った。みるみるうちに耳まで赤くなる。ぷるぷると小刻みに震える姿が小動物ぽくて笑いそうになってしまうが、恐らく冗談が通じないタイプの人だろうと思い必死に堪える。


「……なるほど。お腹が空いていたんですね。ちょっと待っていてください」


 先程の串屋に行き、2本串を買う。そのうち一本を手渡すと、少女はぱちくりと大きな瞳を瞬かせた。


「すごい……魔法……のよう、でございますね」


「こんなことで?」


 我慢できず吹き出してしまう。少女がきょとんとこちらを見た。


「魔法はもっと凄いですよ。こんなのただお金で買っただけです」


「お金……なるほど、通貨は別にあるということですか……」


 小さな声がよくわからないことを呟いた。


「え?」


 少女ははっと我に返った様子で顔を上げる。


「あ、ええと……た、大した……違いは、ないのではないかと、思います。魔法も、魔素と引き換えに起こる……ものでございます、し」


「そうですかね」


 事情を知らない人に言われると気負いがなくていい。


「ところで、これは……何でございましょう?」


「何って、普通に肉ですよ。食べ物を買いたかったんですよね?」


「肉……ですか。こうして食べることもあるのですね……」


 まるで初めて見るかのようにしげしげと串を眺めている。

 暫くして決心が着いたのだろうか、ぱくりと口いっぱいに頬張った。


「!」


 きらきらと翠の瞳が輝く。もぐもぐと激しく咀嚼する。


「お……美味しゅうございますね……!」


「そ、それならよかったです」


 勢いがすごい。再び串に向かう少女を自分も食べながら見つめる。まさかと思ったが、やはりそれほど特別美味しいような気はしない。こんなものその辺に幾らでも売っているし、そんなにがっつくようなものでもないと思うのだけれど。


 それにしても、ただの肉串を食べているはずなのに上品に見えるとはこれいかに。どこか余程良い家の娘なのだろう。貴族か、豪商か、それに類するもの。


「……ご馳走様でした」


 少女が手を合わせた。もう空が暗い。日が落ちればより危険になるだろう。


「あの、誰かと一緒に来たりしてませんか?」


「一応……います。困ったら『月見亭』に戻るようにと、い……言われては、いたのですが。それが、どこか……わからなくなって、しまいまして」


「『月見亭』ですか? 偶然ですね。そこで俺も仲間と落ち合うことになってるんです。良ければそこまで一緒に行きませんか」


「ほ、本当ですか? けれど、そ、そこまでお世話になるわけには……」


「あ、迷惑なら言ってください。差し出がましかったですかね」


「いえ、迷惑など! ……で、では……お願い致します」


 少女は気弱そうに、しかししっかりと微笑んだ。





「――ティアさま!」


 少女と連れ立って『月見亭』に入るや否や、勢いよく立ち上がった青年がこちらへ駆け寄ってきた。平伏せんばかりの勢いで頭を下げる。凛々しい顔立ちは真っ直ぐな気性を表しているようだった。


「申し訳ありませんでした、わたしの落ち度です。御身に何かあれば……どうか罰をお与えください」


「そ、そんなことしません! 元はと言えば私の我儘ですし。か、顔を、上げてください」


 逞しい体躯の青年が小さな少女――どうやらティアさまというらしい――に頭を垂れているのは傍から見れば異常な光景だった。剣を扱うのだろうか、立派なつくりの鞘が青年の腰に提がっている。甲冑でも身につければ完璧におとぎ話の騎士のようだろうな、と思う。


「しかし、やはり出るべきではありませんでした。わたしも軽く考えていました。早く帰りましょう」


「……いいえ。この目で見て、初めて知ることも、たくさんあります。出るべきではないということは……ありません」


 お忍びのようなものだったのだろうか。思っていたより高貴なお方のようなのでそっと距離を取ろうとする。青年も自分のことは目に入っていないようだったし。


「こちらの方が、助けてくださったのです。この方がいなければ……どうなっていたことか」


「へっ」


「そうだったのですか。心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。お名前を伺っても?」


「いや、別に名乗るほどのものでは」


 青年の強い視線に根負けする。


「……レイ・エドックです」


「レイ殿。このお礼は必ず」


「殿!? あ、いや、ホントお気遣いなく」


「なんと、謙虚な方なのですね!」


 駄目だ、話が通じない。これは自分の苦手なタイプの善良すぎる人間だ。


「レイ?」


 頭上から声が聞こえた。階段を降りてくるのはルーシャとアーニャだ。今は救世主に見える。


「おっそいんだけどー。……というか、一体どちら様?」


 怪訝そうな顔で少女と青年を無遠慮にじろじろと眺める。それに耐えられなかったのか、少女が泣きそうな顔になる。


「では、これで。また会いましょう、レイ殿」


 青年はマントを翻すと少女と共に颯爽と『月見亭』を出ていった。

 それを未だ不信そうな顔をして見送った2人がこちらを見上げる。


「あれ、誰?」


「いや、俺もよくわかんないんだけど……偶然出会ってここまで地図を見ながら一緒に来た。声掛けてくれて助かったよ」


「……ふぅん?」


 アーニャが首を捻る。


「けどあの人、なーんかどこかで見たことがあるような……」


「まさか。なんか凄いいいとこのお嬢様みたいだったし」


「いやそっちじゃなくて……ま、気のせいかー」


 うーんと伸びをする。どうやらもう興味を失ったようだった。


「ここに泊まってるのか?」


「そうそう。2階は宿だよー。一応3人部屋借りてるけど、別で泊まる?」


「いや、お前たちがいいなら同部屋で」


「きゃーえっちー」


 自分の体を抱き締めたアーニャを冷めた目で見る。


「棒読みで言うなよ。安全面の問題だろ」


「はいはい。まったく面白くないなー。ま、それもあんたが強けりゃかっこいいセリフなんだけどねー」


「レイは残念ながら守られる側なのですよ」


「くっ……」


 2人におちょくられてそっぽを向く。


「まあ、明日に備えてしっかり休むのです。最強の魔法使いとやらと会うのが楽しみなのですよ」


 ……嫌なことを思い出してしまった。悟られないように必死で引き攣りそうになる口元を抑える。


「明日は思う存分暴れなきゃだからねー」


 部屋に入るとすぐにばたんとベッドに飛び込むアーニャ。ほどなくして寝息が聞こえてくる。


「相変わらず凄いな……」


「いつでも寝られるのは大切なことなのです。さ、私たちも寝るのです」


 ふっと明かりが消える。仕方なくベッドに潜るが、目が冴えて眠れそうもない。


 これほど朝が来て欲しくないと願ったことは初めてかもしれなかった。

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