Ⅳ. 働き蜂の青年

「ふぁあああ。よかったね、ルカ」

「……うん」

 眠い目を擦りながら一気に緊張感のほどけたティオに、ルカも素直に頷く。


 それにしても、本当にあれはなんだったのだろう。ルカも眠気のまだ残るまなこをしたまま、何だか疲れきったように、一人ふぅと息をついた。そんなルカに姫はにっこりと微笑む。夜明けだ。また新しい一日を、それでもアガルタの人工太陽は、こうして届けてくれる。本当にここが地底世界だなんて、一体誰が信じるだろう。その朝の陽射しを浴びながら、ルカもシャルロッテに一抹の微笑みを返した。


        * * *


 二人が食堂車にて食事を済ませて客車に戻ると、姫はルルドと何かの話をしていた。邪魔しちゃったかな、と思い「……ごめんなさい」そう素直に謝ると、シャルロッテはそっと首を横に振りながら、薄く微笑んで席を開けた。どうやらルルドは姫にルカのブルー・エトランゼのペンダントについて何か話していたようである。「あなたたちも、ここに来て。大事なお話があるのです」ルカとティオは互いに顔を見合わせ、神妙な顔つきで、そっと席に着いた。


「さて、一体何から話せばいいかな?」これみよがしにルルドが口火を切った。

「そうだな……まず君たちがどうやってこの地底界にやって来たのか。そこから説明しよう」聖虫ルルドの語ったのは、驚くべき事実だった。


「えっじゃあ、やっぱりあの蒸気船が!」


 ルカもティオも驚いた。この甲虫蒸気艦は、あのケペレル社の蒸気船クイーン・リズ号が、この世界で姿を変えてメタモルフォーゼしたものなのだという。ルカは何となく勘づいていただけに、やっぱりという顔をしたがティオは。その想像もつかない真実に当たり前に仰天していた。この甲虫蒸気艦は、アガルタのあの人工太陽の偏光コンパスによって進路を制御され、かつ定められた目的地に向かって走っているらしかった。


 ……だとしたら。ルカは妙な胸騒ぎに一人不安を覚えるのだった。


 そしてさっきのスズメバチの猛攻で、この甲虫蒸気艦を援護射撃してくれた働き蜂ラプトの、そうあのダリアンの乗っていたのは、この艦と連動して働く、この世界の古代テクノロジーの要ともいえる、ヴィマナと呼ばれる飛行メカなのだという。


「親ヴィマナ。そう、この甲虫蒸気艦のことさ」ルルドの言葉通りヴィンダリア号を含め、その働き蜂7人衆の司る、この通称“アガルタ地底鉄道”を構成する蒸気機関車群。すなわちそれは、ヴィンダリア、スカラバエウス、リンデンバウム、マグノリア、コレオプテラ、カレンデュラ、セレステラ――。働き蜂の人数同様、それに各々連動したこの計七隻の艦が、現在アガルタにおいて運行していた。


 だから、昼間ダリアンたちが、私たちを助けてくれたの。何しろこのヴィンダリア号は、ダリアン自身の親ヴィマナなのだ。だから助けてくれた、というのは些か語弊があったのだが。そして多分、ダリアンはもう、この艦に女王蜂の姫、シャルロッテが乗っていることにも勘づいている……。ということは。


「じゃあここにいたら危ないんじゃ!?」ティオも状況を察して、小さく叫んだ。姫はこくりと静かに頷いたけれど、その表情には些かの怯えも震えも見て取れなかった。いずれダリアンは、養蜂家の命により、もう一度この艦に向かってくるだろう。が、シャルロッテは、それすら既に覚悟している、というように、どこまでも冷静な面持ちでルカたちに告げるのだった。


「――ダリアンは、私を捕らえるため、再びやってくるでしょう。けれど、あなたたちには、それは関係のないこと。いずれこの艦は、そのうち地上に浮上します。その際、あなたたちはそのまま、隙を見て逃げてください」


 けれどルカは、どこか判然としない気持ちで、そのシャルロッテの言葉を聞いていた。じゃあ貴女あなたは、姫は一体どうするの?そもそも、なぜ貴女は養蜂家やアガルタ王家から逃げ出してきたの?……それより何より、このままでは父の消息を掴むことすらままならない。そんなことをふと思い、ルカは如実にそれもどこか違うと感じるのだった。

 

        * * *


 ここはアガルタ世界を司る、女王蜂の棲まう天空の王家の城の中にある巣房。その、ひときわ巨大な浮島ラピューテの城の、ハニカム構造をした巣房の王台にて、王家の谷に咲く聖なる花ラズリとその蜜を守り、この世界の安寧を神に祈る、巫女的存在である女王蜂の姫がいた。……が、たった今、そこにその姫の姿は不在であった。


「どんなことをしても、姫は俺たちが連れ戻さなきゃならない。解ってるよな?ダリアン」

 

 その些か苛立つような青年の声が、その城の高い天井のそびえ立つ回廊に響いた。働き蜂7人衆の一人ギースである。ギースは、リーダー格のダリアンが、ヴィンダリア号にシャルロッテ姫が乗っていると知っていて、一旦城に戻ってきたことが些か納得いかないようである。どこか煮え切らないようにも見える様子で押し黙ったまま、解りきったことを当然の如くダリアン自身に突き付けるギースに対し、特に何も答えるでもなく、ダリアンは背を向けた。


「あの時点では、あのまま戻らざるを得なかったでしょう。夜の帳が降りては、我々働き蜂とて安易に動けない……」


 黙りこくったダリアンの代わりに、もう一人の背の高い青年、ラヴァエルが静かにギースの言葉に答える。チッ!と舌打ちしてギースはラヴァエルを睨んだ。が、常に冷静沈着な風情のラヴァエルは、そのギースの一瞥すら、いつものことと言うように、ふと人知れず小さく笑って片眼鏡にそっと指先を添えると、そのまま立ち去っていくギースの後ろ姿を静かに見送るのだった。


「にしても、ほんと人騒がせな姫様だよね。いくら前科持ちだからって養蜂家も養蜂家……」

「しっ……!シェスカ!」


 渡り廊下の大理石でできた柱にもたれ掛かり、同じく働き蜂の少女シェスカが言いかけた言葉を、もう一人の働き蜂の少女カナリアが遮る。どこで養蜂家が聞いているとも限らない。それ以上にカナリアは、自分たちの護る姫をそんな風に悪く言うのは感心しなかった。それでも、そのシェスカの言葉は、ほとんど的を得ているのも同然で、それが偽らざる事実であることもまた真実だった。その場に集う一同の間に、重く流れる沈黙。


 たとえその行動に、どんな理由があろうと……そう、女王の冒した罪はゆるされるようなものではなかった。そのことを一番よく理解しているのは、リーダーであるダリアン自身であった。それを当然のように知っている一同が、改めてダリアンの言葉を待つようにして向き直ると、ダリアンは重い沈黙を破るようにして言い放った。


「……女王の冒したあやまちちは、俺たちのあやまちでもある。我々働き蜂7人衆ラプトが、姫を罰せなくて誰が罰する。すなわち、女王蜂の姫を守護するとは、そういうことだ」


 乾いたその言葉が重々しく回廊に響く。ギースに指摘されるまでもなく、姫は必ず連れ戻さなければならない。たとえどのような理由があろうと、女王としての務めは必ず果たして貰わねばならない。それが女王蜂の姫としての責務であり、このアガルタ世界における女王の逃れられぬ運命なのだ。


 が、ダリアンはリーダーとしては、些か単独行動が過ぎる部分があるのは否めなかった。それが図らずも、彼をライバル視し、敵視するギースの反感を買う格好の理由まとともなっていた。我々働き蜂の過ちと言いながら、ダリアンは、おそらくきっと働き蜂のリーダーである自分一人にその責任を負わせようと考えているのかもしれなかった。


「ダリアン……」

 

 最年長の働き蜂の少女カナリアは、そんなダリアンの背中を不安げに見つめた。「カナリア……」そんなカナリアに、最年少の幼い少女ペルセポネが、同じく不安そうな顔をしてそっと寄り添う。その後ろには巨漢の割におとなしい性格の、ヴィラドも控えていた。チッ……!些か部が悪いはずの言いだしっぺのシェスカは、そのダリアンの様子に、ギース同様、小さく舌打ちしてその場から離れていく。


 女王蜂の姫を守護するべく結集した働き蜂7人衆ラプト。が、その7人が7人すべてが、決して一枚岩で成り立っているという訳ではないことが、今回の任務においても、また露呈してしまっていた。その本来あるべきチームとしての結束が、リーダーであるダリアン自身が、己自身に固く任務という枷を嵌めるほど、皮肉にも瓦解していくことを、果たしてダリアン自身は自覚しているのかどうか。


 カナリアは一人、そんな複雑なダリアンの心の内を察して、人知れず心配に思うのだった。


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る