16 『史記』は『源氏物語』ではないようだ……



 退官された大学教授による『史記』の講座に通って、この春で三年となる。


 そして、私は大人しく座って講義を拝聴する生徒ではないことは、前回の『国造りにも、新しい血は必要だ!』に書いた。

 私の質問は、講義の内容を聴きそこねたから確かめたいとか、「そこのところを、もう少し詳しくお願いします」というようなものではないことも、前回、書いた。


 ちょっとした質問の変化球だ。


 もちろん質問に対する答えも知りたいが、何よりも答える時の講師の顔色とか態度のほうに興味がある。

 どうにも止めることの出来ない好奇心というものだろう。

 



『史記』の講座のごく初期のことだった。


 それまで、私は『史記』の内容については、小説の形に書かれたものとか映画やドラマでしか知らなかった。

 だから『史記』って本当は堅苦しい歴史記述本で、それを後世の人間たちがおもしろい小説や映画やドラマに脚色しているのだろうと思っていた。

 なんとなんと、漢文読み下し文のような和訳で読んでも、『史記』って、もうそれ自体が、何千年前に生きていた人の息遣いが聞こえるかと思えるほどに、面白い。


(これは余談だが、その面白さが、『史記』を歴史記述本としてとらえるか、受けを狙った読み物本としてとらえるか、研究者を二分するところとなっている)

 


 話は元にもどして、『史記』のあまりの面白さに、私、先生に質問したのだ。


「史記って、もしかして、当時の漢の宮廷にあって、連載を楽しみにされていた読み物だったのですか? 

 例えるなら、紫式部の書いた源氏物語みたいな感じで……。

『遷ちゃん、今回も面白かったよ。はやく次を書いて~~』と、言われていたとか」



 先生、むっとされて、「それは違う」と即答。

 しかし、明確な答えはくれず……。

 私も、「あちゃ~~、どうやら、先生を怒らせてしまったわあ」と思ったのだが。


 あの日から三年近くたって、講座を聴き続けることによって、私は自分の質問の答えを知り、先生のむっとされた顔色の意味を理解した。

 世の中には、三年かけて勉強することでおのずと知ってしまう、答えというものあるのだなあ。


 そんなことを感慨深く思っていた先日、先生が言われた。


「皆さんも、ここへは『史記』を勉強されに来ていることだと思いますが、私も、皆さんから勉強させてもらっていると、最近、つくづく思います」


 う~~ん、その言葉、私の顔を見て、先生、絶対、言われたよね?





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