95 №6『史記』に登場する人物<李広将軍>
李広将軍は、庇ったために司馬遷が宮刑を受けることなった李陵の祖父です。李陵も不運の人でしたが、祖父の李広将軍もまた不運な人でした。
匈奴との戦いのさなか、急遽変更された作戦命令のために道に迷うという失態を犯してしまい、その責任をとって彼は自ら死を選びます。その時に「部下たちに罪はない。自分の責任だ」という言葉を残します。将軍でありながら、投降した捕虜を殺したということを悔やみ続けたという逸話もあり、兵士にも民にも人気の人でした。
彼の死を知って兵士たちは皆泣き、そして噂は広まって、彼のことをよく知らない民たちまでも涙を流して泣いたと、『史記』には書かれています。司馬遷もまた彼の人柄を、「わたしは李将軍を見たが、きまじめで田舎の人のようであった」と書き残し、『桃や
それにしても、この李広将軍といい、匈奴に寝返ったと嘘の噂をたてられた孫の李陵といい不運続きな家系です。
ここからは私の想像ですが、李広将軍も李陵も高潔で兵士や民に人気があったがゆえに、同僚の将軍たちに疎まれ挙句の果ては陥れられたのではないかと。同じ李ですが全く違う李家(武帝の寵妃がいる)の将軍など、ほんと怪しいですね。次回に紹介する2人の将軍、衛青と霍去病も怪しい……。
将軍職は戦場に出れば命がけでしょうが、朝廷での言動も大切です。上司や同僚への追従(おべっか)もコミュニケーションの一つと割り切って、武術戦術以外にも、そちらの腕も磨いたほうがいいような……。
私ほどの年齢になると、人生とは、あちらこちらに角が立たぬように上手に立ち回って、細く長く生きたほうがよいと思うのですよ。どんなにかっこよく太く短く生きても、死んでしまえば、99.99%の人はすぐに忘れ去られてしまいます。『史記』のような書物に書き残される幸運など無きに等しい。
そうであれば、自己満足の世界で細く長く生たほうがいいと思うのです。長く生きたというだけで、自分を辱めたり陥れた人物を見返せることって多いのですよ。
……と、古希を過ぎた老婆は、日々に実感しています。(笑)
ところで、こうして史記の講座でいただいた資料を読み直し、登場人物の概要を改めて書き起こしていますと、そのときの歴史の有様を表すのに、司馬遷は巧みな人選をして、そしていろいろとあるであろう逸話の中から書き残すものを巧く選んでいるなあと思うことです。
まるで、頭の中にその人たちが蘇って、喋り動き回るような感じです。これが『史記』が人の心をつかんで離さない理由の一つだと思うことです。
嘘か本当かは知りませんが、宮城谷昌光さんは出版社を辞した後、田舎にこもって10年間『史記』を読み続け、満を持して『史記』を題材とした小説を書いて、作家デビューされたとか。
そんな話も、なるほどと思えてしまいます。
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