空気の傀儡

心憧むえ

傀儡

 変わらない日常を、退屈なものだと揶揄することが多々あるけれど、僕は決してそんなことはない。劇的な変化がない代わりに、変わらないという絶対的な安定感が、僕には心地いい。ほどほどの大学を出て、そこそこの大企業に就職して、毎朝決まって八時に家を出て、九時から働いて、十七時に終業。帰ったら本を読むかゲームをするか。そんな変わらない毎日が好きだ。一つを除いて……。



「なあ、昼休憩だからって、仕事場でゲームするのは、俺は好きじゃないな」



 昼食を頬張る僕の、斜向かいに座る新入社員に、上司がそう言った。新入社員の彼は、納得のいっていない表情を浮かべつつも、「すみません」と言って渋々ゲームをカバンの中にしまった。社風に『休憩中のゲーム禁止』などと記載されていないのに、好きじゃないという理由で制限しようとする。僕はそれが、ほんの少しだけ、気に食わなかった。


 昼食を食べ終えると、僕はそのまま、転寝してしまった。


 ※


 目が覚めると、僕は教室にいた。辺りを見渡すと、懐かし面々がいた。


「ねえ、今っていつだっけ」

「何お前。タイムスリップでもしてきた?」



 そういって彼はからからと笑って、僕にデコピンした。読書にふけるもの、グループを作って談笑するもの、色んな人が教室という空気を形作っていた。教室の隅で行われていた陰湿な行いすらも、その一つだった。



「おい、お前休み時間なのに勉強して、ガリ勉野郎だな、見てて気色悪いんだよ」



 ヤンキー風の男は、いそいそと勉強する小柄な彼の参考書を奪い取り、数人で回して嘲っていた。彼ら以外の面々は見て見ぬふりをしている。なぜなら、それを注意しようものなら、ヤンキーたちの矛先が自分に向くことを知っているから。

 やがてヤンキーたちはそれに飽きたのか、参考書をごみ箱に捨てて、教室を去って行った。参考書を捨てられた彼は、悲しい面持ちでゴミ箱の元に歩み寄り、参考書を拾うと自分の席について、勉強を始めた。僕は何を思ったのか、彼の元へ足を運んでいた。



「大丈夫?」


 彼は驚いて僕を見上げて、憤怒の形相を浮かべて一瞥した後、小さく言った。


「偽善者が」


 まるでかなずちを頭に振り下ろされたような、鈍い衝撃が体中を駆け巡り、視界がぐわんぐわんと揺れる。僕はその場にひざまずき、必死に頭を押さえるけれど、痛みは一向に引かない。椅子に座っていた彼がふと、僕を見下ろした。



「空気に飲まれた傀儡のくせに」


 そして僕は思い出した。これは、過去の記憶だ。僕はこの状況を知っている。顔を上げると、彼はもう僕を見ておらず、参考書に目を向けていた。

 そうか、だから僕は……。


 ※


「おい、タバコ、ついて来いよ」


 頭に衝撃を覚えて飛び起きると、僕はいつもの会社にいた。先程、新入社員を注意していた上司が、タバコとライター片手に僕を見下ろしている。



「あ、はい」


 上司についていき、喫煙所へと着くと、同じ部署の女性がほかに二人、タバコを吸っていた。


「なんだ、お前らも来てたのか」

「お先に吸ってます」


 感情のこもっていないような笑みを浮かべながら、女性は受け答える。



「お前らに聞きたいんだけどさ、あの新人、昼休憩中にゲームをするなんて、これだからゆとりはって感じだと思わないか」

「あー、まじでわかります。なんか、ああいうの痛いですよね。職場でゲームするのがみんなと違ってかっこいいとか思ってそう」

「学生気分が抜けてないんだろうね」



 何の躊躇いもなしに、矢継ぎ早に陰口をいう彼らを見ると、あの頃の教室に似ているな、と思った。昼休憩なんだから、ゲームでもなんでもしていいじゃないか。目の前の上司がそれを嫌っているから、相手に合わせて意見を変えているだけじゃないか。僕たちだってこの前、昼休憩中に楽しそうにスマホゲームをしていたというのに。



「お前はどう思うよ」

「僕は……」



 僕は変わらない日常が好きだ。劇的な変化がない代わりに、変わらないという安定感が心地いい。だから――。


「ざ、ゆとりって感じですよね。僕は好きじゃないですね。仕事を遊びか何かと勘違いしてるんじゃないですか、あいつ」



 僕はやっぱり、変わらない日常が好きだ。いや、好きでいなきゃいけないんだ。

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空気の傀儡 心憧むえ @shindo_mue

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