75 昔々の同人誌活動の思い出 ≪1≫
カクヨムで書いていた自作小説『白麗シリーズ』が、もうすぐ三部作の80万字で完結する。
カクヨムに在籍して4年、この『白麗シリーズ』だけを書いてきた。
私は若い頃の20年(30代半ばから50代初めまで)、現代詩の同人雑誌で詩を書き、純文学系の同人雑誌で短編を書いていた。
当時、自分の書いた詩や小説を発表する場所というのは、自費出版か、同人雑誌しかなかったからだ。そして仲間と切磋琢磨する場所というのは、これは同人雑誌の同人になるしかなかった。
たった30年で、純文学系の同人雑誌に在籍していたことがが、大昔のことのようになってしまったのは、すべてインターネットの発達に関係している。
そのことはあとで書こうと思う。
在籍していた純文学系の同人雑誌の歴史は古く、その格調の高さで全国でも名前が知られていた。
そういうことも知らずに書店の同人雑誌コーナでその雑誌をみつけて、「小説が書きたい」という思いだけで飛び込んだ。「同人になりたい」という手紙とともに、初めて書いた30枚の短編小説を主催者に送りつけた。
入会を許されて何年かして、主催者の「ここに入会するには、それなりの基準があります」という言葉とともに、入会を断られている人もいると知った。
その時に、自分がとんでもないことをしたのだと初めて気がついて、冷や汗が流れた。数年前、カルチャーセンターの「史記を学ぶ」の講座で知り合った80歳の方に、「えっ、あんな恐ろしいところにいたの?」と言われた記憶は新しい。
内向的な性格だと思っているわりには、時々、とんでもない行動に走ってしまう。それが性格的長所か短所なのかは、70歳を過ぎたいまでもわからない。(笑)
それにしても、こんな田舎町によくぞそのような同人雑誌があったものだ。その出会いには感謝してもしきれない。
同人雑誌は年に2回、300~400冊ほど印刷して、そのうちの三分の一くらいは全国の同人誌仲間に贈呈し、『文学界』とか『海燕』とかの純文学系雑誌や新聞社などにも送った。そして残りを仲間で買い上げていた。
当時は、全国に純文学系の同人雑誌グループがたくさんあって、お互いの雑誌を贈呈しあうことでの交流が盛んだった。
私が在籍していた最後のころは、全国の同人雑誌交流を目的とした大会などもあって、私も参加して演壇に並んだこともある。
実をいうと、何も知らずに飛び込んだ私だったが、最後にはその雑誌の発行人を務めたのだ。
男の書く中華小説&女の書く中華小説の違いについて書くつもりだったのに、昔の思い出話が長くなってしまった……。
次回に続きます。
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