31 皇帝の食卓から思うこと




 華流や韓流の時代劇ドラマを見ていて、皇帝や王様の食事の豪華さには驚かされる。

 特に皿数の多さ!

 一人であんなにたくさん食べられるものだろうか?

 残ったら惜しげもなく捨てるのが、権力を握る人たちだけに許された贅沢というものなのだろうか。

 

『史記』の講座で、古代中国では、国家予算の半分が宮廷を維持するために使われると教えてもらった。

 先生は言った。

「国家予算の半分が、あの高い塀に囲まれた宮廷というところに住む人間のために使われる。例えていうなら、日本の毎年の国家予算の半分が、宮内庁で使われるという感覚です」




 しかし、韓流時代劇映画『王になった男』を見た時のこと。


 王の替え玉となった貧しい男が、初めての食事で食卓の上に並んだものを全部食べてしまい、女官から「残ったものを私たちが食べるのに、全部食べてしまっては、今夜の私たちは夕食抜きです」と言われるシーンがある。


「ああ、そう言う仕組みになっているのか」と、この時、初めて知った。



そしてその後、『蒼穹の昴』を書いた作家の浅田次郎さんが、西太妃の豪華な食事について解説しているのを聞いた。

 

 彼女が、食卓の上に何十皿と並べられた料理を1口ずつ食べるのは、豊作への感謝と祈願みたいな意味合いもあるのだとか。

 毎日毎日、国内外のいろんなところから食材の献上品が届けられて、それを天の神に感謝し作った民を労いながら食べるのは彼女の仕事でもあったのだとか。

(記憶を頼りに書いているので、曖昧な表記となっています)





 贅沢の証だとばかり思っていた皇帝や王様の皿数の多い贅沢な食事だけど、それなりの理由があるというのが面白い。


 そういえば、以前に、平成天皇の年間行事予定というのをみたことがあるけれど、毎日毎日、ものすごい数の行事をこなされているのには驚いた。週休二日制などというものからは程遠い日々だ。

 三権の長とかいう立場の人たちを皇居に招いての会食もまた多い。

 国民の生活を支える人たちへの労いの意味があるのだろうけれど、ご夫婦二人でゆっくりお食事という日がものすごく少ないない。


 華流時代劇ドラマ『紅楼夢』を観ていた時も、主人公の皇帝の妃になったお姉さんが過労死したシーンがあったような……。


 皇帝・天子・王様って、一挙手一投足が天の神の子として民の平安の祈りに繋がっているという感じで、まじめにこなせばかなりの激務でもあるのだろうと思う。


 






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