第7話 合図

「あ、やっと終わったのですか。こちらも落ち着いたのです」


 周りに転がっているテンダーゴブリンはざっと5、60体ほどだろうか。その中でルーシャが平然と束ねた髪を払う。


「確かにひっきりなしに湧いてきていましたが、どうやら一応有限であるということはわかったのですよ」


「残念ながらねー」


 不満そうに唇を尖らせたアーニャが森の方へ視線をやり、おっ、と声を上げた。


「また来たー……ん?」


 不審げな表情をするのでつられてそちらを見るとその理由がわかった。今までと様子が違うのだ。テンダーゴブリンの肌は薄汚れた黄緑だったが、今回姿を見せたゴブリンは更に濃い、緑に近い色。そして素手で殴ってくるだけだった奴らと違い、丸太を削って作ったらしい棍棒や刃物を手にしている。体格もひと回りかふた回り違う。


「あれ……ファイティングゴブリンか」


「EランクからDランクのクエストに現れるモンスターなのです。一体500ギルですか」


「うーん、楽しいことになりそうだねー」


 アーニャは嬉しそうに笑って唇を舐める。


「雑魚が出尽くしたから自分たちも出ざるを得なくなったわけかー。やっぱこの森、ゴブリンの巣になってるんだろうねえ」


「巣?」


「じゃなきゃこんなに湧くわけないでしょー。農夫さんたちも薄々気がついてはいたんじゃない?」


「住処を守るために戦うなんて、敵ながら健気なのですよ。ま、その住処は私たちの地に勝手に作られたものではあるのですけれど。行きましょうか」


 森に向かって歩き始める2人の腕を慌てて引き止めた。


「いや、ここが本当に巣になってるんなら行くべきじゃないだろ。ゴブリンを率いているボスゴブリンはBランクのクエストで対象になるモンスターだ。俺たちの手に負えるもんじゃない。さっさとギルドに戻って報告して、あとは強いパーティにでも任せればいい」


「なんで?」


 こてんと不思議そうにアーニャが首を傾げる。


「なんでって……」


「心配要らないから、大人しくついてきなさいよ。危ないと思ったらあんたは勝手に逃げればいーから。どーせ邪魔だし」


「【唸れ雷鳴――サンダー】」


 ぴかっと白く視界が明滅する。次の瞬間、ファイティングゴブリンは地面を揺らして仰向きに倒れた。


 こちらを見つめ、ルーシャがにっこりと微笑む。


「多少上位個体が出てこようと私たちからすれば大して差はないのですよ。まだまだ本気じゃないのです。久しぶりに腕を振るえそうでわたしも少しわくわくしているのですよ」


 心底嫌だったが、どうやら止められそうにない。ここで一人で背を向けるのはさすがに自分でもどうかと思う。

 どため息をつきつつ、後を追うことに決めた。





「う、わっ!」


 ぶん、と横に薙がれたシミターを身を仰け反って躱す。すぐ鼻の先を通り過ぎていき、ひやりとする。

 体勢の崩れた俺を狙ってもう一度向かってきたシミターをナイフで受ける。必死に力を入れるがモンスターの膂力に勝てるはずもなく、簡単に弾き飛ばされた。数度地面をごろごろと転がって起き上がる。


 大きく振りかぶったのを見てナイフを握って突進する。腕をすり抜けゴブリンの腹に届くが、僅かな傷をつけただけで肌の上を滑った。魔法がかかっていなければ完璧に弾かれていただろう。


「はあ、くそ、無理だろこれ! なんでそんな皮がそんなに強度があるんだよ、おかしいだろ!」


 再びこちらへ得物を向けたゴブリンの首がすぽんと飛んだ。暫くして呆気なく倒れた体の向こう側に脚を振り上げたアーニャが見えた。どうやら彼女が物理的に吹き飛ばしたようだった。


「まーモンスターってそんなもんだからねー」


「そんな軽々倒せるお前に言われたくないわ!」


「まーまー、落ち着きなよー」


「なあ、俺にも何か増強魔法みたいなんかけてくれないか? そしたら多分そこそこ戦えると思うんだけど」


 アーニャはふるふると首を振った。


「むりむりー。アーニャは魔法、全然得意じゃないもん」


「は? なんか自分に強力な魔法でもかけてるんじゃないのか? それで物理攻撃を通るようにしてるとか」


「まさかー。めっちゃ簡単なやつならいけるけど、生き物にかけるなんてどうなるか恐ろしくてできたもんじゃないねー」


「じゃ、それは……」


「これはたぶん生まれつき? よくわかんないけど。まー魔法使わなくてもアーニャは強いからどうでもいーの」


 そうだったのか。肩をすくめるアーニャからそっと目を逸らす。

 少し親近感を持ってしまったのが馬鹿みたいだった。自分たちは似ているようで全く違う。


 だからアーニャは自分を嫌っているのかもしれないとふと思った。同族嫌悪、いや、自分の劣化版を疎み嘲るような気持ちか。


「あ、うしろ」


 ぽつんと呟かれた声に反射的に首を竦め、できる限り身を縮めた。頭上を何かが唸りを上げて通り過ぎていく。掠めた気配がして、目の前を自分の髪の毛の切れ端らしきものが通り過ぎていく。


「【ライトニング】!」


 そしてその上をまた違うものが走っていく。アーニャの後ろからルーシャが近づいてきた。


「……禿げた?」


「いいえ、なのです。残念ながら。まったく、あなたはぼうっとしてないでくださいと何度言ったらわかるのですか?」


「すみません……」


 はあ、とルーシャがわざとらしくため息をつく。


「ファイティングゴブリンももう見当たりませんし、そろそろ首領が現れても良さそうな頃合いだと思うのですが――」


 ついと視線を上げ、きつく眉をひそめる。


 何事かと訊ねる前に異変に気がついた。頭上から聞こえる唸り声。ふっと黒々とした影がかかる。何か大きなものが、落ちてくる。回避がもはや間に合うはずもないことはわかった。全身の血の気が引くのがわかった。ああ、顔すら上げられない――何もかもがゆっくりと見え、酷く緩慢にルーシャが口を開いた。


「【叩き潰せ、退けよ――クラッシュ】!」


 珍しく焦ったような声。ばっと出された小さな手を中心に空気が激しく震えた。不可視の衝撃波が頬をなぶり、頭髪を引く。と同時に、ヴンと鈍い音がして影が吹き飛ばされた。


 魔法をかなりまともに食らったかと思ったが、それは空中で体勢を立て直した。地に降り立ち、激しく地面を揺らす。俺はいつの間にやら息を詰めていたことに気がつき、激しく呼吸を繰り返した。

 見上げるほどの巨体が屹立してこちらを睥睨していた。姿かたちは今まで嫌という程見たものたちと同じだ。そのはずなのに、それはまったく違うものに思えた。まず大きさが違う。何倍も高く、何倍も厚い。腕の太さが自分たちと同じくらいだろうか。肌の色は黒にほど近い淀んだ深緑。ぎらりと光る血と泥に塗れたサーベル。

 穴のような双眸がこちらに向いた。


「こいつが――ボスゴブリンか!」


 知識として姿は知っていたが、実際に目にするのは初めてだった。それでもわかる。ゴブリンはゴブリンでも格が違うと。


「へぇ……それほど効いていないようですね」


 ルーシャはその瞳に怯えの欠片も見せずに相手を映す。


「少しは歯応えがありそうなのですよ」


 ボスゴブリンはまるで言葉がわかっているように鼻を鳴らす。足を踏み込んだ、と思った瞬間、こちらに飛び出してきた。自身の重量を活かした必殺の突進。


「いいねえ、そーゆーの好きだよ!」


 アーニャが翔んだ。爆発的な勢いを真っ直ぐに伸ばした細い腕で受けきる。月明かりに光る艶やかな黒髪を風圧で舞い上がらせ、歯を剥き出して凄絶に唇を裂いた。


「けどさあ、焦らずいこーよ、モンスターさん。時間はたっぷりあるんだから、ねぇ?」


 振り上げられた脚をボスゴブリンは太い腕で受けた。衝撃波がこちらまで伝わってくる。


「お仲間さんが皆殺られて怒ってるー? けどそれはお互い様だよねぇ。あんたたちが自分の居るべき場所に居ればこんなことにはならなかったんだから……しょーがないよ」


 すっと瞳が冷たい色を帯びた。


「ごめんね」


 酷く空々しい声が零されて宙に消える。きっとそれが合図だった。

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