父とたまご
橘花やよい
父とたまご
一つの橋がある。
橋の上にはぽつぽつと電灯が灯って、ぼんやりと周囲を橙色に照らしているのが寂しげだった。山の中の橋だ。橋以外にあるものといえば木だけだった。
人や車が通る気配はない。何かの虫が鳴く声と、橋の下を流れる川の水音だけが聞こえていた。
昼ならばなんとも思わないのだろうけれど、夜だと少し不気味な雰囲気がある。それは俺がこの橋にきた目的のせいでもある気はするが。
俺は手の中にある一つの卵を弄んだ。なんの変哲もない、スーパーに六個入りで売られている卵だ。
山の中に卵を一つ握りしめた男がいる情景はとてもへんてこだと思う。しかし、これにはきちんと理由があるのだ。
最近、俺が通う大学のゼミの中で怪談話が流行っていた。なにせ今は八月、夏なのだ。日本の夏に怪談は付き物だろう。
最初は研究室で、持ち寄ったホラー映画をみんなで鑑賞した。カーテンを閉め切り、電気も消して、研究室の扉には「研究中のため入室禁止」のボードまでさげた。男たちが肩をひっつけあってホラー映画に怯えるのは、なかなかに愉快だった。
だが、それも暫く続けていれば飽きるもので。
さて、次は何をしよう。俺たちは考えた。鑑賞の上をいく行為は何だろう。答えは満場一致で「肝試しに行こう」となった。
とはいえ、全員で一緒に肝試しに行くことはできなかった。俺のゼミは所属学生が十人を超えている。なかなかに大所帯だ。それぞれにバイトの予定などもあるわけで、全員の予定を合わせるのは不可能だった。それに、大人数で肝試しというのも興ざめだろう。
そこで、肝試し自体は個人で行くことになった。各人がネットで噂されている怪談を実際に試しに行き、後日その体験談を聞かせ合うという肝試し大会の開催が決定したのだ。
担当する怪談はそれぞれで探し、次に会うときまでのお楽しみということになった。だから俺は他の連中が何の怪談を試しているのか、まだ知らない。もし、試した怪談が誰かと被ったとしてもご愛敬だろう。
俺はネットで情報を収集した。
エレベーターを使用して異世界に行く方法。過去轢き逃げされた女性の霊が出るという交差点。現実世界にはない駅。探せば色々と出てくるものだ。
俺は一日ネットで検索をしつづけ、「あの世の生物を産む方法」というものを試すことにした。
異世界とか、霊とか、そういう怪談話は怖いのだ。話を聞いているぶんには面白いが、自分で試そうと思うほど俺は怪談に強くない。出来得る限り怖くなさそうな話を探して、この情報にたどり着いた。
詳細としてはこうだ。
まず、卵を一つ用意する。これはスーパーで売っている普通の卵で構わない。腐っているとより良いそうだ。この卵に魔法陣のようなものを書く。この世ならざる存在を呼び寄せる陣だそうだ。ネットに画像も添付されていたが、なかなかに複雑な模様だった。
次に、午前三時に橋に行く。橋は人気のないところが好ましい。午前三時というのは怪談では定番だろう。
そして、卵を手にもって、橋を渡る。卵を手で温めながら橋を渡るのだそうだ。
そうすると、橋を渡り切ったところで卵が孵り、中からあの世の生き物が産まれる、らしい。
なんでも、川というのはあの世とこの世を繋ぐものらしいのだ。此岸と彼岸。こちら側の岸はこの世、あちら側の岸はあの世。
また、死者は三途の川を渡って死後の世界に行く。川はあの世とこの世を繋いでいる。
橋は川の両岸を繋いでいるのであるから、あの世とこの世を行き来する建造物ということになるようだった。
俺は早速、スーパーで卵を買ってきた。そして一つを皿にのせて数日部屋の中に放置した。この真夏だ。冷蔵庫に入れなければ腐るだろうと思った。
そしてネットの画像をみながら、ペンで魔法陣を卵の殻に描いた。複雑極まりない。陣の模様や文字、一つ一つに意味はあるらしいのだが、そんなことにまで気を遣う余裕はなかった。機械的に陣を写し取る。
卵を用意したら、次は橋探しである。
俺は学校の友人に声をかけた。その友人はレンタカーの店でドライバーのアルバイトをしていた。お客が「ここまで車をもってきて」と指定してきた場所までレンタカーを運転して貸出に行くそうだ。そのため、色々な場所を運転しており、地理には詳しかった。
「今度肝試しに行くんだけど、人気がなくてちょうど良さそうな橋ってない?」
そう尋ねると、そいつは暫く悩んでから一つの橋を提案してくれた。山の中の橋だった。友人も一回しか通ったことはないそうだが、それなりに雰囲気はあったと教えてくれた。
「悪魔を産む方法ねー」
「悪魔じゃなくて、あの世の生物を産む方法な」
「同じようなもんだろうが。しかし、そんなもの産んでどうするんだよ」
「さあ。ネットにはなんでも願いを叶えてくれるとか、嫌いな人間を一人殺してくれるとか、色々書いてあったけど」
「なんだそれ。適当だな。それで、お前は何をお願いするわけ」
「考えてねーよ、そんなもん」
本当にそんな存在が産まれるなんて思っていない。
けれど、友人が面白半分で執拗に絡んでくるため、「じゃあ、お前を殺してくれって頼もうかな」などと軽口を叩いた。友人はひどいひどいと大げさに泣き真似をしてみせた。
「自分が産んだ子どもに友人を殺させるなんて、お前も随分怖い男だったんだな。こんな父親嫌だわ」
「そうだぞー、俺はバイオレンスだぞ。今後、夜道には気を付けるんだな」
友人は「怖いわー」と身を震わせてみせた。
そんな経緯があって、俺は魔法陣の描かれた卵をもって、バイクを走らせ、教えてもらった橋に来た。
時計を確認すると、二時五十五分。
俺はスマホの動画機能を起動させた。
橋を写して、その周囲も画面に収めた。
「現在、午前三時前。あの世の生物を産むために、山の中の橋にやって参りました。この卵をもって、橋を渡ります。みろ、この魔法陣を」
卵をアップで映す。
「あっち側まで橋を渡り切ったとき、この卵が孵るそうです。ではでは、渡ってみますね。その前に一旦CMでーす」
動画撮影をとめた。
橋を渡るとき、卵は両手で温めなければならない。スマホで撮影しながら渡ることは難しそうだった。
今度の怪談発表会では先程の動画をみせた上で、「注目の結果ですが……、何も起きませんでしたー!」などと話す予定だ。
再度、時計を確認する。そろそろ時間だ。
俺は卵を両手で抱えて、橋に一歩踏み出した。
一歩一歩、ゆっくりと歩く。
「ほんとに静かだな、くそ、お前もそう思うだろ」
卵に声をかけながら歩く。
風が吹いた。橋の上では遮るものが何もないから、風が強いのだ。
ぽつりと雨が手にあたった。
天気予報では曇りとなっていたはずだ。傘や合羽をもってくるべきだっただろうか。
俺は空を見上げた。頬に雨が落ちて来る。
「あー、早く帰ろ」
歩くスピードを速めた。雨が強くなる前に早く帰ってしまおう。
まだ橋の中間あたりだ。
とん。
手の平に何か小さな衝撃があった。
俺はびくりとして立ち止まる。手の平を確認した。
外灯に照らされてやけに橙がかった自分の手。その手には卵が一つ乗っている。
「今なんか、動いたか、お前」
まるで何かが卵の中から殻を叩いたかのような振動だった。いやでもまさか。だってこれはただのスーパーに売っていた卵なのだ。
「気のせいだろうな」
俺は頭をふって再び歩き出した。
橋の向こう側が近づいてくる。
とん。とん。
「気のせい気のせい」
もしかしたら、卵の中身が腐ってなにか化学反応みたいなものが起きているのかもしれない。何かが発酵していて、殻の中でぶくぶくしているとか。
もうあと少しで橋を渡り切る。
卵を確認する。
とん。
たしかに今、卵が揺れた。
勘違いなんかではない。動くはずのない卵が動いた。
そんなことあり得るはずがないという思いと、俺はとんでもないことをしているのではないかという思いが混ざり合う。
――戻ろう。
俺は振り返った。もう一度、向こう岸に戻ろう。このまま橋を渡り切るのはよくない気がする。
心臓がどくどくと脈打っている。
橋を渡り切るまであと一歩。
このあと一歩を踏み出したらきっと後悔する。
何も見なかったふりをして、帰ろう。
「うわ」
そのとき、強い風が吹いた。体が押される。
俺はよろけて後ずさった。
あ、と足元をみる。
片足が橋の外に出ている。
あわてて足をひっこめた。
卵をみる。
卵が振動していた。
カタカタカタカタ。
俺はじっと卵を見ることしかできなかった。
ぽつり。
雨粒が落ちてきた。
雨は卵の上に落ちる。
雨粒が落ちた場所に小さくヒビが入った。
ヒビは徐々に広がっていく。ついには卵が割れた。
ドブのような臭いがあふれ出す。鼻をつまみたくなるような、強烈な悪臭だった。
割れた殻を押し退けて、何か小さい、黒い塊が動く。
氷のような冷たさだった。ぎょろぎょろとした不気味な目。てらてらと鈍く光る黒い体表。タコのような何本もの触手。小刻みに動くいくつもの足。
この世の生き物ではない。
全身の毛穴から嫌な汗が噴き出した。嫌悪感。醜い。悪臭。気持ち悪い。
俺は耐えきれず、手に乗っているモノを地面にたたきつけた。
地面の上で、小さな足がカサカサと動いている。それを踏みつけた。
ぶにゅりとした感触が靴越しに伝わる。
踏みつける。何度も何度も。
踵で地面にこすりつけるように。地面にたたきつけるように。何度も何度も、ひたすらに踏みつぶした。
服が汗を吸って寒かった。
違う違う違う。俺は何もみてない。何も知らない。俺がもっていたのはただの卵だ。ただのスーパーに売っていた卵だ。何かが生まれるわけない。何も見てない。
俺は振り返って橋を駆けた。
帰ろう。早く帰ろう。ベッドで眠ろう。明日はバイトなんだ、夜更かししている場合じゃない。早く帰らなければ。
そのとき、妙な音がした。
いくつもの楽器をでたらめにかき鳴らしているような。耳をつんざく音。
橋が揺れた。
俺は必至に橋を渡ろうとした。
音が近づいてくる。
背後に何かが迫ってくる。
振り向いた。
黒い物体が迫ってくる。
ひゅっと自分の喉からよく分からない音がした。
視界が揺れる。回転して、空がみえる。
あれ、おかしいな。自分の体が遠くにみえる。首がない。
ああ、またあのおぞましい音がする。
いや、音じゃないのか、声なのか。それはまるで赤子の泣き声のようにも聞こえた。
俺はそのまま川に落ちた。
泣き声が夜の山に響いていた。
父とたまご 橘花やよい @yayoi326
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