Ⅲ. 船長との対話

「いやぁぁぁ!止めてぇ!ゆるしてぇぇぇ」


 ブルー・エトランゼのペンダントの光芒に包み込まれたマリーは悲鳴を上げながら、そのままウルティマ・トゥーレの下部に吸い込まれていった。養蜂家は雄蜂の娘ルカを捕獲したつもりだったのだが、あろうことか今そのペンダントを手にしていたのは、全くの無関係なマリー姐さんその人であった。


 その頃ペンダントをなくしたルカは、意気消沈しながら、ティオと共にルルドとシャル姫にその旨を報告するのだった。


「……感じる。今ブルー・エトランゼは、あのウルティマ・トゥーレの中だ!」


 えっとなったルカはその巨大な蜂の巣のような養蜂家の浮遊要塞を車窓から見上げた。「も、もしかして、あのおば、……いやマリー姐さんも!?」ティオも驚愕する。


「まだチャンスはあります。ともかくあの花の種は、ルカが持っていないと意味のないものなのです」


 姫のその言葉の真意を、未だ解りかねているルカ。そうこうする間に、例のあの働き蜂ダリアンのヴィマナがヴィンダリア号の目前に迫ってきていた。


「ダリアン……姫はやはり、あの先頭車両にいるようよ」

 自らのヴィマナ、ルシエルナガの力も借りて、ダリアンにそう報告するカナリア。


「ルシエルナガの光学透視能力をもってして、ようやく……ですか。メルギトゥル、どうやら私たちの出番はなさそうですね」


 ダリアン以上に冷静なラヴァエルが自身のヴィマナ・メルギトゥルの上でひとりごちた。それだけ甲虫蒸気艦の装甲は厚いということを、今更ながら自らの親ヴィマナのポテンシャルとして実感する彼ら。普段、主に攻撃に徹するダリアンやギースそしてシェスカを後方から支援する役割のカナリア、そしてラヴァエル。主に二人はチームの盾となる防御兼、情報解析担当を担っていた。


 が、先頭車両に姫がいるのであれば、迂闊に攻撃はできない。そもそもヴィンダリアはダリアンの親ヴィマナ。ならば、やはりダリアンが主だって出る他は、有効手段は何もないはずだった。


「えぇえぇえ、もういやぁぁぁ……!!」


 まるきりブルー・エトランゼのペンダントに翻弄されながら巨大浮遊要塞の内部に吸い込まれていくマリー。が、次の瞬間、我に返ると、そこは格納庫のような薄暗い場所だった。え? 何? え。辺りをキョロキョロと見回すマリー。すると一瞬の間を置いて、ペンダントを手にしたままのマリーにスポットライトのような光線が当てられ、さらに仰天するマリー。


「なに? 雄蜂の娘ではない?」

「はい、特異点自体は計測されているのですが、これは雄蜂の太陽特有の生体反応ではありません」


 部下であるオペレーターの報告を聞き、この養蜂家とあろう者が、まさか人違いとはな。と、一人些か鼻白むハイデンシーク。


「まあよい。例のモノさえ回収できれば、それでよい。その女は、そのまま人工太陽炉へ」

『――待て!』


 その時、ウルティマ・トゥーレの光学スクリーンが、ヴィンダリア号の船長の精悍な顔立ちを映し出した。


『取引だ。俺とヴィンダリアはこのまま貴様らの元に投降しよう。が、その女とペンダントは返してやれ』


 ふむ、それはまたおかしなことを。まあいいだろう。

養蜂家ハイデンシークは、殊勝にも、その条件を飲むことにした。


 先頭の機関車内で、シャル姫やルルドたちと共に、そのやり取りを聞いていたルカとティオ。そんな……! でも、そうでもしなければ、あのマリー姐さんとブルー・エトランゼは返してくれないの!? たとえマフィアの娘とはいえ、マリーも人の子。思うよりも、そんなに悪い人じゃないかもしれない。ルカは地上の蒸気船で一喝されていたティオたちマティウス一家のサーカス団の審判に口を挟んだマリーのことを頭の片隅で思い出していた。


「正直、養蜂家はそんなタマじゃないとは思うけど……、」

 ふわふわと空中に漂いながら、ルルドは何事か思案していた。


「元々俺はこの世界と養蜂家のやり方に嫌気が差していた……人の命を何とも思わない、気に食わないそのやり方にな!」


 船長は果敢にもそう告げた。一見その怖そうに見えた強面こわもての面構えが、その一瞬で突然ルカは頼もしく思えてしまった。それでも養蜂家の目的は、船長とこのヴィンダリアだけじゃなく、女王蜂の姫も、なのではないのだろうか。むしろ普通に考えて、そちらの方が重要なはずである。


「いいえ船長。ならば、わたくしが行けばよいだけです。そう、誰も犠牲にせずともよいのです。あなたがたは、このままヴィンダリア号で、いずこかへ逃げて下さい」


 シャルロッテが前に進み出ると、船長はその瞳をじっと見つめた。船長のその鋭い眼光に射すくめられても微動だにしないシャルロッテ。が――。


「――正直、あんたは信用できないな」

 その船長の意外な言葉に息を呑む一行。シャル姫も船長を見つめたまま凍りついたように押し黙ってしまう。


 そのとき――。


『シャルロッテ……お前は、そのまま城へ戻れ。お前にはお前の使命があるはずだ。それを忘れたのか――』


 働き蜂の青年、ダリアンの精神感応波テレパシーがシャル姫の意識に届いた。ハッとして見上げる姫。ダリアン……。


『解っています。けれど、私にはやらなければならないことがあるのです――』


 真剣な瞳で、目に見えない視線を交わす二人。他の誰にも見えないそれを、なぜかルカは一人感じ取ることができた。その目に見えない二人の会話には、確かに他の誰にも知られてはならない思慕かんじょうが人知れず流れていた。それは……。


 いつしかヴィンダリア号の行く手にその巨大な姿を現すウルティマ・トゥーレ。プォォォォォーーー!! 大きな汽笛を鳴らし、その場に停車するヴィンダリア号。どちらにせよヴィンダリアと船長が投降すれば、皆、逃げる手立てはなくなる。やはりシャル姫がこのまま一人城に戻ればよいだけなのだろうか。ルカがそう思案している間にも、養蜂家の母艦ウルティマ・トゥーレから排出された小型ヴィマナに乗せられたマリー姐さんが。無論、その手にはブルー・エトランゼのペンダントもあった。


「船長……貴殿とは、これを機に話しておきたいことがあるのだ」


 後ろ手に拘束されたマリーと、それを監視する部下数名を付き従え、養蜂家ハイデンシークがヴィマナから姿を現す。確かに養蜂家の狙いは、そこに提示されているものの中にはなかった。それは決してブルー・エトランゼのペンダントでも、ましてや船長やヴィンダリア号でも、そして女王蜂の姫シャルロッテでもなかった。


「なぜこの甲虫蒸気艦を託したか、その理由だ」


 シャル姫もルルドも、その意外な展開に養蜂家の言葉に耳をそばだてた。確かにアガルタで計7隻運行している甲虫蒸気艦に船長が乗っているのは、このヴィンダリアだけだった。あとは機関車のヴィマナ自らが思考するソーマで動いている。そもそも、このヴィンダリアに船長が乗るのも訳ありだった。無論その理由は誰にも明かされておらず、養蜂家と船長との密約によってすべてが決められているはずだった。


 それは養蜂家の強制か、それとも……。が、しかし。ヴィンダリア号の機関車上部の甲板にすっくと立った船長の意向は変わらなかった。


「たとえ貴様が何の愚策を弄しても答えは同じだ、ハイデンシーク。このアガルタに張り巡らされた運行レールがそのすべての返答こたえ、そうだろう……?」


 船長の意思は明白であった。悪はどうあろうと悪であることに変わりはない。たとえそれを弁解した所で、その汚れた手が綺麗になる訳ではないのだ。


「ほう。ならば仕方あるまい。自らのその悪に私は報いることとしよう」

 養蜂家が手を挙げた、その刹那とき――。


「キャアァァァァーーーーー!!!」


 皆が目を見張った。マリーは拘束された後ろ手もそのまま、ウルティマ・トゥーレの小型ヴィマナから落下していく。が、その瞬間……。唐突にマリーは不可思議な光芒に包まれ、その光の球ごと空宙に停空すると、気を失ったマリーを乗せて、ゆっくりと船長の真上に降りていった。見ると、ブルー・エトランゼのペンダントもそれを追っていく。


 船長がマリーを抱き留めるのと、ルカがペンダントをその手に受け取るのは、ほぼ同時だった。奇跡が起きたのか? でも、誰もその奇跡を起こす力は、この場に持ち得ていなかった。それは、ただ一人を除いて。


 ある人物が、このアガルタでの出来事の一部始終を“鏡越し”にていた。それは、言うなれば神の視点……。それは、地上とアガルタとのもう一つの密約を叶えたもの。父である養蜂家ハイデンシークの意思に異を唱える、地上界のオズワルドであった。オズワルドは、自身の配下である“8人目の働き蜂”に、全てを命じたのだった。


「スキ、キライ、スキ、キライ……スキ」


 オズワルドの手にした一輪の花から、一枚ずつ花びらが散っていく。その最後に残った一枚の花びらを見つめ、いつものように、謎めいた微笑みでほくそ笑むオズワルド。その花占いの結果が自身の想いと反するものであれば、その花はなかったことにして棄ててしまう。そう己の思い通りにならないことなど、この世にはないのだ。


 それでもオズワルドは、その太陽の少女が自分自身の意のままに動かぬ真実コトを、少しあとになってから、嫌というほど思い知るのであった。


          * * *


 ルカは自分自身の手元に戻った、ブルー・エトランゼのペンダントを改めて不思議そうにじっと眺めた。なぜ? 父さん……。奇跡は起きるものではなく、起こすもの。もし自分があのオズワルドの蒸気船パーティーに行かなかったら、多分ここにも来れなかった。そう思うと何もかもが不思議。そしてその蒸気船は、ここアガルタの地底界で甲虫蒸気艦に変化した。それがたとえ仕組まれたものであろうとも。


 そして、女王蜂の姫シャルロッテ。彼女は本当に父の手紙にあった小さな少女シャルなのだろうか。そもそも今、ルカの目の前にいるシャルロッテは、その幼子おさなごの君そのものだ。でも、どこかとても大人びていて、さすがに女王蜂の姫様だと、ルカは思った。

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