第3話 天使との対話

***


『もう少し、もう少しでやっと――』

「もう少しで何ですか?」

 薄暗い屋根裏部屋の片隅で、唯一日光の差し込むの窓からまだ明るい空を見上げて一人つぶやく天使に、リリアージュが声を掛ける。


『――っ!』

 この場に動ける者は自分一人しかいないと高をくくっていたのか、それとも天使であるはずの自分に声を掛ける者などいない等と思い込んでいたかは定かではないが、振り返った天使は予想外の人物の登場に動揺を隠せない様子であり、ひどく驚愕した表情を浮かべていた。そして、なおもリリアージュは天使へと問うことを続ける。


「私がここに居ることに驚きましたか?」

『えぇ、驚いたわ。ここには誰も来ないと踏んでいたもの……でも、あなたたちが何をしに来たのかは察しが付くわ』

 このような場所に現れたそんな二人――リリアージュとフィンの姿を捉えながら、すぐさま落ち着きを取り戻しながら天使は語る。

 天使は部屋に横たわっている子どもたちへ、ちらりと一度視線を移しながら述べた。


「なら、止めていただけませんか?」

『どうして?』

「あなたがこれから行おうとしていることは許される事ではありません」

 リリアージュはしっかりとした意志を持って、看過できない行為であることを天使へと告げる。そして天使の姿を捉えることの出来ないフィンは、見えていることを演出する為に、その隣でリリアージュの視線を頼りに天使のいる方へと顔を向ける。


『許されない事くらい知っているわ』

 ――だったらなぜ? そう問いかけたとしても、きっと天使は理由を明かさないだろう。だからリリアージュは賭けに出た。


「――あなたの本来の望みは……ですね」

『あら、知っていて止めに来たのね』

 もしも天使の目的が禁忌を犯すことだとしたら、その天使は自ら堕ちる――つまりはということに他ならない。


「夢魔が言っていました。あなたが何をしても《時の羅針盤》の封印を解くことはできないと」

『そうね、デミゴッッドと言えど、神の力を有した封印だものね』

「ならどうして、堕天することに拘るの?」

『――天使のままでは一緒にいることは許されないからよ』

 天使は少しだけ俯き、瞳に寂しさを宿しながらも強い意志を秘めた表情で語る。


『私が愛した人は半魔だけれども、同族達はそれを許してはくれなかったわ』

 天使が言うには、その罰として千年の眠りと言う名の謹慎を強制されたという。そして天使ならともかく半魔である彼には千年の寿命など無い。けれど彼は千年後にもう一度会う為にある者に頼んで自らを封じたのだという。


 その封印は神本人ではないが、神の力を宿した封印である為、簡単には解けない。それでもその封印と共にあれることが幸せなのだという。けれど、いずれまた戻されるかもしれない――そうなった時、自分が天使でない必要があるのだという。それに、悪魔の中には堕ちた者達である、堕天使元天使なんて珍しいことではないと。だったら自分が落ちれば済むだけの話だという。


「それは自分勝手な話よ」

『それでも……天使だから、種族が異なるからと言う理由には納得できないもの』

 あの日、初めて会った時、天使はリリアージュにこう言った、『』とも『小さなさん』とも。


「――種族に関することなら、あなたに同意よ。――でもそれと、何の罪もない子ども達が犠牲になってもいい理由にはならないわ」

『それでも……』

「それでもじゃないのっ! そもそも半魔の彼はあなたと一緒にいたくて、千年もの時を待つ覚悟があって封じられたのでしょう?」


 いつもなら冷静になるべきことと言うことは分かっていた。

 それでも感情的になってしまい、リリアージュは天使に掴み掛りながら意見を述べる。

「たいだい、そんな覚悟を持ってまであなたを待っているのに、あなたが犯した罪を知ったらきっと自分を責めるわ」

『――っ!』

「自分のせいで、あなたに罪を背負わせてしまったと……」

 きっと自責の念に苛まれることになるだろうとリリアージュは告げる。


『だったら……私はどうすればいいのよ……。だって私……あの時必死に、ちゃんと話したわよ……でも誰も認めてはくれなかったのよ』

 今までの強い意志を秘めた表情とは異なり、天使の目には大量の涙を浮かべていた。そしてリリアージュが天使から手を離すと、天使は膝を付いて座り込み、両手で顔を覆いまるで泣きじゃくる子どものように言う。


 フィンはそんなリリアージュの様子を見て、ようやく動いても大丈夫だと悟り、近くに横たわっている子どもの一人に近づいた。確認すると確かに顔色が悪く蒼白している。そしてかすかな息遣いを感じて眠っているかの様子に少し安堵の溜息を漏らす。


「――あなたはあの日、私の事を『』とも『小さなさん』とも言ったわ」

 リリアージュはそんなフィンの行動を確認すると、先程より抑揚を落とした声で、やや俯きながらも天使だけに向けて語り掛ける。


「確かに私はあなたと同じ血が少しだけ混ざっている混血種ストレインジだから……その苦労は分かります」

「――っ!」

『……』

 リリアージュ自ら打ち明けた予想外の発言に、思わずフィンはリリアージュを見て声にならない声を上げ、天使はその発言に対して物思いにふけっているかのようだった。


 話の抑揚は落ち着いてきてはいるものの、すっかり冷静さを欠いていて、やや感情的になっていたリリアージュは、自身が混血種ストレインジであるという言うつもりのないことを、この場にフィンがいることを忘れて明かしていた。


 リリアージュの母であるメリアージュは、トリネコの木精ドリュアスを母に持つ半妖精であり混血種ストレインジだ。そしてリリアージュの自身、ものごころ付く以前より、会ったことのない存在である母方の祖父はかつて、ある《奇跡》を使い果たして消えたと聞いた事があった。


 そして《奇跡》を使える祖父の存在は、天使である彼女がリリアージュのことを《小さな》と称することで、その正体が彼女と同族であることを示してもいる。そして、あのヴィルヘルムの屋敷の地下の一件で、《同族》だからこそリリアージュは、天使に向けられていたあの魔法陣の影響を受けたのだと思い知る。


「あなたの様に、同族からは祝福はされないことが多いけれど……それでも、私のような子がいるのはお互いが認め合っているからこそなんです」

 祖母のトリネコの木自体が枯れたことで影響を受けた母メリアージュも、母の持つ力で生きながらえていた父も自分を置いて行ってしまった。リリアージュにとって優しかったそんな父と母の記憶は、幼い頃ながらもしっかりとしている。両親が健在だった時の記憶の中ではいつだって楽しく笑っていた。


「認めてもらうのは時間がかかるかもしれません……それはあなた一人の問題ではなく、二人の問題です。二人で一緒に解決していくことが一番の方法だと思います」

『……でも、でも』

 泣きじゃくって目を赤く腫らした天使はまだ駄々をこねるように口を開く。


「少なくとも――千年の眠りの後、あなたに半魔である彼の封印を告げた方と封印を施した方は、反対はしていないんじゃないですか?」

『……セルシア、クロナ』

 セルシアというのが誰なのか、またどういった関係なのかリリアージュには分からない。けれど封印を施したのがデミゴッドのクロナだから、おそらく彼女に告げた者の名だろう。


「そしてこれを。これは……あなたが持っている、半魔の封じられている《クロナの懐中時計》についてクロナ自信が書き残した物の写しです。書かれた時代が古い為、さすがに原本は残っていないみたいですが、これは引き継がれるべくして引き継がれているその《懐中時計》の取扱説明書みたいなものです。そしてこれにはあなたが求める答えも記されています」


 リリアージュはそう説明しながら、バッグから古びた本を取り出して、相手に見せつけるかのように前へ出す。それは、昨日読んでいた《時の羅針盤》というタイトルの古い本だ。

 そして天使がその本を手に取ろうとしたところで、リリアージュは素早く本を持つ手を引っ込める。


『どうして?』

「どうしてって、これはタダでは渡せません――子ども達の解放と命の保証が条件です」

 先程の仕草であれば、そのまま自分に受け取らせてくれるようだったが、そうでなかったリリアージュの行動に天使は疑問を投げかける。

 儀式の不成立と贄とされる子ども達の救出。それこそがリリアージュ達の本来の目的だ。


「あなたがこのままこの件から手を引いてくれても、あなたによって取り留められている命は、このままではいずれ死へと引きずられてしまいます」

『……それじゃ、その子ども達を助けたら……それをくれるの?』

「はい、でも助けられなかったのなら……これは処分します」


 これが――この本が、リリアージュが持てる取引できる唯一の策であり、この状況を作ることが必要だった。交渉術に長けているわけではないリリアージュとして、結果としてはまあまあだと思った。


『わかったわ、その子達を助けるわ』

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