たられば②

  + + +






「ベイザムの野郎! なんでこっちにつかねえんだよ、せっかくオレが……くそッ、くそが、サラもイールもみんな殺されちまった、“旦那”に何て言えば……」



 スケッチブックから目を上げると、焦燥に震えるジハルドが小屋に入ってきたところだった。荷物を手当たり次第に散らかして喚き、苛立ちに任せて体を掻きむしっている。



「旦那も嘘つきだ! 少年を捕まえて来いだと? あれのどこが『簡単なお使い』だ! ふざけやがってあの野郎……ッ、おい、今のチクるんじゃねえぞ。オレまで殺されちまうからな」



 スケッチブックと鉛筆を置いて、立ち上がる。

 ジハルドの肩をトントンと叩いて首を振った。



「……あ? んだよ」

「…………」

「おめえも逃げんだよ。けど足手まといはごめんだぜ。あのガキのことだ、きっとすぐ追いついて──」



  終わりにしよう。



「──は」



  がそう決めた。私たちは終わりだよ。



「や……何言ってンだよお前まで……」



  があの子たちを殺したんでしょう。

  なら私もそれに倣う。

  “ミズリル”を本当に解散させる。



 束の間目を閉じて、サラやリダ、イールに引導を渡したであろう男の姿を思い浮かべる。

 どんな風になっただろうか。きっと昔よりも男らしく、そして眉間のしわも濃くなっているに違いない。

 私も背負うべきだった。また背負わせてしまった。せめてジハルドだけでも、私が咎を負おう。

 再び目を開ける。ジハルドは恐怖に目を見開いて動けずにいた。



  私が弱かったばかりに苦しませてしまった。

  ごめんね。



「ま……待てよ、待っ……だってお前使えねえだろ……? な?」



 そう、私はジハルドたちとは違う。思うように能力を操れなかった。

 ならば、腹の底に巣食うこの澱みを一気に解き放てばいいだけのことだ。

 不思議とやり方は分かる。その果てに私が死ぬであろうことも分かる。それでいい、道連れに出来るのなら上等。



(あなたはもう、ミズリルに囚われなくていい)



 両手を前に差し出した。炸裂した痛みに意識が眩んだ。

 光の向こうに、懐かしい顔が見えた気がした。






  □ □ □






 水が頬を濡らす。

 唇を噛んだ。不完全な能力を得たのはミズリルの四人だけではなかった。俺にはどうしようもなかったのだろうが、無かった。



「ベイ……!? おい待て、おい!」



 ハッとラヒムの声で我にかえると、ベイが小屋に向かって疾走していた。その向こうには逃げ出す長い人影──ジハルドがいる。

 慌ててベイの後を追って駆け出した。ベイはジハルドを追いかけてはいなかった。小屋の残骸に横たわる人影だけを目指して、降り注ぐ破片を腕で払い退けながら走っていた。



(つーか速ェな! あいつホント、こういうところで全力出すなよな……!)



 元少年兵・現役私兵の身体能力に敵うはずもなく、追いついた頃には俺の息が切れていた。



「ベイ……ッ、ハア、ちょっとそこで止まれ。危ないから」



 言う前にベイは立ち止まっていた。その肩を軽く叩いて、瓦礫の間に倒れ伏す人に近寄る。


 浅黒い肌をした女の人だった。ベイたちと同じガラクト人だろうが、体格のいいイザベラとは違い、骨張って痩せた細い人だ。目から口から血を流し、両手の近くでは絶え間なく水がこんこんと湧き出て、俺の足元にまで血の混ざった水溜りを広げている。

 首筋に指を当てるとまだ脈はあった。わずかにだが呼吸もある。



(……でも、もう……)



「……残念だけど……長くない。体の方が耐えられなかったんだ。……ベイ?」



 振り返った先で、ベイは茫然と立ち尽くしていた。もう一度小さく呼びかけてようやく、何かを堪えるような顔でゆっくりとこちらへ近づいてきて、膝をついた。

 武骨な浅黒い指が、女の人の黒い前髪をそっと払った。



「……フィー」



 その声に呼応したかのように女の人の瞼が震えて、開いた。

 綺麗な茶色の目がベイを映した。

 水に濡れた細い手が、ベイの頬に伸ばされた。



「外に連れてってやんなさい」



 いつの間にかイザベラが背後にいて、ひっそりと静かな声でベイに促した。



「積もる話もあるでしょう。……最期くらい、二人でゆっくり過ごしたらいいよ」



 掠れ声で返事して、壊れ物を扱うような手付きで女の人を抱き上げた。そのままベイは小屋を出て、荒れ地をずっと歩いて行った。

 隣に来たイコが俺の手を取ったのを黙って握り返した。乾いた風が吹き込んできて、夜明けを告げた。






  ◇ ◇ ◇






 いくらか歩いたところで腰を下ろした。

 腕の中の女は、十年の歳月を経てもフィーだと分かった。動ける力がほとんど残っていないのだろう、すっかり俺に体を預けきっている。

 朝日が昇る。どうしてこんな時もガラクトは晴れ渡っているのだろうか。少しくらい空を雲が覆っていてもいいのに、夜の残り香をゆっくりと明かしていく朝はどうしようもなく美しかった。



「……死んだと思ってた」



 空を眺めながらぽつりと溢すと、腕の中でフィーが頭をもたげた。



「考えりゃ分かることだ、保養施設から消えた名前のない少年兵……お前が含まれててもおかしくなかったのに。いや違ェな、除隊後に探すことだって出来たんだ。探そうとしなかった」



 腕の中に目を落とす。

 相変わらず綺麗なその目を、今度こそ真っ直ぐに受け止める。



「会いたくなかった。生きてたんなら勝手にどっかで幸せになってりゃよかったのによ」



 強い酒を飲んだ時のように喉が辛い。焼けつく苦さを飲み下して、フッと笑った。



「何もかも全部間違えたなァ。“ベイザム”が俺じゃなけりゃ、ミズリルももっと別の道があったのに。俺が“ベイザム”になってなきゃ……つまんねえ意地張らねえでお前らを迎えに行ってりゃ……」



 全部だ。もう手に入らない“あったかもしれない未来いま”を、それでも思わずにはいられなかった。



「お前らと一緒に学校行ったりさ……ジハルドは頭悪そうだけどよ、リンカなんかは絵が上手かったし、イールは真面目だから高校まで行けたかもしんねえな……マシュカはボム投げるの上手かったな、球技やらせてみたかった。サラとゼムラでいっつも飯の取り合いすんのをリダが仲裁に入って……って、それじゃミズリル時代と変わんねえか。リダも気弱だが言う時は言う奴だったな……知ってるか? お前なら知ってるよな、ハキムはベラを好いてたんだぜ。あいつらがくっついていい感じになったかも……それに……」



 それに、



「……お前と一緒になる道だって、きっとあったのに……」



 頬に細い指が触れた。フィーは嬉しそうに笑っていた。痩せ細った手で弱々しく、あのハンドサインで言葉を紡ぎ始めた。



『私も間違えたよ』


「…………」


『あなたと同じ。“ベイザムじゃない”って私も言えたのに、そうしなかった』


「お前は……だって……」


『みんなと一緒になって私もあなたに甘えてしまった』



 背負わせてごめん、と俺の人差し指を握った。



『私たち、みんなで間違えたね』


「……そうだな」


『でもね、不幸せなんかじゃなかったよ。あの子たちも、死んでしまった子たちも……私も』



 フィーと額をすり合わせた。幸せだったんだよ、と息だけの声が頬に触れた。

 その呼吸も弱くなっていく。濡れた瞳がただただ綺麗だった。



  ベイ。

  待ってるよ。


  いいのかよ。

  長く待たせるぞ。


  いいよ。

  あなたなら。



 吐息だけの会話を交わして、最期の熱を唇ですくい取って焼き付けた。

 砂と、血と、甘い香りが混ざった味がした。











 誰かが荒れ土を歩いてくる音がする。

 振り返らなかった。サクサクと小気味良いテンポはナダのものだと、わざわざ見なくても分かる。

 足音は俺の少し後ろで止まった。風が吹いた。



「逝ったか」

「ああ」

「顔、見ても?」



 ん、と返事すると、ナダは隣に来て地面に膝をついた。包帯を巻いていない左手でフィーの亡骸の頬に触れ、白い睫毛を伏せた。



「最期に会えてよかったな」

「……ああ」

「穏やかな顔だ。さぞ苦しかったろうに」



 そして俺と並んで前を向いた。視線の向こうでは昇った朝日が眩しく輝いていた。

 ナダはしばらくそれを眺めて、「謝らなきゃならないことがある」とおもむろに切り出した。



「お前が廃墟で殺した、三人のミズリルたちの話だ」



 白い喉が、震えて詰まった声を飲み込むのを、俺は黙って見守った。あれに関してナダが自責の念を抱くことは全くないのだが、こいつのことだ、他に何かあるのだろうと思った。



「……お前がジハルドを追って行った後、ラヒムの判断で俺たちもすぐ移動したんだ。彼らの死体を何も処理しないまま……」

「そんな丁寧なことしなくていいだろうが。言い方悪いが、見つけた誰かが通報なりすりゃ片は付く」

「違うんだベイ……そうじゃねえんだよ」



 泣き出しそうに震えた声が、次の一言を絞り出すのに随分かかった。



「……死体も“研究対象”になるんだよ」



 ──すうっと、体の芯に冷たいものが走った。

 そして先日ナダが口走ったセリフが蘇った。『俺が死んだら死体を灰にして撒いてくれ』……。



「アレ、冗談じゃなかったのか……」

「俺が一杯いっぱいだったばかりに、死してなお彼らが辱めを受ける羽目になってしまった。本当ならあの時、ラヒムをぶっ飛ばしてでも残って亡骸を燃やさなきゃならなかった……!」



 悲痛な声は抑えられた分余計に痛々しく胸を刺してきた。痛みのよすがを求めてか、傷のある右手をグッと握りしめて歯軋りした。



「お前を追うと決めた時、後続班に亡骸の捜索を頼んだんだ。でもあの廃墟には何も残ってなかった。死体はおろか、一滴の血痕すら土ごと抉られて……」

「そりゃあ……」

「彼らをああした連中が持って行ったんだろう。……遅かった。全部」



 フィーを腕に抱えたまま“白い少年”の人生に想いを馳せる。

 幼少に故郷から攫われて以来ずっと、これを背負ってナダは生きてきたのだ。身を隠して神経をすり減らし、死という逃げも許されない。挙句似た能力を植え付けられた存在が明らかになり、その死体が検体として研究に使われる──。


 項垂れて震えている背中を思い切りバシンと叩いた。



「いッ……ェなこの野郎!」

「アホ。お前が後悔したところで何も変わりゃしねえよ」



 薄青の目が驚きに見開かれて、噴き出した。



「ふはは。なんだそれ、なんて言うんだっけ、意趣返しってヤツか」

「やられっぱなしは性に合わねえんでな。まあとにかくだ、あン時のラヒムの判断は正しい。その場で死体処理なんざして、本命のお前が捕まってたんじゃあ洒落にならねえ。“大将キング”はお前なんだから」



 キングねえ、と皮肉げに繰り返してナダは土を払って立ち上がった。



「せめてそのひとだけでも灰にして送ろう。イコとラヒムには必要なものの買い出しを頼んでる。先に作業始めるから、イザベラと一緒に小屋を調べてくれ。手掛かりが何か残ってるかもしれない」

「ジハルドの奴を追わなくていいのか」

「こっちの方が優先だ。それに」



 一瞬、白い手からめらりと炎が覗いた。



「この人たちをこんな風にした連中に会って、冷静でいられる自信がない」

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