じーちゃんが亡くなった。
じーちゃんが亡くなった。
母から電話があり、そう伝えられた。電話口の母は意外なことに、とても冷静だった。
___そうか。ちょうど仕事が休みだから、俺も一緒に行くよ。
じーちゃんは去年、脳梗塞で倒れた。年齢は90歳にもうすぐ手が届くところだった。とても頑固でいつも何かに憤怒していて、記憶の中では強い語気で母と話している。その土地の方言は俺には殆どわからない。
ばーちゃんが20年前に亡くなってから、15年ほどひとりで暮らしていた。5年前に農作業中に怪我を追ったタイミングで長男が早期定年し、じーちゃんの家の片隅に別荘を建てて世話をしていたようだ。
ばーちゃんがなくなった日をまだ覚えている。電話でその一報を受けた母は動揺し、「おばあちゃんが死んじゃった!」と俺たちの前でまるで子供のように泣きじゃくった。それが衝撃的すぎて、俺たちは、ばーちゃんの死をどう受け取ったらいいのか分からなかった。
家族揃って葬儀に出席した。普段気の強いじーちゃんが頭を垂れ、農業従事者には着慣れない背広を不格好に着ている。古びてよれた背広は、中学生の俺にはさびれた田舎の島の物悲しさとして映った。
葬儀が終わり、俺達はばーちゃんの骨壷の横で一夜を過ごすことになった。あれは夏だった。古ぼけた木材と欠けて老朽化したコンクリの住宅から空を見上げると、星と星の隙間が見えないくらいに沢山の星たちと銀河が広がっている。
___天の川って本当にあるんだ。
じーちゃんは庭で壊れかけたビーチチェアに腰掛け、夜空を見上げながら静かに三線を爪弾いている。
年季の入った三線の音は澄んでいた。じーちゃんが方言で何を歌っているのか分からなかったが、とても悲しい歌声だった。
愛しいよ、会いたいよそんな内容じゃなかったかな。例え全く分からない方言でも、時折きこえるそれらしき言葉が子供ながらに切なかった。
じーちゃんの三線の音色を聞きながら俺はゆっくりと目を閉じた。
___声がする。薄く目を開くと、おじさんが骨壷のある仏壇の前で一心不乱に念仏を唱えていた。蠟燭に照らし出されたその姿は、一瞬、鬼や幽霊かと思うほどに異様な雰囲気に見えた。俺は怖くてタオルケットを顔に押し当て、耳と目を塞ぎ無理やりに眠った。
翌日何事もなかったようにおじさんは接してくる。__あれは夢だったのか?その後おじさんは出家し、僧侶になったらしい。あのときの一心不乱に読経をしていた姿が脳裏に浮かんだ。
___とうとうじーちゃんもか。あの時の記憶はまだ鮮明にあるのにな。
6年ほど前に会いに行ったときは、すっかり歳をとって小さくなりながらも、そのどこから湧いてくるのか分からない強い頑固さと怒りに、まだまだ先は長いなあなんて母と苦笑していたものだ。
今思えば物理的な距離もあって、全然会ってなかった。じーちゃんのとても歳の離れた弟妹は地元に健在で、離れてはいるが子供たちや、俺達みたいな孫やひ孫なんかも沢山いた。
俺は正直な所、じーちゃんが歳をとって老けていって弱っていくのを見たくなかったし、大人になるにつれて祖父という存在にどう接していいのかよくわからない部分もあったから、じーちゃんの老いに目を背けていた。
去年見舞いに行ったときは、あれからもっと小さくなって、管に繋がれて言葉も発せずに朦朧としている姿をしたじーちゃんを見た瞬間にボロボロと泣いてしまった。
___歳を取るってこんなにも悲しい。
弱ったじーちゃんと、もうすでに老いの隠せない両親が重なる。
じーちゃんとあまり仲の良くなかった父も、今日は涙を隠して側にじっとしている。娘である母は、まるで自分の子供に接するように、優しくじーちゃんに声をかけ、頬を撫でていた。
しばらくしてじーちゃんの血縁者が面会に来た。方言で「健康だよ、しっかりしろ」と手を握って話しかけている。
じーちゃんの虚ろな意識は少しはっきりしてきたのか、身体を起こそうと動き出した。声にならない声を出そうとしているのか口が僅かに動く。その目は娘である母をしっかりと見据えていた。
じーちゃんは話せない口で、動かない口で、母に怒っている気がした。お前はこれ以上心配かけるんじゃないよ、と。母は末っ子で、じーちゃんには結婚後も結構な心配をかけてきた。子供の俺でも、無計画に行動しがちな母のことは心配だからな。
ベットを起こし、皆で記念撮影をした。その日来れなかった遠くに住む次女にメッセージをつけ、じーちゃんの様子と写真を送信する。
___早くお前も見舞いに来いよ。じーちゃんきっと、長くないぞ。
その写真が最後になってしまうなんて。
俺はじーちゃんの弱って小さくなったその姿が嫌で、母からもらった写真を保存せずにいたんだ。その後、その写真を見返すこともなくね。
もう生きているじーちゃんの姿を見ることもできない。生きているうちにもう少し会っていたら、なんて本当によくある話だよな。どうして人は、相手が居なくなってから後悔するのだろうか。
結婚して家庭を持っている末っ子の妹からメッセージが届いた。__お母さんから連絡きた?と。__ああ、もう電話来てた。次女にも電話しとくよ、そう答える。
俺たちは歳を重ね、人の死に少し鈍感になった気がする。こんなに冷静に、じーちゃんが死んだなんて考えられるんだな。涙も出そうにない。インターネットの操作が苦手な両親のために、俺が3人分のチケットを取ることになりそうだ。
__葬儀は2日後だそうだ。頭の中でどのスーツを着ていくかゆっくりと考えを巡らす。今日はずっと雨だ。しばらくは天気が悪いらしい。そのままいくと、きっと当日も雨だろう。
外の雨はしとしとと静かに、曇硝子を濡らし続けている。
祖母の家 松生 小春 @STO11OK
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。祖母の家の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
食った食った、ラーメン喰った/松生 小春
★19 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
みんなの知ってる文豪!?/松生 小春
★26 エッセイ・ノンフィクション 完結済 23話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます