Ⅳ. 追撃と降伏

 気を失ったままのマリーをフランドとフィロに預け、船長は持ち場に戻った。ヴィンダリアは、猛スピードでウルティマ・トゥーレの磁場から逃げおおせていく。それでも当然のことながら、ダリアンたち働き蜂の飛行艇のヴィマナはヴィンダリアに着いてくる。が、彼らも先程の“奇跡”を起こしたのが、彼ら自身も知らない、“第8の”働き蜂の仕業だとは、勿論、知る由もなかった。


 ただルルドだけが何かに感づいていた。もしかしたら、あれは……。彼は自身もまだ働き蜂のヴィマナに宿っていた聖虫だったときのことを、一人思い出していた。どちらにせよ、このアガルタにいる限り、養蜂家の手の内から逃れられはしないのだ。それを知っているように、ウルティマ・トゥーレは微動だにしない。働き蜂たちのヴィマナも、そのことを知っているのかように、ずっとヴィンダリア号の動向を見張っているのだ。


「いつかこのふねは力が尽きる。その時を待っているのだろう」


 重々しい足取りで、船長が客席に入ってくる。今、艦の機関車はヴィマナ自身の自動制御で動いていた。これほどの未知の力で動いているのに……。

 

 そう燃料切れ。当たり前のようだが、ヴィンダリア号は蒸気機関車。不思議な話だが、ヴィンダリアは地上世界の蒸気機関のそれを搭載したヴィマナなのだ。空まで飛ぶのに? その宿命は地上だろうとアガルタだろうと、何ら変わりなかった。


 そうなれば当然の如く、ヴィンダリアは地上へ戻らなければならない。この働き蜂の親ヴィマナである甲虫蒸気艦が、もしあのケペレル社の蒸気船がメタモルフォーゼしたものなら、その専用ドッグへ戻り、燃料の補給を受けなければならない。そんなことって……。ルカもティオも絶句したが、それが本来、当然のことなのだった。そうやってこの甲虫蒸気艦は、常日頃から、こうして地上と地底とを行き来していた。


「そんな馬鹿な!? ここまで逃げてきたのに! どうにかならないんですか? 船長!」

 ティオも思わず船長に前乗りになって尋ねたが、返答は変わらなかった。

「……残念だが、こればかりはどうしようもない。皆、腹を括るしかないようだ」


 燃料の補給を受けなければ、当然ヴィンダリアは停車するしかない。どちらにせよ、我々は井の中のかわずなのだ。最初から抵抗すること自体が、無駄な努力だったのに。それでも彼は、その運命の拘束を自ら振り切ろうとした。くっくっくっく……。その場に立ち尽くし俯いた船長は、身体を震わせながら腹の底から絞り出すような低い声で一人、笑い出した。


「ふっ……養蜂家ハイデンシーク。笑わせるぜ」


 長いざんばら髪から片目だけ覗いた船長の鋭い眼光。それはまるで、追い詰められた手負いの獣のそれそのものだった。船長のその含み笑いに不敵なものを感じて、ルカは思わずぞっとした。この人は、きっと何もかも、まだ諦めていないんだ。


 だが、ダリアンはそうなる前にシャル姫を奪還するつもりでいた。そう――姫は、本来地上では生きられない身体なのだ。だからこそダリアンは、こうなることを心の片隅で一人危惧していた。……お前は馬鹿だ。ヴィンダリアに乗れば、いずれこうなることは解っていたはず、それなのに。だがシャルロッテは、その命懸けの賭けをしてまで、あの雄蜂の少女を導きたかったのかもしれない。


「待て、ダリアン!」


 ダリアンは、ギースらの静止も聞かず、そのままヴィンダリアに近づいた。猛スピードで疾走する列車の上は、すぐさま吹き飛ばされそうな強風に晒されていた。ダンッ! ダリアンは、かまわずヴィンダリア号に乗り移ると、姫の姿を探した。


《ダメよ! ダリアン……!》カナリアの精神感応波が追いかけてくる。確かにこのままでは、ダリアン自身も危ない。そう、働き蜂自身も、女王蜂同様、そのまま地上に出ることはできなかった。


「船長、働き蜂だ!」


 ルルドの声に船長は振り返った。見ると、上部甲板に働き蜂ラプトのリーダー・ダリアンが強風に耐えながら、へばりついているのが光学スクリーン越しに見えた。船長が表に出ると、ダリアンがすかさず発砲してくる。それを避けながら船長も応戦した。


『ダリアン!オルガ援護する!ダリアン、無事!』

 ダリアンのヴィマナ・オルガも、すぐそばに滞空して船長を狙った。

「オルガ、お前は手を出すな!それより姫を……!」

 ダリアンの命を受け、オルガは独自のセンサーを使い、女王蜂の姫を捜した。


「ヴィンダリア号、地上への航路へ入ります!」

 ウルティマ・トゥーレでは余裕の表情で、画面に映し出されたそれを、今まさに眺めている養蜂家の姿があった。

「――あとはオズワルドに任せるのだ」


《ダリアン、もう無理よ! はやく離脱して!》

 カナリアの切迫した声が脳裏に響く。最早これまで――。


 ヴィンダリア号は、まるで吸い寄せられるかのように、その薄暗い横穴の坑道へと入っていく。そしていつしか、その甲虫蒸気艦は、いつかルカがここへ来た時に不思議な歌声を聴いた、その地底湖へ。アクア・ヴィーテ、生命の泉だ。すると辺りはまばゆい光に包まれて。


 その瞬間、ダリアンは自身のヴィマナに強制収容された。いつしか光の中に吸い込まれていく彼のヴィマナ、オルガ。ダリアンの絶叫が、その最後の瞬間に響き渡って消えた。


「シャルロッテ……――ッ!!!」


 次の瞬間ルカたちは、嘘のように本当に眩しい太陽の真下にいた。まるで、すべてが夢だったかのように。地底世界はすべて消え失せ、そこに広がっているのは、青い青い海と空。整然と蒸気船クイーン・リズ号の姿に戻ったふねは、そのまま真っ直ぐある港のドッグへと寄港する。そこで待っているのは、あのケペレル社の御曹司、オズワルドだった。


          * * *


 どこまでも続く砂漠で、ずっと自分は彷徨っていたような気がする。でもそこには、太陽の光はなかった。灼熱のそれの代わりに、まるで太陽のその熱とは違う、もっと柔らかな光が満たされて。それは月の光なのだろうか。ただ指の間から零れる砂粒だけが、その青い光の中、虚しく時間ときの推移を告げる。シャルロッテと呼ばれていたその姫は、いつも誰かの姿を探していた。それは女王蜂の宿命を背負わされた自身には、許されぬ恋だった。


 が、その人の横顔だけが、凛とその心に刻まれ……。働き蜂ラプトは、女王である自身に永遠の忠誠を誓いそれを護る存在であると同時に、女王である自身をずっと監視し、その働きを後生まで見定める審判者でもあったのに。まるですべてが最初から仕組まれたこと。おそらくここにはない。本当の私の心は――。


 勇敢な戦士であり守護者でもある働き蜂のダリアン。一度たりとも間違いを冒したことなどなく、この理路整然とした世界に、たった一滴の混沌すら許すことなく。それでもきっと私たちは。目に見えない透明な壁越しに、互いの指先を合わせ、瞳と瞳だけで言葉にならない想いを交わし……。口づけを交わすことすらない、その刹那。それでも、それすらも罪であるというのなら。


 私はきっと、死をもってようやくこの想いを彼に告げるだろう。


 はぁはぁはぁ……、苦しげに眉根を寄せ、虫の息で肩を震わせ。最早瀕死の状態の、小さないたいけな少女。この地上の初夏なつの太陽が、どれほどその身に大きな負担となっているのか。確かにアガルタの太陽は、地上のそれとはまるで違っていた。そう、何もかもが違いすぎるのだ。地底は、そこでようやく育まれた仮の命を癒すためのもの。その薄いヴェールのような白い皮膚など、たちまち溶け落ちてしまうだろう。


 これはきっと罰。彼を愛した罰。そして自ら私は、その罰を受けようと、あのふねに乗った。そうなのだ――多分。でも彼はやってきた。私を救い出しにやってきてくれた。それは私が女王だから? そうかもしれない、でも。やはり私は夢見てしまう。愚かな夢を、この胸に抱いてしまう。このはてしなく途切れることなく続く、鳥籠の夢の中。私を抱いて、抱いて下さい……ダリアン。あの激しく燃え盛る、灼熱の太陽の光に灼かれ、このまま燃え尽きてしまっても構わないから。


 その艦は、そのまま自らが最初に造られた港のドッグへと入っていく。それはまるで何十年も時を経て錆び付いた、到底、ひと月ほど前にこの港を出港した、その同じ豪華客船の蒸気船とは、とても思えぬ変わり果てた姿で――。


 まさか、こんな……。改めてルカは絶句した。それほどの何かの大きな圧力がかかっていたのだと思えてしまうほど、この艦は今とても疲れ果てていた。だから定期的に地上に戻らねばならなかったのか。それはただ燃料を補給すればよいというレベルの話ではなかった。時の集積……やはりアガルタと地上では時間の進み方が違うのか。いずれあの世界に居続ければ、このままどうなっていたかも解らない。


「つまりはそういうことだ。我々は決して奴らからのがれることはできないということなのだ」


 まるでこの艦のあるじそのままに、同様に疲れきった様子で独房の床に腰を下ろし、傍らで項垂れた船長が呟く。その疲弊した姿は最早あの眼光鋭い、元の同じ人物とは思えない変わりようだった。どんなに自由を求めて、その籠の中から逃げ出そうとも、いずれその手のうちに捕まる。世界とは、おそらくそうした到底抗えぬ倫理で出来ている。……絶望。そう思うと、その船長の姿を見ているのが耐え切れなくなり、そのまま甲板に走り出て手すりにもたれかかったルカは膝から崩れ落ちた。ティオもただ呆然と海を見ている。


 ルカはこの蒸気船の地下室で応急処置の治療を受けているシャルロッテのことを思った。ルルドは地上へ出たら、すぐに相応の処置を施さねばならないと言って、その瞬間消えてしまった。やはりアガルタの聖虫も同様に地上で存在してはいられないのか。お願い、誰かシャルを助けて!透き通るようなその肌が次第に血の気をなくしていくのをルカはずっと見ていられなかった。でもきっと港に着けば。そう、港に着けば――。 


 案の定、港では、あのオズワルドが、ルカたちを待ち構えていた。


「また会ったね、お嬢さん」


 涼しげなマスクを眼鏡の奥の瞳に宿した、青年C.E.Oオズワルドが、当然のように港でルカたちを出迎えた。まるで、ひと月前のあの蒸気船での出来事が嘘のように。ルカもティオも思い出したように、彼を前に再び無言で警戒する。でも……。


「“彼女”は、どうする……?」


 そうオズワルドに指摘されて、初めて息も絶え絶えなシャル姫のことを思い出す。地底世界アガルタの、しかも、その女王蜂は、地上の日光の下では長くは生きられない。……ルカたちは、おとなしくオズワルドに従うしかなかった。船長は勿論、マリー姐さんたち一行も拘束されてしまうだろう。オズワルドは何もかも見透かしているようだった。それは無論ルカのペンダントの秘密も。


「……ブルー・エトランゼ、素敵な名前だね」


 これみよがしに、とても気に入ったという風に、含み笑いの中から青年C.E.Oは呟いた。

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