第6話〈突貫〉
ログハウスは思った以上の広さがあるようで、ノックすると小間使いらしい若い少女が出てきた。ギルドから派遣されてやってきたことを言い登録証を見せると聞いていた名前と合っていたらしく、奥に通された。アーニャは無遠慮にきょろきょろと見回している。
「よくいらっしゃいました、冒険者の皆さま」
自分たち3人の向かいに座る髭を生やした中年くらいに見える男性が人の良さそうな笑顔を浮かべた。
「私はグードン・ストラウンと申します。ここの農夫たちの纏め役のようなものをやっています」
「やー立派なお家ですねー」
「ああ、いえいえ、ここは農夫の集合住宅のようなもので、働いている者共で皆一緒に住んでいるんですよ」
アーニャの不躾な質問にも笑顔で答えている。
「ギルドから派遣された〈二律背反〉の方々ですよね」
「はい。私がルーシャ、そちらがアーニャ、レイ、なのです」
「ルーシャさん、アーニャさん、レイさん、ですね。よろしくお願い致します。早速ですが、お話をしてもよろしいでしょうか」
「お願いします」
ストラウンさんは咳払いを一つした。
「一週間ほど前でしょうか。近くに小規模な森があるのですが、そこからゴブリンがやってくるようになったのです。そうは言ってもテンダーゴブリンが主でしたので本来なら大した驚異にはならないはずなのですが、如何せん数が多くて。毎日来る度撃退はしているのですが、勢いが衰える様子がないんです。キリがなくて困っていて」
「今はいないようですが?」
「奴らは夜にやってくるんです。それも厄介な要因の一つで」
よく見るとストラウンさんの目の下にはくっきりと濃いクマがあった。
「自分たちだけで畑を守れないというのは、本当にお恥ずかしい限りです。そろそろ一晩くらいゆっくり寝たいと思いまして、この度依頼を出させていただきました」
「一晩なんて言わなくても、一週間くらい居てもいいですよー?」
アーニャが出されたお菓子を遠慮なく摘みながら嘯く。
「いえ、しかしそれは申し訳ありませんし……」
「なんかすごい大変そうですしー。アーニャたちは農夫さんたちみたいに昼間に仕事はないですし、日が出てから寝ればいいのでー」
「……では、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか? 報酬は追加で出すことに致しますので」
「まっかせてくださーい」
にんまりと笑うアーニャにルーシャがやれやれと額に手をやった。
「じゃーひとまず寝るんで、日が暮れたら呼んでもらえますかー?」
「ちょっとアーニャ!」
「はは、構いませんよ。部屋を用意致しますのでどうぞごゆっくりなさっていてください」
ストラウンさんは柔らかく苦笑すると先程の小間使いの少女に俺たちを案内するように言った。
3人では広過ぎるくらいの部屋が割り当てられた。言葉通りアーニャはすぐベッドで素直に寝息を立て始めたが、残念ながら自分はそこまで図太くはなれない。ルーシャも同じらしく、2人でぽつぽつと話したり、武器の手入れをしたりしながら時間を潰す。
……少し、やっぱり気まずい。〈至高の黄金〉で一年一緒にいたとはいえ、ろくに関わっては来なかったのだ。好きだと言われたことにも実感は湧いていないというのがまだ正直なところだ。アーニャくらい露骨に態度に出してくれた方がやりやすいのだけれど、ルーシャはそういうタイプではないのだろう。
やがて窓の外で日が落ち、空が橙に染まっていく。夜の帳が下りる。
そろそろだろうとアーニャを起こすとむにゃむにゃ言いながらベッドから降りた。大口を開けてあくびをし、ぐうっと両手を上げて伸びをする。
「――ま、見てみないとわかんないけど、普通じゃないだろーねえ」
「え?」
「だってそんなに際限なく湧くなんてありえないでしょー。こっちからすれば願ったり叶ったりだけどー」
こんこんと扉がノックされる音を聞いて、アーニャはすこぶる嬉しそうににやりと笑った。
「出番だよ。行こっかー」
今の今まで寝ていたのは誰だと思っているのか。……とは賢明な判断で口にはしなかった。
外に出る前から声やら音やらが聞こえてくる。アーニャは単身駆け出すと勢いよく飛び出し、騒ぎの真ん中へ突っ込んだ。
農夫何人かとそれより頭2つほど小さないくつかのモンスターの影――それがテンダーゴブリンなのだろう――の間へ割り込み、とん、と軽くタイミングを合わせるようにほんの少し飛び上がった。
まず手前の一体につま先が当たったと思うと、めり、と嫌な音がここまで届いた。骨が砕ける音ではなく、何かが一気に拉げるような奇妙な音。直後、まるで酷く脆いものでも蹴飛ばしたように、有り得ない様子でモンスターがばしゃんと弾けた。そのまま勢いは止まらず、潰したモンスターを脚に引き摺ったまま次の一体にぶつかり、また潰れる。同じことが繰り返され、暫しの後少女の周りに残っていたのは地面に転がった肉塊だけだった。
「……は……?」
それは、あまりにも異常な光景だった。
物理攻撃のほとんど効かないはずのモンスターを力業で捩じ伏せる。一体どれほどの脚力がそんなことができるのか。
ああなるほどと誰もが納得する、〈突貫〉と呼ばれるに相応しい姿――
「あーあ、寝惚けてたからちょっと力加減間違えちゃったー。最初だし、味見がてらもうちょっと楽しもーと思ったのになー」
酷く残念そうな声で呟き、アーニャはその肉塊を見つめた。
「あ、もーアーニャたちがあとはやるのでいーですよー。おやすみなさーい」
「は、はいっ、よろしくお願いします!」
次いで視線を向けられた農夫たちがモンスターを前にしたときよりも怯えた顔で後ずさる。気持ちはわかる。自分も正直怖い。
彼らはしっしと手を振ったアーニャに特に文句を言う様子もなくそそくさとログハウスに駆け込んでいった。
「今ので4匹かー。さーて。まだまだいるなぁ」
嬉しそうに笑うアーニャにルーシャがため息をついた。
「これでは0匹なのですよ、アーニャ。こんなに原形を無くして何をギルドに提出するつもりなのですか? 耳を削がなければいけないのですよ。殺すのはいいですがちゃんと頭部は残しておいてください」
「はいはーい、わかりましたー」
聞いている方からすればぞっとする会話だが、双子たちはまるで世間話をするような気軽さだ。
呆れ顔をしていたルーシャがおもむろに俺の後ろに手を向けた。
「【
ぱりっ、と音を立てて瞬く間に眩い閃光が生まれる。じりじりと空気を焦がしながら頬のすぐ横を目にも止まらぬ速さで駆け抜けると、何かの引き攣った呻き声がすぐ後ろから聞こえた。
「まったくレイったら、そんなにぼうっと立っていては危ないのですよ? 私たちだってモンスターの膂力で頭でも強打されれば一撃ノックアウト、なのです」
ルーシャが茶目っ気たっぷりにこつんと頭を小さなげんこつで叩くが、こちらはそれどころではない。
恐る恐る振り返ると、モンスターたちが泡を吹いて昏倒していた。人の子を何度も鈍器で殴りつけたように醜悪な顔。バランスが悪く大きな頭髪の無い頭。何れの個体もそのでこぼことした額に不自然にぽっかりと穴が空いている。恐ろしく精密なコントロールだ。
「レイには処理を頼むのですよ。ナイフを貸してください」
「あっ、ああ、うん」
覚束無い手つきで慌てて引っ張り出し渡そうとしたところでずるりと手から滑り落ちる。ルーシャは繊手を伸ばして危なげなくキャッチすると、刃を指でなぞりながら囁く。
「【脆弱なるものに力を与えよ、
ルーシャの指が通った部分がぼんやりと入り組んだ紋章のようなものを浮かべる。
「【エンハンスメント】」
一度明るく明滅したと思うと、ぼうと刀身が光った。それを確認し、鞘に戻すとこちらに放ってくる。
「いつもと同じですけど、それならあなたでも切れると思うのです。耳を切り落として確保しておいてください」
「……悪い。ありがとな」
「べ、別に感謝されるようなことではないのです」
ふい、とルーシャが大きく顔を背けた。
「けど、自分で魔法かけれない俺の代わりにわざわざしてくれるのはお前が優しいからだろ。実際、〈至高の黄金〉のときだって武器に
「それは……」
「あ、いや、そのことは別に悪くは思ってないけど。〈役立たず〉に時間割くぐらいなら自分がやった方が面倒じゃないし早いしで、それは当たり前のことだし。だからそれなのにわざわざ手間かけてくれてるお前に感謝しないわけないだろ?」
じ、とこちらを見つめていたルーシャが眉を釣り上げた。まるで怒っているような顔に驚く。そんな表情をされる理由がわからなかったからだ。
「あなたは自分のことを何だと思っているのですか」
「え……」
困惑して声を漏らすと黄金色の瞳を囲む長い睫毛が小刻みに震える。
「……なんでもないのです。私もアーニャに負けていられないので行ってくるのです」
ぱっとこちらに背を向けると、アーニャがゴブリンと戦っている方に駆けていった。意味がわからないまま、しかし自分だけ何もしないわけには行かないのでルーシャの魔法がかかったナイフを抜いて死体に近づく。少し遠くから刃先でつんつんとつついて本当に動かないことを確認してから傍にしゃがみこんだ。
テンダーゴブリンの耳の先を摘み、作業がしやすいように軽く伸ばす。あとは根本からぶつりと切断するだけだ。
こればかりしていたから処理はお手の物だ。けれど――だからこそ。それが、どうしようもなく腹立たしかった。
自分に力があれば、こんなことにはなっていないのだろうから。
自分の弱い力では、何度も何度も繰り返さなければ終わらない。それが苛立ちを募らせる。少しずつ刃を動かしながら、くそ、といつものように毒づいた。……何だよ、何が
アーニャのように容赦なく全てを挽き潰せたら、ルーシャのように思い通りに使える魔法があったなら。
自分に才能が無いことを嘆く時期はとうに過ぎてしまったけれど、それでも時折思ってしまう。もし自分に力があれば、こんなふうに思い悩む必要はなかったのかもしれないと。
ため息をついて処理を終える。
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