Ⅲ. 女王蜂の姫
「私はシャルロッテ――このアガルタの王家を治める、女王蜂の姫と呼ばれています」
そんな、まさか!じゃあ……?今まで何の手がかりすらなかった、その父の消息が、まさかこんな所で。ルカは藁にもすがる思いでシャルロッテに問いかけた。「あなたは知っているの?私の父さんのこと……」女王蜂の姫は、そっと項垂れるように目を閉じると、何かを回想するように言った。「知っているとも、そして知らないとも言えます……いえ、……」シャルロッテの中で何かが弾ける。けれどそれは己自身のものではない、誰かの想い。が、雄蜂カウラムの、かつて確かに自分は
ルカはただ、その小さな女の子の姿をした姫をじっと見つめた。傍らのティオも、さっきからずっと、固唾を飲んでルカたちを見守っている。
「あなたは、この世界がどうして当たり前にここに存在しているのか知っていますか?」
その澄んだ深い青い瞳に吸い込まれそうになる。「……あなた方の世界の太陽は、天空をまわり、空にのぼって沈む。それは当たり前の自然の摂理。けれどこのアガルタの太陽は、決してそうではないのです。すべてが運命。そしてその運命を司るのは――」まるで物語でも語るような、その魔法のような声色に、瞬間、時を忘れてしまう。シャルロッテは、何かを思い出すように、もう一度どこか哀しそうに目を伏せて。
「――“それ”は、“
とだけ、囁いた。
「私たち蜜蜂は、養蜂家に飼われています。その造りものの太陽を動かし、この世界のすべての命を当たり前に育むため」
このお姫さまは、決して嘘や冗談なんか言ってない。ルカはそう確信した。ブルー・エトランゼ……。あたしの胸元で揺れるペンダントの中で、その花の種が何かを囁いたような気がした。
* * *
この甲虫蒸気艦ヴィンダリア号は、
このアガルタ世界はつまり、その養蜂家がすべてを司っているといえる。が、王はおらず、その代わり女王蜂の姫が王家の城の巣房にて、巫女としてこの世界の聖なる力の源を護っているのだそう。でも、じゃあなぜ今、その女王蜂の姫がこんな所にいるの?
「姫は追われているのさ」いつの間に傍らにいたのか、そうルルドが囁いた。
「ルルド……」姫はルルドのことを知っているようだ。
「ルルドの言う通りです。故あって私は、養蜂家の支配の
いつしか日は傾き、アガルタの大地に夜が訪れようとしていた。それもこれも、すべて女王蜂の姫が語った、人工の太陽が作り出しているものだとは、ルカには到底思えなかった。アガルタでは、夜は命の危険を伴う。もっとも、それは昼とて何の変わりもなかったのだが。夜は夜、昼は昼で先程のようなスズメバチの猛攻が、甲虫蒸気艦を襲う。では、その肝心の夜は?
『――用心するんだな、精一杯』
その声に、ハッとしてルカは周囲を見回した。目の前の席に着いている姫も、同様に何かを感じ取った様子だった。最後の夕陽の光が差し込み、それが消えたと思った瞬間。あれは……。さっきの働き蜂の青年だ。確かダリアンと呼ばれていた。まるで警告するように、そのラプトのリーダー格の青年の声が、テレパシーのように、ルカとシャルロッテ姫の脳裏に響いた。とうに“沈んだ”太陽。そう、この世界の不毛の大地に「夜」が訪れるのだ。聖虫のルルドにも、その声は自ずと届いているようだった。
まるでそこは黄泉の国のようだった。まるでこの世界の血潮の水脈のように、ここアガルタの大地に流れる無数の大河。が、そこに命の気配は全く感じられない。ただ時に忘れ去られた守り神のように、神々の姿を象られた大小様々な不思議な意匠の石像の類が、無数に打ち棄てられ無言で鎮座するだけ。その大河と叢林の合間を縫って、僅かばかりの面積を占める草原を往くヴィンダリア号。そこで唯一躍動するものは、このアガルタの大地を
「だけど変な話だよね?姫は養蜂家に追われているんでしょ」
慣れない旅の疲れからか、シャルロッテが寝台列車で眠りに就いてしまってからティオが呟いた。確かに。この甲虫蒸気艦ヴィンダリア号は、養蜂家が定めた規則や敷かれたレールによって何らかの目的地に向かって走っている。なら、どうして。些かルカも訝しんだ。もし忍び込んだのだとしても、いずれこのままでは捕まってしまう。が、その答えはそのあと自ずと明確になるのだった。
* * *
夜がやってきた。そのアガルタの大地に夜の帳が降りるのを合図に、その闇を切り裂くかのような汽笛を鳴らし、ヴィンダリア号は、ただひたすら、まだ見ぬ目的地をめざして進んでいた。すると、どこからともなくくぐもった地鳴りのような、その
「……ウンブラ・アズールだ」不意にルルドが傍らで声を殺すようにして低く呟いた。
ウンブラ・アズール、《蒼い蔭》とも呼ばれるそれは、このアガルタの夜の闇を跋扈する、最も危険な存在だった。……それってどういう。「すぐに解るよ」しかし、ルルドはその最も危険な存在ですら、このアガルタの夜の名物とでも思っているかのような反応をしていた。この船を守る船長ですら、それについて何も言わないままだ。ルカは固唾を飲んで、眠っているティオの側を離れようとしなかった。
次第に夜が深まってくるのを合図に、青い蛍のような光が夜の底から集まってくる。あっ……。ルカは小さく悲鳴のような声をあげた。目を凝らした車窓の向こうに、確かに何かが蠢いているのが窺えた。次第にその青い光の粒が上方に集まったかと思うと、それは一瞬にして大きな何かを形作った。それは人のかたち。そう、それは大きな、ひたすら大きな巨人だ。
「ティオ、ねぇ起きて、ティオ!」ルカはじっと闇に目を凝らしたまま、傍らで眠るティオを揺り動かした。「ん……。何だい、ルカ?」「あ、れ……!」ルカの指差した闇の先で蠢く青い光の巨人。それはまるで月の光の粒子が姿を変えたようにも見えた。が、それは、不思議な事に、どうやらルカの目にしか見えないようだった。ティオがいくら目を凝らしても、深い闇がその向こうに広がる車窓には、眠そうなティオ自身の顔が映っているだけだった。
プァァァーーーン!!ゴゴゴゴ……、その瞬間、ヴィンダリア号は汽笛を鳴らして車体を震動させ、速度を増した。それは警笛だ。“あれ”が何なのか、あたかもすべて知っているかのように、その巨人の闇の魔手から一刻も早く逃れようとするかのように。まだ眠たい目を擦って半ば寝ぼけていたティオは、その衝撃で堪らず、もんどり打ってしまった。アタタタ!何だよ一体。思い切り頭を寝台に打ち付けてしまい、恨めしそうにティオは唸った。しかし。
「あれに触れられたら、人は命の火をなくす。ウンブラ・アズールは、そういう危険な存在なのさ」
まるで見てきたかのような口調で話すルルド。が、その綿毛の先っぽが、ほんの少し震えているのがルカには分かった。それは、ただの列車の震動によるもの?どちらにせよ、その実体のない蒼い光の巨人は訳あって、あるときから、このアガルタの夜の闇を彷徨うようになってしまった。どちらにせよ、その魔の手に直接触れられたら、皆死んでしまう。
『――お前ら、しっかり掴まってろ!』
その時、船長の声が低く緊張感を伴い、列車内に響き渡った。ウンブラ・アズールは、まるでヴィンダリア号の存在にやっと気づいたかのように、巨人の姿から夜空を舞う
「一体、何事があったのさ!」
見たことも聞いたこともないような、薄らぼんやりと輝いて次第に迫ってくる光の巨人。マリーたちも何事かと戦々恐々としていた。目には見えないが、何かとてつもない危機が迫っている切迫した状況であることが列車内の混乱から見て取れた。が、逃げる所もないこんな列車の中では、どうしようもない。マリーやフランドたちも他の乗客同様、前の車両に向かって逃げてきたのだが、その途中でルカたちを見つけたが、得体の知れない何かが迫っている今、それどころではないことは、この状況からしても明らかだった。
「チッ!でも、まだチャンスは十分ある……!今は逃げるが勝ちだよっ!」
半ば呆然としたルカたちを尻目に、マリー一行はその車両から出ていくのだった。が、ルカもティオも無論、最早ほっとするどころではない。
「大丈夫。大丈夫です」気がつくと、傍に女王蜂の姫が寄り添っていた。姫はまるで祈るようにそっと目を閉じた。すると、速度をいや増したヴィンダリア号のスピードに追いつかず、
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