56 目標は、女・宮城谷昌光ってどうよ?(笑) ≪3≫



 この3年で、私は<カクヨム>に掲載されているものも含めて、かなりの量の中華ファンタジー小説を読み漁り、いまどきの華流時代劇ドラマも見た。


 それで気づいたことがある。


 なんとなんと、今どきの古代中国を舞台にした中華ファンタジー小説やTVドラマのほとんどは、天下国家をどう治めるかよりも、美しく化粧してきれいな着物を着た女性とイケメンの恋愛ものばかり。


 鎧兜に身を包んだ髭面の武骨なおじさんたちが、策略をめぐらせ戦場を駆け巡って、「中華統一!」と叫んでいる小説やドラマは、この数年でほとんど目にしなくなった。


 天下国家の話が出てきても、それは、美女とイケメンの恋愛成就を盛り上げるための添え物的エピソードでしかない。


 



 ということで、ここから書くことは、独断と偏見に満ち満ちたまったくの私個人の見解なのだけれど。



 「史記」「三国志」「水滸伝」など、天下国家を論じる男たちばかりが登場し、女性の描写はその男たちの添え物的<国盗り物語り>。


 それらは、今の時代の流れの中で、古臭いものとなってしまったのではないだろうか。


 国家の有り様も、家族の形も、女性の生き方も、倫理観も。

 古代史の研究としては面白いのだけど、読み物としては、たぶん、若い人には理解出来ないほどに古いのだ。


 たとえば『史記』の中で描かれている虞美人。

 項羽の足手まといになることを怖れて自害した。

 薄幸の美女の鑑的存在で、昔は読者の感涙を誘ったはずだ。


 しかし今どきの若い人たちの感想は、

「なに、それ? 

 どうして、女は足手まといなんて決めつけるの?

 2人で最後まで戦ったらいいのに」

 なのではないだろうか。


 あのコミック『キングダム』でも、女は将軍として軍師として、男たちと互角に戦う。そして、その世界観に若い人たちは熱狂する。



 少し前まで、読むもの見るものの者の胸を震わせた古代中国の世界観が、なんかなんか古臭い。


 そして、宮城谷昌光ファンのお叱りを覚悟で言わせていただくと、その古代中国の世界観を再現しようとしている彼の小説もまた、なんか古臭い。



 まさかまさか。


 日本人の言語と行動基準の血や肉であり、倫理観の骨格を形成しているとさえ思っていた、中国古代思想。

 それが隅に追いやられ、古臭いの言葉で片付けられようとしている。


 その潮流の変わり目を、いま、私は見ているのだろうか。


 これってあの東京五輪組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言騒動の時に思ったことと似ている。


 確かに森さん、今どきの公の席では言っちゃいけないことを言った感じもするけれど、それでも辞任に追い込まれるほどなのか。


 森さん発言を許さないという時代の変化も理解出来るのだけど、まだ自分の半身は森さん擁護世代なのだなあと、あの時つくづく思った。


 


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