Ⅳ. 風雲、急を告げる
「ねぇルカ!なんで君は追われてるの!?」
「ごめん、今、それ言えない!」
「……わかった!」
ティオはルカの手を取り走りながら、頷いた。
「人には言えないことだってあるよね。でも今、君は悪漢から追われてるんだ。それを助けない不届きな男子はこの世にはいない!」
そう強く宣言すると、ティオはルカの手をしっかり握り返して、にっこり微笑んだ。一瞬ぽぉっとなるルカだったが、今は気を緩めてもいられない状況。そのまま、蒸気船内の娯楽施設の一角にあった劇場内に逃げ込むルカとティオ。
一方、マリー姐さんとその手下のフランドとフィロは、追い込んだはずの二人を蒸気船内で見失ってしまっていた。「あいつら、どこに行きやがった!」「もっとよくお探し!」マリーにそう命じられはするものの。こんなに広い豪華客船内、しかし、必ずどこかに隠れているはずなのだが。
「よかった、どうやら巻いたみたいだね?」
ふうと、一息つくルカとティオ。二人は劇場内の席に座り休みつつ、お互いの自己紹介をもう一度兼ねて様々な身の上話をした。二人とも同じ13歳。ルカは母親と二人で今暮らしてる。ティオは天涯孤独の身で、家族はいないが、さっきも言った通り、小さなサーカス団のマティウス一家に拾われて、ずっとあちこち世界中を旅しているのだという。
「じゃあ、君のお父さんは……」
「そう、もうずっと会っていないの。最後に父さんの顔を見たのは、私が7歳のときだったから」
ルカはその父に会いに行くため、この蒸気船に乗って一人旅に出ることを考えているのだと。でも、その父の居場所が詳しく分からないため、いつ旅に出たらよいのか今、躊躇していることも。叔父はああ言ってくれたけど、きっと旅費だって馬鹿にならない。
「じゃあ、このまま僕たちと旅に出るかい?だったら、きっとお金もかからないよ」
えっでも……。ルカは突然のティオの提案に戸惑った。だったら、母さんと叔父さんに連絡しなきゃ。「だから、今日はもうこのまま帰るね?」ルカがそう言うと、ティオはあからさまに一瞬寂しそうな顔をしたが、すぐに明るい表情に戻って言った。
「わかった!じゃあ、帰ってすぐ支度しなきゃ!」え、もう?ルカはティオの性急さに苦笑いするも、一緒に旅に出ることを約束して指切りした。
「――その必要はない」
すると、突然、天から降ってくるように一人の男の声が響いて、二人はギョッとして振り返った。背後の劇場の投影室からカッと突然強いライトが差して、その光の前に逆光に照らされた男が一人立っていた。それは、あのオズワルドだった。
* * *
「申し訳ないが、この船はもうじき出航する。そう、死出の旅路に向かってね」
えっと絶句する二人。どういうことなの!?ルカはこちらに向かい歩み寄ってくるオズワルドを凝視しながら思った。「どうだね、お嬢さん。弊社の蒸気船の乗り心地は……もっとも、まだ船出していないのだから、お楽しみはお預けかな?」ティオも、逆光になり表情の解らないオズワルドを、ただ凝視したまま動けないでいた。
「ルカ。安藤ルカと言ったか……」
どこか含みのある瞳でルカを見つめると彼は言った。
「ヤクタ・アーレア・エスト《賽は投げられた》。お嬢さん、君の処女航海に幸運を」
いつのまに私の名前を!?驚くのもつかのま、不意にライトは消え、そのままお辞儀をしたオズワルドの姿も消えた。瞬間呆然自失となっていた二人だったが、すぐに我に返り、すぐさまこの船を降りなければ!と、劇場の扉を蹴るようにして表に出た。もう黒ずくめのマフィアの姐さんとの追いかけっこなんて、かまってる場合じゃない。
「おかしいなって実はずっと思ってたんだ!!」
「えっ!?」
「このクイーン・リズ号は行き先が公表されてなかっただろ?僕はてっきりミステリー・ツアーか何かの船なのかなって勘ぐっていたんだけど!」
「なにそれ!?」
ティオとルカは走りながら、やり取りした。冗談じゃない。何考えてるの!?これじゃただの人さらいじゃない!が……、ブォォォーーー。船内に共鳴し木霊する、その汽笛の響きを聞いて改めて慄然となる二人。やっとのことで甲板に出ると、既に船は港を後にし、とうに船出したあとだった。
ルカは思わずその場に崩れ落ち、次第に遠くなっていく夕映に染まる街の港を呆然と見つめた。母さん、叔父さん……。ティオも半ば欄干から乗り出すようにして、遠ざかっていく港を見ていた。黒煙を吐いて唸りをあげる蒸気船。その航路の背後に永遠に生まれては消えていく波濤と
周囲を見ると、パーティーの来客の多くも同様に驚いているようだった。誰も何も聞かされてない。この船がこのまま出航するだなんて。「どういうことだ!?」と、怒鳴る声。女性のすすり泣きやヒステリックに騒ぎ立てる声。……が、さっきから南の海上に黒雲が出現していることに誰もが気づかなかった。ぽつり、ぽつりと雨粒が一粒、また一粒と降ってきて、嵐が近づいていることに皆、やっと気づくのだった。
* * *
風雲、急を告げるとは、まさにこのこと。日が暮れて雨足は次第に強くなり、横殴りの強風も吹き付けた。雨雲は雷までも連れてきて、轟く轟音と雷光とで殊更に人々の不安を煽った。悲鳴を上げながら、そのまま客室に駆け込む乗客ら。ルカとティオもその混乱に乗じて甲板から階段を下りていき、辺りの様子を見回して、あまり人気のない地下の船倉にやっと潜り込んだ。ブォォォーーー。その間も、クイーン・リズ号は唸りをあげ、グラグラと軋むような音を立てて、未だ行き先の分からない波間に揺られていた。
どうして、どうしてこんなことに……。ルカは、オズワルドの招待に誘われるまま、ここに来てしまった自分自身を呪った。でももう遅い。そんな半ば不安で押し潰されそうになっているルカを、ティオは極力励ました。大丈夫、大丈夫だよ。それでも雨風は次第に強くなっていっているようだった。荒れ狂う波間に、大きく揺れる船体。キャァア!と、どこからともなく響く叫び声。ルカは震えながら、ただ神様に祈った。
「大丈夫、この船は絶対沈んだりしないよ、大丈夫だよ」
そう励ますティオの声も次第に小さくなっていく。ティオもサーカスの皆とこの混乱のさなか、結局はぐれてしまった。結局二人は薄暗い船倉に身を寄せ合って、そのまま夜を明かすことになった。その間にも、船は傾き、この突然の大嵐で、今にも海の底へ沈んでしまうんじゃないかと思われた。空を覆った真っ黒な雲と激しい雷雨が一晩中続いて。それでも固く手を取り合ったまま、極度の緊張で疲れて果ててしまったのか、二人は肩を寄せ合い、そのまま
ルカは父さんの夢を見ていた。「父さん……!」振り返る夢にまで見た父は、あの日の爽やかな笑顔を携え、それでも、その懐かしい微笑みすら、いつしかおぼろげな記憶の彼方に消え去っていく。私はもう父さんの顔すら憶えていない……会いたいよ、父さん。そう思うと涙が溢れた。そして――。
ルカは父さんが女王蜂の姫と言っていた、シャルロッテと思しきその
『お目覚めなさい。雄蜂カウラムの娘よ……』
……オスバチ?カウラム?一体、何のこと?
父の記憶の傍らで、いつも咲いている幻の青い花、ブルー・エトランゼ。
* * *
傍らの壁をくり抜くようにして開いた小さな窓。ひとり目を覚ましたルカは、そこから眩しい光が差していることに気づいた。嵐は上がったんだろうか。クイーン・リズ号は無事なの?私たちは助かったの?様々な問いかけが脳裏をよぎる。
が、その瞬間、ルカは不思議に透明な歌声が、どこからともなく響いてくるのを耳にするのだった。それは、どこか悲しげな切なげな、遠い歌声。ルカは胸元のブルー・エトランゼの種の入ったペンダントを、そっと握り締めた。
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