Ⅲ. ティオとサーカスとマリー姐さん
背格好といい、自分と同じぐらいの歳らしき、その眼鏡をかけた男の子は、肩に乗せた白い子猿を連れていた。キキっと人懐っこく纏わりつく子猿をあやしつつ、少年はいかにも興味深いといった風情で、丸眼鏡の奥のさらにまるい瞳を大きく輝かせ、大げさな風情でルカに話しかけた。
「君、珍しいね!君みたいな女の子に、こんな所で出会えるなんて!」
それを言ったら、この男の子だって。失礼だけど見るからに、それほど裕福そうにも思えない。ルカ自身も、まさかこの豪華客船で、こんな男の子と出会えるなんて夢にも思わなかった。けれど、そんなことはお構いなしに少年は続けた。
「ほんと今日は幸先いいなぁ……あ、申し遅れました!僕はテオドール・シャムロック。皆ティオって呼んでくれるよ! こっちは小猿のマルコ。ほら、あのサーカス団、見てよ。僕はあのマティウス一家と一緒に旅をしてるんだ。小さなサーカス団だけど、皆んなで頑張ってるんだよ」
矢継ぎ早に続ける少年ティオに、ほぼルカは呆気に取られて自己紹介するのも忘れてしまっていた。ティオの指差した蒸気船のパーティー会場の一角で、ほんの形ばかりの小さな見世物小屋を開き、パペットを使ったりサルやオウムなどの小動物を使った小さなサーカス団が、冷やかしも兼ねた、小さな人だかりを作っているのが確かに見えた。
そしてティオは、未だ呆気に取られているルカを、懐から取り出した虫眼鏡で覗き込み、「うーーん、見たところ、君はいい所のお屋敷から逃げ出してきた、家出娘のお嬢さんだね?その学校の制服といい、普段の何不自由ない暮らしに飽き飽きして家出してきた、お金持ちの家のお嬢様ってとこかな?」
はぁ?ちょっとだけっていうか大分違う。ルカは苦笑いしながら首を横に振って言った。「私、私はルカ。安藤瑠花。今日ここに来たのも、ほんと自分でもびっくりするようなことがあって……ただそれだけなの」
「え、じゃあ君、ほんとはもっと身分の高いどこかの国のお姫様だったりして!今日は勿論、お忍びか何かで――うん、わかるよ、わかる!ほんのつかのまの自由を満喫したいその気持ち!」
って、お姫様の気持ちの何が解るのよ、君。ルカはほぼ人の話を聞いていない、突っ込みどころ満載なティオの推理に、それでも妙に和んでしまっている自分を発見して微笑むのだった。本当にたった一人、こんな自分とは縁遠いお金持ちの集まる豪華客船に迷い込んでしまい、実は途方に暮れていた所だったのだ。「ティオーー出番だよー!」サーカス団の仲間に呼ばれ、ティオは今行くよと返事をすると、「またあとでね!」と、一旦ルカと別れた。
ティオと一旦別れ、再び一人になったルカは、このままここで立ち尽くしているのも何なので、よかったら見て行ってよ、と勧められたまま、ティオたちの小さなサーカス団の見世物を見ることにした。観客の人々は、ほぼ冷やかし半分で、中には「帰れー」と煽ったり「このポンコツサーカス団!」などと野次を飛ばす者もいた。が、それでもマティウス一家はめげずに独自のショーを続けていた。
むしろルカは、その涙ぐましさにお金を払ってあげたいと思うくらいだった。ティオは観客の中の一人の、ある小さな女の子の悩みを当てるという見世物をやっていて、見事に外れたその結果に文字通りの失笑を買っていた。女の子はティオの推理そっちのけでティオの小猿マルコとじゃれあっていた。それでも皆、笑われても、踏まれても蹴散らされても決して動じず、自分たちの小さなサーカス団を守っていた。
世の中にはこんな人たちもいるんだ。むしろルカはそのことに感動すら覚えていた。こんな豪華客船のお金持ちのパーティーに迷い込んでしまったから、余計わかる。自分は決してそんな何不自由のない家のお嬢様なんかじゃないけど。オズワルドの招待のパーティーの緊張など、ルカはもうどうでもよくなっていた。
すると、まるでホテルの支配人か何かよろしくな風情の、この船の船長とおぼしき大柄の男が突然やって来て、ティオたちマティウス一家に向かって怒鳴り散らし始めた。
「オイ!お前たち!一体誰の許可を貰って、ここで見世物してる!?」
「正式な許可は貰ってますんで、どうかお咎めは」
団長のマティウスと思しき中年男性が、ぺこぺこと頭を下げつつ弁明した。それでも船長の怒りは収まらないようである。すると、その騒ぎを人だかりの片隅の席で見ていたらしき、黒ずくめのドレス姿のサングラスをかけた若い女が、ワイングラス片手に船長に声をかけた。
「ちょっとちょっと、船長さん。あんまり
「はぁ申し訳ありません。こいつらによく言って聞かせてやってるだけなのですが」
「こんな小っさいサーカス団、いじめても何の得にもなんないよ?」
「はあ……しかしですね」
だから許可は得てるんじゃ……。ルカはハラハラしながら、その様子を一人見守っていた。すると、その黒ずくめ女性のお供なのか何なのか、同じくサングラスをかけた二人組の男たちも加わり、ちょっとした誤解も含めた小競り合いになっていく。
「てめーマリー姐さんの言うことが聞けねーってのか!?」
「そやそや、半殺しにしたるで?」
……ちょっとどころか、かなり柄が悪い。何なの、この人たち。半ばルカが呆れ顔でいると、今回のパーティの主催者がやっと到着したのか、その場は、ざわざわと別の空気感に包まれた。そう、この新進蒸気船クイーン・リズ号の建造就航元である、ケペレル・インダストリー社の若きC.E.Oである。
「どうした?船長。この騒ぎは一体なんだ?」
「申し訳ありません、社長。ちょっとした不備がありまして」
オズワルドは、マティウス一家を一瞥すると、懐から財布を取り出し、二、三枚ばら撒いた。そして、「――失せろ」と、人知れず冷たい一言で一蹴した。そして何事もなかったかのような涼しい顔で、来客たちに向き直り言った。
「皆様、ちょっとした余興をお見せしましたが、お見苦しい点もあり、申し訳ありません。本日はこのまま当社主催の就航記念パーティーを、どうぞお楽しみ下さい」
* * *
どうして私、今日こんな所に来てしまったんだろう。不意に退場させられてしまったティオたち。代わりに賑々しく始まった、ジャズ楽団の演奏が賑やかに続けられる中、再び一人ぼっちになってしまったルカは、深くため息をついた。
父さん、私……。懐のペンダントを握りしめながら、ルカは思った。
「ブルー・エトランゼ、どうしたら父さんのいる所に行けるのか、教えて」
もしかしたら、その小さな呟きを、誰かに聞かれてしまっていたのかもしれない。ルカは、今度は別の誰かに声をかけられた。
「ちょっとそこのお嬢さん。そう、あんただよ」
振り返ると、頭の上から爪先まで黒ずくめの衣装に身を包んだ、赤毛の女が一人。何だか聞き覚えのある声だな?と思っていると、さっきティオのサーカス団を咎めた船長に最初に声をかけた若い女だった。黒ずくめの女は、まるで品定めでもするかのように、ルカをじっと眺めた。
「今、ブルー・エトランゼって言ったね?」
ルカは、はっとして思わず身構えた。手にしたペンダントには、その青い花びらの押し花が……。
「それだよ、それ!そのペンダント!ちょっと見せておくれでないかい?」
次第ににじり寄る、黒ずくめ女性。危険を察知したルカは、じりじりと後ずさりしたと思ったら、思わずその場から脱兎のごとく駆け出していた。「こら待てェ~~~お宝ペンダトォォォーーー!!」スカートの裾を翻して、女も追ってくる。その背後で様子を伺っていたのか、黒ずくめ女の配下らしき、痩せ型と小太りの二人組の男も加わり、ちょっとした逃走劇となった。
「マリー姐さん、どうしたんで?」
「ブルー・エトランゼだよっ!」
「はっ!?」
「ブルー・エトランゼッッ!!……んったくもう。知らないのかい?」
そんな人様に簡単に知られるような代物だったら、正直マズイのだが。このマリー姐さんと呼ばれた女性は、ブルー・エトランゼの花のことを少しどころか、大方知っているようだった。かなり広い蒸気船内とはいえ、同じ船の上。隠れる場所も限られており、ルカは焦った。そのとき、
「ルカ!こっちだよ、こっち!ルカ!!」
先ほどデッキから退場させられたサーカス団のティオが、階段の踊り場の上から手を振って声をかけてきた。ルカは一目散に階段を駆け上がると、ティオに手を引かれて、さらに走った。
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