Ⅱ. ウルティマ・トゥーレ
「あぁ、いい湯だった!」
頬をほんのりピンク色に上気させ、久々にバスタブの湯に浸かって汗を流したマリーが頭にバスタオルを巻いたままのバスローブ姿で浴室から出てきた。そうとも知らず、そんないつもと違う姿のマリーと脱衣所ですれ違うルカ。ヴィンダリア号に二つ設置されている浴室は、男女別で共用となっており、順番待ちだったため、ルカもようやくその恩恵に預かれる番になったのだった。
すれ違いざま、肩ごしにチラとルカを盗み見るマリー。キラン!と光るその視線はまるで獲物を狙う女豹のよう。“アレ”をいつも身につけているとしたら……絶対的にチャンスは一度きり。ルカが浴室の扉の向こうに消えたのを見計らい、マリーはそのまま脱衣所に取って返し、そっとルカの脱衣かごの中を覗こうとしたが、その瞬間、ガヤガヤと女性客の一軍が廊下からなだれ込んできた。ダメだこりゃ……が、そんなことで簡単に挫けるマリー姐さんではない。
「フランド!フィロ!」
呼ばれて飛び出た二人組だったが、さすがに女湯を覗くのは……、またあの綿毛のお化けに鱗粉をふっかけられるのは、二人とも、もうこりごりだった。チッしょうがないね!業を煮やしたマリーは、着替えを済ませ、改めて新たな作戦に自ら出ることにした。
これまで、しばらく慣れない緊張が続いたためか、ルカは久々のお風呂の湯に上機嫌だった。そのため、少しばかり油断してしまっていたかもしれない。姫かルルドにブルー・エトランゼのペンダントを預かっていて貰えばよかったのに、うっかりそのまま服の下に置いて浴室に入ってしまった。マリーの狙いは、そうした緊張感が途切れた際の、当たり前の女子の隙を突くことであった。
「ふっふっふ、見てなさいな!」
そのまま脱衣所に忍び込むのもアレなので、フィロの発明した、伸縮するマジックハンドの孫の手を使って、ルカが着替えを置いたバスケットの中にあるはずのソレを探った。まさか洗濯物の中には入れないだろうと、そっちに的を絞ったのだが。くっおかしいね? さすがに挙動が怪しすぎるので、人の目に触れぬ前に手っ取り早く済ませてしまいたいのだが。
しばらく扉越しに格闘していたが、いつ誰がやってくるとも限らない。マリーは焦った。が、ここで諦める訳にもいかない。ん?あった!マリーは歓喜すると、ソレをマジックハンドに掴んでこちらに引き寄せた。確かに!念願のブルー・エトランゼのペンダントがその先端に引っかかっていた。
「――そこで何をしている!」
突然廊下に響き渡った、その大きな男の声に、マリーは手元に引き寄せたペンダントを思わず取り落としそうになってしまった。振り返ると、黒っぽいマントに身を包んだ、長髪で無精ヒゲの大男が一人。慌てたマリーは、何とか忘れ物を取りに戻った風を装い、いかにも怪しげなアイテムの伸び縮みする孫の手を小さく畳んだ。
「あっはっはっ、何でもない! 何でもないんだよ! ちょっと忘れ物思い出しちゃってねぇ」
ひたすら大げさに笑い、冷や汗半ばで、何とか後ずさろうとするマリー。しかし、男は後ろ手にマリーが隠したペンダントのチェーンがキラリと光るのを視線の端にと捉えた。「それは何だ?」
だから忘れ物……言いかけたマリーだったが、その男の片目だけ前髪から覗く眼光の鋭さにたじろぎ、冷や汗を垂らしながら、ひたすら言い訳を考えるばかりだった。すると、次の瞬間、艦内にジリリリリ!と警報が鳴り響き、「船長!」同時にルルドが血相変えて飛び込んできた。
「働き蜂だ! ウルティマ・トゥーレもいる!!」
「待ってろ! 今行く!」
廊下を駆け抜け去っていく船長をマリーは一人呆然と見送った。
一方、突然の警報に驚いて浴室から飛び出してきたルカは、
「ない!私のブルー・エトランゼ!!」当然、一人パニックになっているのだった。
* * *
働き蜂たちの小型飛行マシンのヴィマナが、次々と飛び立っていく。その先陣を切って
「待てよ!ダリアン!」それを追うギースのヴィマナ。
「リーダーの独断専行は許さねぇ……!」
常にトップの座を狙うギースと、それすら構うことなく自らの目標に向かって、ひたすら疾走するダリアン。彼らに下ったのは、ダリアン自身の親ヴィマナである、甲虫蒸気艦ヴィンダリア号の奪取及び、その船長の身柄確保の命であった。
それはほぼ濡れ衣のようなものである。が、女王蜂の姫を乗せている時点で、その謀反の疑いが船長にかけられてしまうのだった。カウラム、雄蜂か……。船長は、鼻で笑った。姫は自分から乗せてくれと言ってきたのに、おかしな話だ。それでもウルティマ・トゥーレから発せられる信号は、ヴィンダリアの法令違反を示すものだった。
「――面白い!そういうことなら、乗ってやるぜ!」
普段のスズメバチの掃討以外、碌に自由に切ったこともない、その操舵手の舵。それもそのはず、アガルタの鉄道レールとその運行ルールを遵守して決められた目的地に進む甲虫蒸気艦には、元々それ以外の“自由”がなかった。が、その“当たり前”に、その人は反旗を翻した。船長――彼こそは、この艦の操舵者にして自由な羅針盤。
そうしている間に、いつかの小型ヴィマナが爆走するヴィンダリアを追いかけてきた。働き蜂ラプトだ。働き蜂たちは通常は各々の親ヴィマナである、それぞれの甲虫蒸気艦を監視している。それはスズメバチたちの攻撃から己の親ヴィマナを護るためだったが、本来の役目は女王蜂の姫の守護である。今回の任務が、その女王蜂絡みとなれば、働き蜂7人全員の集結も、やむなしだった。
《降伏か、死か。どちらかを選ぶんだな――》ラプトリーダー・ダリアンの声が響く。が、働き蜂のヴィマナは容易に攻撃してこない。シャル姫がいるからだ。働き蜂のリーダーは、ただ執拗に自身の親ヴィマナであるヴィンダリア号を追いかけてくるだけ。
「ルカ……! ルカ!」
ルカを心配したティオが、浴室のある車両まで駆け込んできた。
さすがに着替えは済ませはしたが、半ばオロオロしたままルカはティオに告げる。
「ティオ! ブルー・エトランゼのペンダントがないの!」
「ええ!?」
* * *
「ヴィンダリア号、迂回進路に入ります!」
「やはりそう来るか……」
船長の性格をよく知っている養蜂家は、一人ほくそ笑んだ。思った通り、やつは規定の運行レールを無視して、自在にポイントを切り替え、このまま逃げ切ろうとしている。でも、それもどこまで続くか。ポイントの切り替え自体は、それほど難しいことではなかった。おそらくこちらの運行システムに感応波で穴を開け、容易に侵入して航路自体の変更に介入してきたのだろう。しかし。
「何だよ、これ?ただの花の種じゃないか」
その頃、マリーはルカのブルー・エトランゼのペンダントの中身にがっかりしていた。てっきりもっと違う有難い何かを隠し持っているのかとマリーは勘違いしていたのだ。それでも、もしあの幻の花ブルー・エトランゼの、これがその種なのだとしたら!きっと高い値で売れるに違いない。それでも、そういう売人じみたことは、あまり好まないマリー姐さんであった。
「チッ……あの子に返してやるかね?」
殊勝にもマリーがそう呟いた瞬間。その手にしたペンダントが異様な青い光を放った。ひぇっ!マリーがたじろぐと、ペンダントは宙を舞い、手にしたマリーをそのまま引きずるようにして、列車の窓際に連れていくのだった。
「マリー姐さん、一体ぜんたい、どこへ行くんで!?」
「違うよ!このペンダントが勝手に!くそっ手から離れないじゃないかっ!このっ!」
マリーがもがけば、もがくほど、まるで逆効果だった。フランドとフィロも手を貸して、マリーの掌とペンダントを引き剥がそうとするも無駄だった。
「特異点反応、出ました!」
部下の言葉に、養蜂家はうむ、と答えた。
地上の太陽の娘が本物なのなら……。このまま、その娘を囚え、同時に女王蜂の姫も回収すればよい。が、どういう訳か、その養蜂家の目論見は失敗することになった。
「……えええええ!?」
マリーは、ひたすら仰天した。そして、車窓の外には、巨大な浮遊要塞が宙に浮かんでいるのが見えた。すると、ブルー・エトランゼのペンダントから、青い光が迸り、その光は一点に集中して、ウルティマ・トゥーレへと向かっていった。
その光がマリーを包み込むと、そのままペンダントはマリーと共に、唐突に何かの力が働いて後部車両の扉が開くと、光の球ごと宙空に浮いてヴィンダリア号から浮かび上がるのであった。
『フフフフ、フフフフ……オルガ、一番乗り!』
『オルガ、ゆるせない、ギース、怒ッテル!エルゴ、追いつけない!』
『シェスカ……ミラも、オルガに追いつけない……悔シイ!』
口々に喋りながら思い思いの主人の感想を述べているのは、ダリアンたち働き蜂の乗るヴィマナである。彼らの小型マシン・ヴィマナには、ルルドのような聖虫の
『オルガ、シャルロッテみつけた! ミツケタ! シャルロッテ可愛い! ミツケタ!』
独断専行を買って出たダリアンのヴィマナ、オルガは、女王蜂の姫シャルロッテの形跡をみつけると、一人(一匹?)はしゃぎながら空中で8の字ダンスを踊った。
「……ったく、オルガ! 何やってんのよっ! ちょっとダリアン……!」
オルガのはしゃぎぶりに苛立つシェスカ。そしてギースも。
「落ち着け! エルゴ!」
直情的な自身そのもののエルゴを叱咤する。
「行くぞ、オルガ」
しかしダリアンのヴィマナ・オルガは冷静沈着な主人に一言そう命じられると、そのまま皆を振り切り、自らの親ヴィマナ、甲虫蒸気艦ヴィンダリア号の先頭車両へと光の矢のように向かっていくのだった。
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