むしょうの愛

心憧むえ

むしょうの愛

一時間目の道徳の時間、僕は先生に質問しました。

無償の愛って何ですか。

先生は答えます。

一切の見返りを求めない愛情、それが無償の愛です。多くは親が子どもに対して抱くもの、それが無償の愛です。

そうなんだ。だとしたら、お母さんが僕を叩くのも、お父さんが僕を無視するのも、その無償の愛ゆえなんだろう。僕のためを思ってのことなんだろう。

きっと、そのはずだ。



 ※



 最近、お母さんは、まるで僕のことが見えていないみたいに、僕を無視します。お母さん、お母さん、何度呼んでも返事をしません。お母さんは常に眉間に皺を寄せて、どこか不機嫌そうです。そんなお母さんの心を映し出すように、部屋の空気はどんよりしています。朝の光もカーテンで遮られ、部屋の中は薄暗いです。お母さんは台所に行き、冷蔵庫を開けます。僕も冷蔵庫を覗き込んでみると、中は腐った生もので埋め尽くされていて、ひどい匂いです。お母さんはそんなこと意にも介さず、表情一つ変えずに一瞥だけして、扉を閉めます。お母さんは居間に戻り、食卓について、虚ろな目でぼんやりしています。



お母さん、どうしたの

聞いてみても、もちろん返事はありません。隣に座ると、ぶつくさとつぶやく声が聞こえてきました。



「なんで私が……私ばかり……あの人も出ていくし、私にばかりこんなもの擦り付けて、あの人もいなくなってしまえばいいんだわ。憎い憎い憎い憎い憎い――」



 僕はこんなお母さんの顔を初めて見ました。焦り、不安、憎悪、すべてが入り混じった、そんな感じでした。僕はなにも言葉をかけてあげることが出来ずに、ただ傍にいることしかできません。

 重い空気を切り裂くように、部屋にチャイムが鳴り響きました。すると、お母さんの顔が一層青ざめていきます。僕が玄関の方に出向くと、扉の向こうで人の声が聞こえました。



「人の気配はあるな。居留守を使ってるな」

「そうですね、もう少し粘ってみましょうか」



 そういうと、今度は扉をどんどん叩く音が響きわたります。急いで居間に戻ると、お母さんは小刻みに震えていました。



「私は悪くない私は悪くない私は悪くない……」


 お母さんの背中をさすってあげると、小さな悲鳴を上げて、余計に震えてしまいました。

 玄関からはまだ、扉をたたく音がなり止みません。



「いるのはわかってるんですよ。もう無理やり開けますからね」


 音は強さを増して、圧迫感が増します。扉はあっけなく開かれて、玄関からスーツに身を包む大人の男が二人、入ってきました。



「やはりいましたね。××署からまいりました。捜索令状が出ています、今から家の中を調べさせてもらいます」



 若い男はそういうと、お母さんの返事を待つことなく、台所やお風呂場を何の遠慮もなしにあさり始めました。もう一人の男は、お母さんよりも一回りは年上そうなおじさんで、そのおじさんはお母さんと向かいあうように食卓に座り、やさしい声で語りかけます。



「あんたねえ、たとえどんなことがあっても、自分で産んだ子どもは、責任もって最後まで育てないと」


 お母さんは強く歯を食いしばります。


「あんたに何がわかんのよ。知ったような口きかないで」


 すると、寝室から若い男が戻ってきました。


「けんさん、仏が見つかりました」



 おじさん刑事は立ち上がり、寝室へと足を運びます。僕もそれについていきます。五畳ほどの畳敷きの寝室。奥にはふすまがあって、二人の男はそこに近づいていきます。おじさん刑事がふすま戸をあけると、さっき冷蔵庫を開けた時と似たにおいがしました。上段にはびっしりと布団が詰め込まれていました。下段には、どこか見覚えのある小さな子どもが、膝を抱え込むようにして横たわっていました。子どもはずいぶんとやせ細っていて、肉が溶け落ちて骨が浮き出ているとこをも見られます。



「かわいそうに、一人息子だったそうだ。鑑識課を呼べ」



 近づいてよく見てみると、横たわっているのは僕でした。首元に赤いあざが付いているのを見て、僕はすべてを思い出しました。



「あざからみて、絞殺ですね」



 後ろを振り返ると、お母さんが横たわる僕を見ていました。おじさん刑事は無言でお母さんに手錠をかけました。



「やっと、やっとおわったのね。ありがとう、ありがとう。早くそれをどこかにやってください」


 そう言い残すと、お母さんは連れていかれました。

 横たわる僕を再度見遣ると、少し、笑っているような気がしました。

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むしょうの愛 心憧むえ @shindo_mue

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