Ⅱ. 甲虫蒸気艦ヴィンダリア号

「水の底の天空……、この世界は、その水の中の空に浮かんでいるようなものさ」


 実際よく注意してみると、中空には大小様々な浮島が浮かび、この甲虫蒸気艦の蒸気機関車は、それらの浮島から浮島へと、縦横無尽に張り巡らされた目には見えないレールの上を走っているようにも思えたのだが、それは間違いだった。どうやら部分的には、そうした一時的な“航路”を往く場合もあるのだが……、


「それは今みたいな限られた場所に限っての運行ルートだよ。でも大概は」


 その説明の合間にも、相変わらず、ズドドーン!という耳を塞いでも足りないような轟音と衝撃は続く。そのルルドの解説を先んじて裏付けるかのように、突然、進路を下げ始めたかと思うと、ヴィンダリア号の先頭機関車は、その“大地に着陸”するのだった。ギギギギ……!と、車輪が火花を散らして鉄のレールに擦れる軋むような音が響く。先程のルルドの言葉に続けるようにして、船長がようやく重たい口を開いた。


「――ここからは逃げも隠れもできない、不毛の大地を往く蟻煉獄ありじごくルートだ」


 船長のその言葉に怖れおののく暇もなく、ルカたちは、新たなその衝撃に見舞われた。まるで列車全体がバウンドするかのような。それでもルルドの言った先程の無限強化シールドが車体全体を包み込んでいるからか、さほどの傷も内部への直接的なダメージにも繋がらず、列車は無事に地上のレールの上に乗ることができた。船長はニヤリと嗤うと、まるでコクピットのような、その台座に一人仁王立ちになると、やる気満々でポキポキと力強く拳を握り締め、待ってましたと言わんばかりに手前のレバーを両手で引き寄せた。ルカもティオも息を飲んで戦慄した。……この人、操縦桿を握ると、絶対、人が変わるタイプだ。


 ドドーン!! そう反撃。「ああっ!?」 どうやら、この機関車には砲塔もあるようだった。つまり空中では、この蒸気艦は重心的な問題もあり、まともに砲撃できないということ。嘘のような轟音がまたしても響いて閃光がほとばしる。でも外でスズメバチを攻撃しているのは、ヴィンダリア号だけではなかった。気がつけば、機関車内部の壁面は、まるでマジックミラーのように透明になっており、その全面に外部の様子が丸映しになっていた。地上からこの世界に下心満載にして紛れ込んだ、よこしまな心の輩たち――スズメバチたちは、各々この地底世界と地上世界の蒸気機関の技術を混在させたかのような独自の飛行マシンを駆って、この甲虫蒸気艦ヴィンダリア号を攻撃しているようだ。つまり、それがどういうことかというと。


「すべての悪行の真相を握っているのは、養蜂家ハイデンシークさ」


 またもルルドが涼しげなカオで言う。養蜂家ハイデンシーク?聞き慣れない名前に、若干小首を傾げるルカ。そうしている間に、ルカの視界に不思議な丸っこい形をした何かが横切るのだった。外の様子をよく見ると、どうやらその丸い物体には人が乗っているらしかった。「あれは働き蜂さ。働き蜂7人衆ラプトのヴィマナだよ」……働き蜂?ヴィマナ?さっきから蜂とか養蜂家とかって。耳慣れない言葉や意外な言葉の連続に、まるで思考が追いついていかない。そのルルドの説明に被るかのように、不意に誰かの声がルカの耳元に聞こえきた。……それは会話?


《――ヴィンダリアが還ってきたからって。ちょっとダリアン!》

《……お前のやり方に付き合っている暇はないな……シェスカ》


 甲高い女の子の声と、そして低い青年の声。まるで喧嘩でもしているようだ。それでも彼らの、その正確で的確な攻撃が、次々とスズメバチたちを後退させていくのが分かった。ダリアンという働き蜂の青年がリーダーを務めるラプト。でも彼らは決して仲間同士で仲がいいという訳ではないようだった。


「ちょっとちょっと何なのよ、これは!?」


 スズメバチの攻撃が一段落して何とか収まり、ようやく客席に戻ると、突然新たに耳に響いてきた、その甲高い声色にルカとティオは思わず振り返った。いつのまにか黒ずくめの衣装は脱いで、ちょっと派手目な赤いドレスに身を包んだ、まるで上流階級のお嬢様。が、その赤毛には見覚えがあった。そう、ルカのブルー・エトランゼを付け狙っていた、それはくだんの怪しい出で立ちのマリー姐さんだった。


「あっ、アンタ!」赤毛のマリー姐さんは、大きな瞳をこれ以上ないというくらい見開いてルカを見つけるなり声を荒げて叫んだ。「この私、グラジオラス・マリー・ゴールド姐さんを舐めんじゃないわよ!」思わず胸元に隠したペンダントをギュッと握り締めるルカ。「ルカ!」ルカを守り自ずと身構えるティオ。あのお供の二人組もいて、この狭い列車内で一体どこに逃げればいいって言うんだろう。二人は思わず絶句した。


 それでも――、先程のスズメバチもだが、ここアガルタで怖いものなど、もっと他に、それらしきものがあるのだということを、あとになってからルカもティオも身をもって知るのだった。


          * * *


 この甲虫蒸気艦ヴィンダリア号には、さっきまで蒸気船にいた人たちが、気がつけば沢山乗っていた。さすがにあの騒ぎで皆ようやく目を覚ましたようだ。マリー姐さん、そしてそのお供の二人組も、その中の何人かだった。そして当然、ルカやティオも。最初は蒸気船に乗っていたはずの自分たちが、いつの間にかこの列車に乗っていた。だから、おそらくマリーたちは驚いてここへやって来たのだろう。そしてルカたちと鉢合わせしたので、マリー姐さんは、もうそれどこではなくなってしまった。だって目の前に念願のブルー・エトランゼがあるのだから!


 それにしても、この人どうやってブルー・エトランゼのことを?そもそもマリーは宝石や珍しいお宝の大変な収集家で、本当に欲しいものには金に糸目は付けない人物であった。それもそのはず、彼女はとある南方の国のマフィア、ゴールド一家の一人娘。そのマフィア一家の一人娘であるマリー姐さんは、何らかの筋から、奇跡的にこの幻の青い花、ブルー・エトランゼの情報を得たようだった。……それにしても。


「ふっふっふ。あんたたち、もう観念おし!フランド、フィロ!」


 手下二人を呼ぶと、アイアイサー!と応答した二人組が、これみよがしにルカたちににじり寄り飛びかかろうとする。が――。間一髪、ルルドが二人の前に“立ちはだかった”。「ぷはっ何だこれ?」不意に目の前に降ってきた鱗粉のような粉が目や口に入り、フランドもフィロも悶絶。その間にルカたちは何とかマリー一味から逃げおおせることができた。


 別の車両に逃げおおせて一呼吸ついて落ち着くと、ルルドは待ち構えていたように二人に告げた。「では――と、今更のように言うのも何だけど。早速切符を見せて貰えるかな?」……え、切符?有無を言わせぬルルドの口調に、そんなもの持ってないわとも言えず、ルカもティオも半ば困惑気味に顔を見合わせてから押し黙った。切符って何よ。私たちが乗っていたのは元々蒸気船。じゃああのオズワルドからの招待状のチケットでも見せればいいの?……でも切符って。


「君が懐に隠し持っている、“それ”を見せて貰えれば、問題ないよ」


 ルルドの言っているのは、どうやらこのブルー・エトランゼの種の入ったペンダントのことらしかった。


「ふむふむ……なるほどね」ルルドは、ルカの差し出したペンダントを、ほんの数秒一瞥しただけで改めて二人の“乗艦”をOKした。「ありがとう、もういいよ」ルルドの許可が降りると、ルカはすぐにペンダントを懐に戻す。ルカにとって今やこのペンダントは父の形見、いや父そのものだったのかもしれない。それにしても……。


「このふねは、どこに行くの?」


 ルカは自分で自分の言っていることを少しおかしいと思いつつ、それでもこの蒸気機関車の列車は、きっとあの蒸気船クイーン・リズ号なのだという妙な確信を持って、そうルルドに問いかけた。不思議な綿毛の聖虫ルルドは、「君のそのペンダントがきっと答えてくれるよ」とだけ言ってルカにウィンクした。本当に……父さん、これはどういうことなの?アガルタって一体ここはどこなの? ねぇ答えて。ブルー・エトランゼ……。すると、そのルカの呟きの最期の言葉に応えるように、どこからともなく鈴のような声が響いた。


「――ブルー・エトランゼ。あなたはその花の種を持っているのですか?」



 見上げるとそこに立っていたのは、まるでお姫様のような、でもまだ小さな可愛らしい女の子だった。美しく控えめに輝く月の光のような銀髪のおさげ髪を左右でふんわりと束ね、どこか異国のお姫様みたいな佇まいの上品なドレスを身に纏った……。その小さなお姫様は、もう一度ルカに尋ねた。――えっ。その問いに次の瞬間、ルカは思わず言葉をなくしてしまった。


「あなたは、あなたのお父さまを探しているのですね?」


        * * *


 あなたはミツバチを飼ったことある?私はないわ。だって蜂って刺されたら痛いでしょ。でもミツバチは何かしない限り、刺すなんてことは決してしないんだって。どうして誰も、そのことに気づかないんだろう。……ルカの中で、いつしか何かがひらめく。


「あなた、もしかして――」でも、そんなまさか。ルカの脳裏に父や母の話にあった、二人が養女として育てていたという、シャルのことが思い浮かんだ。だってシャルはきっともう。私よりもとっくに大人になっているはず。でもなぜか今目の前にいる、この女の子のことがルカは気になって仕方なかった。


「……あなたが今考えていることは、半ば当たっているかもしれません」

 えっ?少女のその言葉にルカは絶句した。じゃ、じゃあこの子がシャル……?しかし少女は、そのルカ自身の思惑とは相反するように、改めて自らの名を告げるのだった。


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