第四章 逃亡の反逆者
Ⅰ. 養蜂家ハイデンシーク
甲虫蒸気艦ヴィンダリア号は、定められた規定のレールに乗り、定められた規則によって
この人工太陽の廻るアガルタ地底界は、養蜂家ハイデンシークが司り、女王蜂の姫が統べる、アガルタ王家によって治められていた。が、この通り地上には人の姿はなく、昼はスズメバチの猛攻、そして夜は見えざる光の巨人ウンブラ・アズールが跋扈する、文字通りの不毛の黄泉の国と化していた。姫の話によれば、僅かばかり残された王家の血を引く人々は、大小様々に宙空に浮かぶ、あの浮島にへばりつくようにして造られた城に息を潜めるようにして、暮らしているのだとか。
でも、まだ肝心のことが解っていない。この甲虫蒸気艦ヴィンダリア号は、一体どこへ向かっているのか。そう、そして一体何のために、この不毛の大地と化したアガルタ世界を走っているの?そのことだけは女王蜂の姫、シャルロッテは口を閉ざしたまま、一向に話そうとしなかった。そして、肝心のルカの父さんについても――。姫は父さんを知っていると言った。なのに、私たちに地上へ逃げろと言う。これじゃあ、何のために、ここまでやって来たのか分からない。ルカは思った。
本当に、私たちはどこに行くの?どこへ向かっているの?
そしてもう一つ。ルカはあのケペレル社のオズワルドのことが気にかかっていた。もし、この甲虫蒸気艦が、あの蒸気船がメタモルフォーゼしたものだとしたら……、オズワルドやオズワルドの会社も、何らかの線で、このアガルタ世界と関わっていることになる。一体どういうことなんだろう?あの時オズワルドは、私たちを騙した上で、死出の旅へ……。と言っていた。確かにそうかもしれない。ここアガルタ地底世界は黄泉の国。死の国と言っても差し支えない世界なのかもしれない。
「……養蜂家ハイデンシーク。汚れた
シャルロッテは言った。つまり、あのスズメバチたちのように地底に潜り込み、養蜂家はレコンキスタ――そう、いつしかこの世界とその王家を一代で征服してしまったのだという。一体どういう人物なのだろう。そしてこの親ヴィマナ、働き蜂たちを文字通り物理的に支配している、この甲虫蒸気艦も作り出したの?やはり養蜂家とケペレル社は、どこかでつながりがあるのだろうか。
女王蜂シャルロッテは、そのハイデンシークに飼われていた。女王と言っても、その特殊な力を国土を掌握するための大いなる権威として使われ、ただ有り難く
幼い少女の姿をした姫。けれど、その大人びた口調や言動は、とても十歳未満の幼女の物言いとは思えない、姫らしさを湛えた気品や少なからずの威厳すら感じさせるものだった。本当にシャルロッテは、あの父が養女にしたというシャルなのだろうか?
「……あなたのお父さまは」
シャルロッテは、何かを思い出すように、そっと目を閉じた。そして目を開けると、ルカを見つめ、
「……今はまだ話せませんが、いずれ時が来れば、すべてお話します」
姫はそう言って口を閉ざした。やはり姫は、あたしの父さんの居場所を知っているの? 父さんとシャル姫との間には、何があるの?ルカの疑問は、
* * *
「一体ぜんたい、ここはどこなんだい!?あたしたちは蒸気船に乗ってたんじゃなかったのかい!?」
マリーは些か苛立ち気味に、手下二人にこれまでの状況下で大きく膨らんだ疑問をぶちまけたが、そのフランドとフィロの二人も当然のことながら万策尽きたという感じで、どうにも要領を得ず口篭るばかりだった。マリー達も、気がついたらこの列車に乗っていて、呆然とする暇もなく訳の解らないドンパチが始まり、それが収まって日が暮れ、今度は夜になったかと思ったら……。矢継ぎ早に起こる予想外の出来事ばかり。その騒ぎの最中にあの珠玉のお宝ブルー・エトランゼの娘と再会したのだが、正直それどこじゃないというのが現状での事実であった。
「とりあえず大人しくこの列車に乗ってるしかないってことでさぁ姐さん」
「……チッ、しょうがないね!」
まあそうは言っても、腐っても一世一代、巨大な組織を作り上げた一大マフィア、グラツィアーノ・カルロス・ゴールドの一人娘である。マリーのそのお宝収集家としての一矜持はこんなことでは簡単に崩れることなどなかった。何しろ、あの珠玉のお宝ブルー・エトランゼも、同じこの列車に今まさに時を同じくして、彼女と共に乗っているのだから。
「フン、まあいいさ。むしろこっちの本題は、こっからだからねぇ……」
何か策を思いついたのか、フフフとマリーは一人不気味にほくそ笑むと、「覗くんじゃないよ!」と、二人に釘を刺したあと、フンフンと鼻歌交じりで一人浴室のコンパートメントの扉の向こうに姿を消した。
* * *
ウルティマ・トゥーレ《既知の世界の境界線》――その働き蜂たちの母艦に、養蜂家の仮の棲み家でもある拠点はあった。むしろ彼は浮島ラピューテの城より、この巨大な移動要塞から世界を眺めることの方をこそ自ら好んだ。アガルタ王家の宰相として、ここアガルタに君臨し、文字通りこの世界のすべてを支配している彼は、地上での蒸気船運用を息子であるオズワルドに任せ、専ら自身はこの地底界に骨を
その養蜂家ハイデンシークの母艦ウルティマ・トゥーレは同時に、このアガルタ世界を縦横無尽に走る、計7隻の甲虫蒸気艦の運行コースをも管理する、いわば“アガルタ地底鉄道”の運行管理保安局の役割も兼ねていた。無論この移動要塞もヴィマナである。この地底世界と地上界の、あらゆる技術を結集した、それはいわば二つの世界をつなぐ巨大な力の集積でもあった。アガルタ地底界を照らす人工太陽もその一つだったが、甲虫蒸気艦の機関車も含め、ほぼすべてのアガルタ界のヴィマナが、その羅針盤とも言える人工太陽の太陽光からなる偏光コンパスによって動いているため、ウルティマ・トゥーレは、それらすべてを同時並行的なシステマティック管理をする役目も担っていた。特にこと人工太陽に関しては、いまだ不安定な要素も秘めており、現在ウルティマ・トゥーレは、この人工太陽の運行自体の監視をも強化させているのだった。
「――宰相、姫より入電です!」
「……うむ」
『……お久しゅうございます、宰相』
そのメイン制御室の巨大スクリーンに、幼子の姿をした、女王蜂の姫の憂い顔が映し出される。自らその責務を担っただけあり、その憂い顔は、ますます深く濃く、彼女が
「雄蜂の娘は、やはり“それ”を持っていたのか?」
『……はい。
「カウラムの消息も掴めぬ今、まだ今は大きく動けぬが……娘がそれを持っているならば、相応の対処はせねばなるまい。そなたはそのまま、娘と共に艦で“その時”を待て」
養蜂家の言葉のすべてが、姫を針のように貫く。
「城の巣房のことは心配するな。そなたの留守はヘルミナシオンが護っている。が、いつ何時も、花たちは、そなたの還りを待っている――」
『はい……』
その言葉を聞くと、姫は沈鬱な表情と返答を最後に、通信を切るのだった。
働き蜂たちと、その親ヴィマナである甲虫蒸気艦。その親ヴィマナの一つヴィンダリア号に、姫は今乗っている。それは、かつて雄蜂のカウラムと共に、地上へ逃亡した際の罪滅ぼしの使命でもあった。その半ば強制ともいえる姫の使命だったが、表向きでは、当初の通り、姫は今また巣房を逃げ出したことになっている。実際、かつて姫は自ら再び、自身の巣房から逃げ出したのだ。そして養蜂家に捕まった。むしろそれは、ある目的があってのことだった。
かつて彼女を手引きした雄蜂カウラム。そして地上でラズリの花が花開き、その娘も誕生した。そのとき彼女は地底へ連れ戻され、それを追って雄蜂も……。そして女王蜂の姫は、その雄蜂の娘と今また、こうしてここで邂逅した。その意味が何であれ、すべては大いなる宿命の導くままに。この地底は、新たな“種”を迎えるべき時に来ている。それが地上の太陽の輝きを知る娘なのならば、なおのこと。
「我らはむしろ、カウラムに感謝せねばならぬのかもしれぬな……」
壮年の歳老いた己の身では、いずれ、その時が来る。養蜂家が、その役目を終えるとき、巣箱の蜜蜂たちは、野へ放たれなければならない。自ら偽りの太陽を造り出し、数多の地上の命をも、その罪の懐へと送り込んだ。そうまでして守りたかったもの、それは……。
いずれラズワルドにすべて託さねばならない。そうだ、そなたの母のためにも。そのときまで、すべて――。
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