第8話〈執着〉
恐ろしい速さで振るわれる刃を僅かに身を捩って躱す。明らかにはっきりと目視できている動きだ。
巨躯に似合わない速さで返された刃を靴の縁で滑らせる。
ぺろりと唇を舐め、アーニャは反撃に転じる。あれほど簡単にテンダーゴブリンを引き潰した蹴りは腕で防がれた。見ている分にはわからないが、その感触に彼女は喜色を浮かべたようだった。
「かたいね、かたい……いいねえ!」
ぶんとボスゴブリンの拳が振るわれる。腕でクロスさせてそれを受け止めたアーニャの体が浮いた。
「うおっと」
間の抜けた顔で目を瞬く。モンスターは隙を見せた獲物に追い打ちをかけるべく身を縮める。
「――【穿ち砕け】」
素早くルーシャがしゃがみ込んだ。ふわりとゆるく束ねられた髪が舞う。
「【
彼女が指で触れたところから細い亀裂のような光が勢いよく伸び、モンスターの足元を明るく照らした。異変に気がついて飛び退るより早くその身がぐらりと傾ぐ。突如生まれた地面の割れ目に足を取られたようだった。
良いところを邪魔をされた、とでも言わんばかりに酷く不満そうに咆哮を上げ、その
「ひとりで楽しむの、やめて欲しいのですよ」
彼女はアーニャそっくりに獰猛に笑った。
「【緑無き地にてその姿を現せ――ヴァイン】」
地面を割って顔を出したのは鮮やかな緑の蔓。十分な太さを有したそれはボスゴブリンに容赦なく絡みつく。引き剥がそうと激しく足を振るが蔓はますます強く巻きついているようだった。サーベルで切りつようと、端から新しいものが現れるのでキリがない。やがて疲れたようにボスゴブリンの動きが鈍り始める。
「【哀れに藻掻く彼のものを縫い止めよ――パラレシス】」
蔓が裂け、棘が飛び出した。ボスゴブリンの硬い皮を突き破りその身に食い込む。
緩やかに暴れていたボスゴブリンが固まった。時折びくんと身体が跳ねる。
「どうですか、麻痺毒の感覚は? 自分で試してみたい気もするのですが、こうしてみるだけでも何となくはわかるので。……図体ばかり大きくても、こうなれば何も変わらないのですねぇ」
ルーシャが愉しそうにそれを見つめた。弧の形に細められた瞳に嘲りの色がちらりと過ぎる。
「【
次いで紡がれた言葉はいつか聞いたことのある気がするものだった。
「【アイシクル・エッジ】」
ルーシャが宙を掴むような仕草をする。白い指の間に透き通った氷の刃が現れた。薄いが端から見ても鋭利だとわかる。それを手首を振り軽く投擲した。
彼女の手を離れ、氷の刃は加速する。動けないでいるボスゴブリンの目に深々と突き刺さった。
それだけでは終わらない。彼女がぱちんと指を鳴らすといくつもの刃が現れる。払うような手の動きに合わせてそれらもモンスター目掛けて飛んでいき、巨体のいたるところに傷をつけた。
――〈執着〉。ふと彼女がよく言われるその名を思い出す。決して驕らず、畳み掛けるように魔法を重ねる。ルーシャも
ボスゴブリンはがしりと氷の刃を掴んだ。体液が漏れ出すのにも構わず一気に引き抜くと恨みのこもった声を上げ、足に絡みついた蔓を一気に引き裂いた。どうやら痛みで麻痺を振り払ったようだった。
「存外しぶといのです」
ルーシャがぱちりと片目を閉じる。
「けれど――そろそろ夜も明けるのです。お遊びもいつまでもやっているわけにはいかないので……アーニャ」
「はいはい。何秒?」
「1000秒とでも言えば良いのですか? どうせどのくらいでも構わないのだから一々そうやって訊かないのですよ」
「はいはいはーい。アーニャも結構楽しんだしー、しょーがないから今回はルーシャに譲ってあげるー」
唇を尖らせてアーニャが地を蹴る。ボスゴブリンに向かうと、襲い来る刃を弾き飛ばした。
それを見届け、ルーシャはこちらを振り返る。
「魔法の仕組みについて……詳しく知ってますか?」
何故そんなことを今訊ねるのだろうか。不思議に思いながらも首を振る。
「え? いや……あんまり。知識としては多少は知ってるけど、必要ないから」
「魔法というのは、魔素が元になっているのはしってますよね。魔法を使おうとすると、何かこの辺りが――ムズムズして、火照るのですよ」
そう言って手のひらで胸を押さえた。
「上手く説明はできませんが……魔法を行使しようとしたとき発する、魔素を溶かされた言葉はいつもとは全く違うものなのです。何と言えば――そうですね、世界の理に触れ、割り込むような感覚がするのです。魔法というのはすべてイメージ次第で、精密にその姿が描ける限り不可能は無いということを、魔法を扱える人々は皆きっと少なからず感じているのでしょうが」
ルーシャはすっとこちらに向かって繊手を伸ばした。天に向かって広げられた手のひらが光を帯びる。
「基本の
まるで祈るように凪いだ顔で、ルーシャがそうっと目を閉じる。その瞬間、今までの比ではない勢いで彼女の体から魔素が吹き出し、ばたばたとローブを膨らませ髪を巻き上げる。束ねていた革紐が吹き飛んで、ばさりと白銀の髪が広がる。
「【
うつくしく光り輝くそれは、彼女を中心として複雑な陣のようなものを描き出す。
「【
夜でもわかるほど、空が暗くなったのがわかった。まるで彼女の声に呼応するように厚い雲に覆われる。ぐっと押さえつけられるような重圧を感じながら、それを信じられない思いで呆然と見上げた。
確かな畏怖を感じた。これは……自分の知っている魔法とは全く違う。
「【
言葉の通り、ルーシャの拳が天を衝くように真っ直ぐ伸ばされた。暗闇を裂き、恐ろしい音を立てて青い稲妻が眩く空に光る。ばりっ、ばりっ、と次第に光と光の間隙が短くなっていく。まるでもう我慢の限界だと急かしているように――
「【――レビン・オブ・パニッシュメント】!」
一瞬、視界が消し飛んだ。そのくらい明るい閃光が天を駆け抜け落ちてきた。何がどうなったのわからない。雷が地を砕いた音がして、欠片が飛び散ってくる。
もうもうと上がる土煙をルーシャが見つめた。クレーターのように深く空いた穴の底に影が見えた。彼女に続いて覗き込んで、思わず口元を手で押さえる。ボスゴブリンの巨躯は脳天から縦に真っ二つに割かれていた。
「……ちょっとやり過ぎてしまったのですよ」
流石の瞬発力で躱したらしいアーニャもそれを見下ろし、未だに唇を尖らせている。
「あーあ。久しぶりにちょっとは骨のある相手だったのにー」
「ゆっくり詠唱するだけの時間を稼いでくれて助かったのですよ。さすがはアーニャ、私の妹なのです」
「むむ……」
尖っていた唇がむにゃむにゃと動く。褒められてにやけてしまうのを必死に抑えようとしているらしい。姉は扱いをよく心得ているようだ。
「夜が明けるのです。これだけ騒げば農夫さんたちも落ち落ち寝ていられないのでしょうし」
ルーシャは白銀の髪を揺らして小首を傾げた。
「さぁ、帰るのです」
森を出て畑の方へ向かうと、農夫たちが待っていた。騒ぎは辺りまで響いていたらしい。
彼らを掻き分け、ばたばたと慌ただしく駆け寄ってくるのはストラウンさんだ。くまが更に濃くなり、心做しかやつれて見える。きっと心根が優しい人なのだろうな、と思う。
「ああ……あなた方が無事に帰られて、本当に本当によかったです。何かあったら、私はどうしようかと――」
「無茶はしないのです。私たちも冒険者の端くれ、無理なことは経験である程度はわかるのです。もちろん、イレギュラーはありますが」
すげない口調におやと思う。彼女らしくない。実力を低く見積もられたらしいことが不満なのだろうか。そういうことを気にするのはどちらかというとアーニャのような気もするけれど。まあ付き合いの浅い自分に想像できることではない。
ルーシャは俺の背を視線で指し示した。それを見たストラウンさんがはっと鋭く息を飲む。
「それは……まさか、ボスゴブリンの腕!?」
「かなり強いモンスターだと伺っています。さぞ、苦戦されたことでしょう……」
気遣わしげに言ったストラウンさんがこちらを見て固まった。正確には、ほとんど傷ついていない異常なまでに平然とした双子の姿を見て。
それはそうだ。テンダーゴブリンの討伐を受けるくらいのランクのパーティのはずなのだから。少なくとも、彼はそう思っているはずだ。――思っていたはずだ。
「……あなた方は、一体」
「ただの駆け出しのパーティですよー」
へら、とアーニャが気負いなく笑った。
「お前、あんなに魔法が得意だったんだな」
帰路を歩きながら呟くと、上目遣いにこちらを見られた。
「そうじゃないと思っていたのですか?」
「いやっ、違うけど、あそこまでとは……」
「ルーシャはねー、苦手な魔法とか無いの。何でもできるし、生まれつき魔素も多くて、超かっこいい最強の魔法使いなんだからー」
「アーニャったら」
ルーシャが柔らかく微笑んで、なぜか本人より得意げにしている妹を窘める。
「でも凄いな。魔法って普通得手不得手があるものって聞くけど。それで得意な分野を伸ばして、極めた人は〈炎〉の魔法使いとか〈水〉の魔法使いとか呼ばれるって」
「AとかSとか、上の方のランクのパーティの人はそう呼ばれている人もいるみたいだよねー。〈頂点〉の名を持っている人も居るとかなんとかー」
「へえ、そりゃまた規模がでかいな」
一度見てみたいなとも思う。王都で催されるSランクトーナメントを観に行けばお目にかかれるのだろうか。
「というか、それなら俺に増強魔法とかかけてくれたら欲しいんだけど。アーニャほどじゃないだろうけど、多分そこそこ肉弾戦で戦えると思うし」
「……いや」
酷く子供じみた拒否の言葉に思わずぱちくりと瞬く。
「い、嫌? できないじゃなくて?」
「嫌。したくない。……【フロート】」
ふわりと背中が軽くなる。
「これで不満はないのでしょう? あなたが戦えなくても、私たちがいるのですのですから。強くなる必要はないのです」
「なんだよ、そんなに俺が嫌いかよ。確かに他人に依存しなきゃ何もできないけど、これでも少しは力になりたいと思って言ってるんだ。お前たちばっかり戦わなきゃいけないだろ」
「嫌いだとはひとことも言っていないのですっ!」
ルーシャがきっと鋭くこちらを睨みつけた。その瞳が潤み、顔を真っ赤にしながらこちらに詰め寄ってくる。
「私は……す、すっ、好きと言ったのですよ!? その言葉が嘘だと思っているのですか!?」
正面から改めて言われると流石に照れる。しどろもどろになりつつ、勢いに飲まれないようにルーシャを見つめる。
「い、いや、疑ってるわけじゃ、ない、けど……それならそんなに嫌がらなくてもさ、できないってわけじゃないんだろ?」
「……それでも……嫌なものは嫌なのです」
かなり頑なだ。説得するのは無理そうだと諦めることにする。理由を訊くのは何となくはばかられた。というか、教えてくれそうな気がしなかった。更に機嫌を損ねられたら困るので口を閉ざす。
成り行き、というかアーニャの策略でうっかりパーティを組んでしまったが、この双子については知らないことばかりだ。一応一年は同じパーティにいたはずなのに、初めて出会った人たちのように思える。アーニャの馬鹿力やルーシャの詠唱魔法や、初めて知ることがたくさんあって、ただそれと同じくらいわからないことも増えた。ひとつだけ――綺麗な容貌の内に、何か昏いものが見え隠れすることだけは、確かに感じられたけれど。
それが何であろうと踏み込む覚悟があるのかと問われているような、それならばと試されているような、そんな気がする。
無い。薄情であろうとそれが本心だ。
……少なくとも、今は。
そんなふうに可能性を匂わせてしまうのは、不本意であるけれど、少し興味が湧いているからかもしれなかった。未だ底知れぬ、最強――いや、最凶かもしれないと思わせる、この双子に。
初めてのクエストが終わったのにも関わらず、パーティを解散するかと彼女たちに訊かれないのが、それを見透かされているような気がして恥ずかしかった。
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