54 目標は、女・宮城谷昌光ってどうよ?(笑) ≪1≫



 4年前に買った宮城谷昌光の小説を読み直している。

 それで今回は、50話で紹介した短編集の中の『鳳凰の冠』



 前回の同じ短編集の中の『妖異記』と『豊穣の門』は、周王朝(西周)滅亡が舞台だった。滅亡に手を貸した男たちとそれを阻止しようとした男たちのそれぞれの思惑が絡み合う国盗り物語りだ。


 それもあって、小説の中に女性は、幽王の正妃と愛妾の褒姒ほうじの2人しか登場しない。


 西周の太子を生んだ正妃は物語りの進行上どうしてもしかたなく。

 そして笑わないことで西周を滅ぼしたという褒姒ほうじは、笑いもしないがほとんどセリフもなく。


 テーマが男たちの国盗り物語りであるから、しかたがないのかなと思ったり。

 それとも、宮城谷昌光さんの小説をまともに読むのはこの短編集が初めてでありながら、偉そうにも、彼は女性を描くのが得意ではないのかなと思ったり。




 そうしたら、この『鳳凰の冠』では、2人の女性が主要人物として登場し、かなり丁寧に描かれていた。


 2人の女性は、主人公で晋の賢臣としてその名を後世に残した叔向という人物の、母親と妻だ。

 どちらも賢婦人だが、それぞれに真逆にタイプが違う。


 母親はもともと男にとっては少々鼻につく賢い女だったが、それがだんだんと、夫をないがしろにしたうえに、婚家を呪うようにさえなる。

 これは、彼女の夫(叔向の父親)が美女の妾を家に引き入れたことから、顕著になったようだ。


 そしてもう一人の女性の叔向の妻は、こちらは常に夫より一歩も二歩も後ろに控えている、文字通りの賢婦人だ。

 ただし叔向は父親と違い、この妻を結婚前より見染めていて、結婚後もたった一人の妻として愛し抜く。



 しかしながら、この短編『鳳凰の冠』は、賢臣である叔向がいかに晋の皇帝に仕え、晋という国を盛り立てたかというのがメインテーマだ。


 そのためにやはりこの2人のタイプの違う女たちの描かれ方は、物語りを華やかにするための添え物的ではある。


 宮城谷昌光ファンの中年の男性はきっと、この2人の女性の描かれ方には、それほど関心を持たないのではないかと、私は思う。


 賢婦人ではあるが底意地の悪い母親には、「だから、賢い女は度し難い」と思うことだろう。

 そして、美女で控えめな妻には、「自分にもこのような妻がいて、憂うことなく、天下国家のことに身を投じたいものだ」くらいに思うのではないか。


      

                      (続く)




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