55 目標は、女・宮城谷昌光ってどうよ?(笑) ≪2≫




 ある日のこと、『史記』の講座の先生が言った。


「中国では、司馬遷の『史記』は日本ほどには読まれていません。つまり、『史記』は、中国ではあまり人気がないのです」

 そう言った先生の悔しそうな口ぶり……。(笑)

 



 でも、どうして人気がないのかは、それがその日の講座のテーマではなかったので、触れられることはなかった。


 質問大好き私としてはすぐに手を上げたいところではあったけれど、質疑も応答も長くなりそうな感じがしたので止めた。


 古代中国には司馬遷の『史記』以外にもいろいろな書があるから、『史記』だけに人気は集中しないのだろうと、解釈することにした。





 そして昨年の秋、コロナ禍のために、残念ながらカルチャーセンターは閉校となった。


 最後の講義の時だった。


 先生は『史記』の総纏めの講義をされた。

 その時、先生は『史記』の素晴らしさとともに、珍しく『史記』の歴史書としての欠点も述べられた。



 ①庶民の生活についてまったく触れられていない。

 ②女性の生き方について書かれていない。

 ③宮刑を受けてはいるが、宮廷においての地位が高い司馬遷は特権階級だ。そのために、やはり描写には上から目線なところがある



 言いたくはないけれど、学者の良心としてやはり最後には言っておかねばならない、そんな感じがした。

『史記』の研究に半生をささげた『史記』大好き先生から聞いた、最初で最後の『史記』の書としての欠点だ。




 あっ、そうそう、その時のこと。


 先生がとても悔しそうな口調で、

「しかしですね、男性の奴隷的従属立場としての女性だけが、『史記』に書かれているわけでもありません。

 ここの描写なんかは、女性がそれなりに意志を持って、その時代を生きていたと僕には思われるのです」

 といわれて、紹介してくれた一文がある。



 ――父親が娘をある男に嫁がせたものの、夫となった男は凡庸で出世の見込みが感じられなかった。

 そのために、離縁させて実家に戻らせた。

 そしてその後、将来有望な男を見つけて、娘を再婚させた――



「う~~ん、先生。

 それは、やっぱり、女性の主体性を書いたエピソードではないでしょう」


 本当は私、そう言って突っ込みたかったけれど、遠慮した。(笑)




 でも、『白麗シリーズ』に出てくる「退屈な男とは、添い遂げたくない!」と、婚家から2度も出戻った千夏さんは、この時の先生の話が元ネタだ。


                          

                              (続く)

 


 


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