88 №2‐2『史記』に登場する人物<司馬遷>


 役所と家の中で、いつも難しい顔をして竹簡に向かって書き物をしていた……という、司馬遷のイメージですが。


 ところがどっこい、彼は大変な旅好きでした。

 あの時代にあの広い中華大陸をけっこう歩きまわっています。


 若い頃は見聞を広めるための旅であったでしょうし、太史令の長官となってからは、皇帝の僥倖(視察)に付き従っています。


『史記』の講座で、彼がその生涯で歩いた行程を地図で見たときは、驚きでした。


 ただ、行程はわかっていますが、交通も不便で治安も悪いあの時代に、同行者などを含めてどのような形での道中であったかは不明です。




 これは余談ですが、『史記』の先生も司馬遷の旅の行程をなぞって、踏破されています。先生のお若い頃の話ですから、司馬遷の時代とは比べものにはならないとしても、やはり交通の不便などはかなりあったようです。


 それでも「その場に立ってこそ、わかることがある」と先生はおっしゃられていました。


 司馬遷もまた『史記』を書くにあたって、「その場に立ってこそ」という思いがあったのかも知れません。


 ところで、司馬遷についてウィキで調べたのですが。

 なんとそこでは司馬遷のことを、歴史家であり冒険家と紹介されているのです。


 私の頭の中では<ネクラな歴史と文学オタク>であった司馬遷の肩書が、なんと冒険家なんですと!


 ほんと、これには目から鱗が落ちるという表現がふさわしいくらいに驚きました。


 なんとなんと彼は、人並み外れた健康な体と丈夫な足と強靭な精神を持ち、チャレンジャー精神も旺盛な冒険家だったのですよ。(ここを強調したい!)



 この時、長い間、私の頭に鎮座していた、『灯明が一つしかない薄暗い牢獄の中で、粗末な着物を着て無精髭を生やした男の人が正座して、小さな机に向かって書き物をしている」という司馬遷のイメージが、みごとに崩れてしまったのです。


 彼が屈辱的な宮刑に耐えたのは、史記を書き上げたいがためと伝えられています。

 そういう手紙も残っているらしいです。


 ……でも、それだけなのでしょうか?


 確かに宮刑で発奮はしたでしょうが、私が想像するようなネクラ文系オタクの発奮とは種類が違うような気がします。


 それで私は先日の講座で手を上げて先生に質問したのですよ。


「司馬遷の『史記を完成しなければ、死ねない』という発奮が、世間に刷り込まれたイメージとは違うような気がします」


 こういう曖昧模糊とした素人の文学的(?)質問にも、丁寧に答えてくださるのがこの先生の素晴らしいところです。


「宮刑を受けて発奮したのは発奮したでしょうが、私も、世間にひろく伝わっているような、書きかけの『史記』に対する悲壮感溢れる決意のようなものではないと思っています」


 申し訳ありません。

 この先生の答え、わかりやすく要約するためにかなり脚色しています。


 喋る時の声の調子とか顔の表情で、言葉って省略されてもかなり以心伝心で伝わるものです。あっ、それに、聞くものの先入観とか思い込みも加わります。


 そして、答えられたあとに先生は、衝撃の事実を教えてくれました。


 ……ということで、長くなりましたので、この続きは次回にということで。(笑)




(注意としてのお願いです。この『史記』に登場するいい男たちシリーズは、いろいろな媒体から得た知識をもとに、私の頭の中で渦巻く妄想・偏見・独断で味付けしたものです。史実とは異なっていることがあります)



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