87 №2‐1『史記』に登場する人物<司馬遷>
『史記』に書かれたいい男たち。
その一番手としては、やはり作者の司馬遷、その人のことを熱く語らねば!です。
ところで、私と司馬遷さまとの初めての出会いは、いつのことだったか。
その時期も定かではないのですが、『史記』を知って司馬遷を知ったのか、司馬遷を知って『史記』を知ったのかも、定かではありません。
ただ、司馬遷と聞くと、『灯明が一つしかない薄暗い牢獄の中で、粗末な着物を着て無精髭を生やした男の人が正座して、小さな机に向かって書き物をしている』絵というものが、頭の中に浮かびます。
漫画偉人伝の一コマなのかなあ……。
友人の将軍・李陵を庇って死ぬほどの辱めである宮刑を受けたのち、「自分は『史記』を書かねばならない!」と発奮した。
……、そういうイメージですね。
だから私の頭の中での司馬遷さまは、正義感は強く文才もあるが出世とは縁のない貧しい家柄の下級役人だと、ずっと思っていました。
でも、それはまったく違っていました。
司馬遷は前漢の7代目皇帝・武帝時代に太史令として活躍した人です。天文・暦法や祭祀と国家の文書の起草や典籍・歴史を司った役所の長官です。「いまでいうと宮内庁長官みたいなもの」と、『史記』の先生は言われています。
皇帝を支えて政治の表舞台に立ったのが宰相や将軍であれば、皇帝を裏から支えたのが太史令という役所です。
古代中国において皇帝の権力は絶大ですが、その皇帝は<徳>という価値観によって天に選ばれると考えられていました。
その天の意志を、天文や祭儀によって知ることが出来るのが、太史令という立場です。
皇帝が<徳>を持って天の意志を継ぎ、<徳>を持って政治を行っているのか。見張り番みたいな気概と自負を持っていたのではないかと想像(あくまでも、私個人の想像)します。それが、李陵を庇っての宮刑に繋がったのかと。
そしてまた、司馬家という家柄もすごい。
その家系を遡れば、堯・舜の時代(神話)にまで繋がるというのは、さすがに眉唾ものではあるのですが、しかし、秦の恵文王や始皇帝に文官として仕えた人がいます。周王朝にもいるらしい。
前漢を興したどこの馬の骨かわからない劉邦とは比べものにならない名家です。
下級役人どころかということですね。
『史記』に登場するいい男たち(司馬遷)は、次回の№2‐2に続きます。
(注意としてのお願いです。この『史記』に登場するいい男たちシリーズは、いろいろな媒体から得た知識をもとに、私の頭の中で渦巻く妄想・偏見・独断で味付けしたものです。史実とは異なっていることがあります)
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