※ 2023年 ※
80 漢詩を学ぶ ≪2≫
(前回まで連載していた、純文学系の同人誌に所属していた若い頃の思い出話ですが、書き続ける情熱が失せました。またいつか、その気になったら、続きを書きたいと思います)
……ということで、新しい話題です。
このエッセイの73話『漢詩を学ぶ ≪1≫』で書いたことなのだけど、昨年の4月から、カルチャセンターの『漢詩を楽しむ』という講座に、月に一度通い始めた。
この1月、ちょうど10回通ったところで、唐時代の世界的大詩人・<李白>が終わったところ。
ちなみに、次回からは<杜甫>です。
漢詩の講座に通う前に、3年半ほど『史記』の講座に通った。とてもおもしろくてずっと続けていたかったのだけど、残念ながらコロナ禍でカルチャ―センターそのものが閉校してしまった。
この3年半で学んだ『史記』で、国が興り滅んでいくなかで、活躍したりまたは翻弄された人たちについて、いろいろと知ることができた。
古代中国に生きる人たちの人生観とか価値観を学ぶことが出来たように思う。
またそれは、自作小説の『白麗シリーズ』に登場した荘興と荘英卓の父子や承将軍の人物造形に役立ったと思う。
そして新しく学び始めた『漢詩』では、古代中国に生きる人たちの情感や自然観を知ることが出来るのではないかと思っている。
私は郊外の住宅密集地に住んでいるので、毎回の講座で、「そういえば、カエルの鳴き声も秋の虫の音も、この数十年、私はまともに聴いたことがない」ということに気がついた。
そして空の色も雲の流れも、家の屋根屋根の間から、四角く切り取られたものを見上げるしかない。縦横に走る電線も邪魔で……。
空の色に雲の流れに、移ろいゆく季節そして儚い人生など感じる風情もない。
そういえば、降ってきそうな満天の星というのを見たのは、何十年昔のことになるのだろう。大海原・大河・険しい山並みというのも、実際に目にする機会はほとんどない。
そうそう、李白の『送友人』について学んでいた時、この時代に遠くへ旅立つ友人を見送るということは、二度と逢えないということを意味する」という先生の言葉に、はっとなった。
スマホもなければ、手紙が確実に相手に届く保証もない。
ここで見送れば、それは今生の別れだ。
……ということで、『漢詩』を学ぶことで、自作小説の古代中国に生きる人たちの情感や自然観の描写において、参考に(もしくは盗用?(笑))したいものだと思っている。
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