60 あさのあつこの『弥勒シリーズ』が大好きだ ≪4≫



 前回の≪3≫の続きです。

 エンタメ小説とファンタジー小説の人物造形について考察します。

 あくまで、初のエンタメ小説でありまた長編ファンタジー小説でもある、白麗シリーズを書くにあたっていろいろと考えた、自分のための考察です。




 ① まずは、自分がそうでありたいと思う女性キャラと、自分好み全開の男性キャラを作り上げる。


 ここで、恥ずかしがったら、だめだ。

「そこまで、自分をさらけ出すなんて。小説であっても書けません」というためらいは、小説の面白さを半減する。


 それから、こういうキャラだったら、読者受けするのではなかろうかというさもしい考えもすっぱりと捨てよう。


 読者受けキャラは、すでにたくさんの小説にこれでもかというくらいに書かれているので、どこかで見たキャラになってしまう。

 読者受けキャラで本当に新鮮に読者に受けるのは、これはプロの仕事だ。


 それと、読者を意識して作りあげたキャラって、読者の反応を気にした作者のその時の都合で、右や左に向き始めるような気がする。

 言動に一貫性を保つのが、難しい。




 ② 次はその脇を固めるサブキャラたち。


 突っ走る主人公たちにブレーキをかけ、知恵を授ける分別ある大人たち。


 これは<弥勒シリーズ>では岡っ引きの親分である伊佐治だ。

 白麗シリーズでは、関景・允陶・承将軍などを当ててみた。


 それから憎めない口煩さで、周囲を明るくする人。

 ある程度世間を知った色恋沙汰からは離れた女の人が適役。

 <弥勒シリーズ>では、伊佐治の妻のおふじさんとか、清之介の小間物屋で働くしっかりもののおみつさん。


 しかし、白麗シリーズでは、これは萬姜さん一強です。(笑)




 ④ そして、物語りに凹凸と深みを与えるために、年寄りや子どもも適当に散りばめる。


 ある時、「ラノベとエンタメ小説の違いは?」と聞かれたことがあった。


 私は、「大人向けエンタメ小説は、いろいろな年代の人間がリアリティを持って登場するところが、ラノベとの違いだと思う」と答えた。

 これは、作者がある程度の年齢で、人生経験もある程度はないと書けない。


 学園もののラブコメラノベだとクラスメートばかりのイチャイチャの世界だ。

 学園ものでも、児童文学というジャンルになると、そこに先生や親や兄弟姉妹や親戚や近所のおじさんおばさんが、ちゃんとした人格と背景を持って加わってくる。


 ④ そしてこれは白麗シリーズを書いていて気づいたことなのだが、動物離れした行動をとる動物や架空の生き物(龍)を登場させると、ぐっとファンタジー小説らしくなる。






 以前、純文学を書いていた時、「小説は、語彙を使った方程式」と感じたことがあった。


 遠い風景を描けば、最後の1行は近景で締める。

 深刻な心理描写をだらだら書いたあとは、その人の顔の表情とかちょっとしたしぐさを書き加えて締めてみる。

 過去を回想すれば、最後は自分で作り上げた気の利いた箴言で締める……とか。


 エンタメ小説は、登場人物の造形から始まる、語彙を使ったよりもっと強固な方程式ではないかと思う。


  そして、こういう方程式を頭の中に一杯持ち、臨機応変に使いこなせるようになると、執筆がかなり楽になる。




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