たられば①
□ □ □
ベイを伴って地上へ戻ると、ラヒムが泣きそうな笑い顔で俺たちを迎えた。
二人の間に言葉はなかった。ただ黙ってお互いの肩を叩き合う、それだけ。その光景になんだか安心してしまった一方で俺はハラハラしていた。
何に、って?
イザベラは後発隊と一緒にジハルドを追跡しており、この場にはいない。まあいなくてよかったかもしれない、彼女はストッパーになるどころか
何を、って?
──イコがニコニコと満面の笑みを浮かべて、「やあやあ」とベイに呼びかけた。
「無事戻ってきたね。うんうん、めでたしめでたし……」
ニッコリ顔に、影が差した。
「……で終わるとか、まさか思ってないよねえ?」
怖いです。女って怖い。
どうして怖いと思わせる笑顔がつくれるのか、俺は不思議でなりません。
イコの手に握り締められる
「……おい、まさかそれあン時の……」
「だーいせーいかーい! 盗賊からくすねたロープトラップです。さあ野朗ども、仕事だよ」
パチンと少女の指が鳴ったのを合図にラヒムと共にベイを押さえつける。信じられないといった面持ちで見てくる男から、俺たち二人は顔を背けた。
「ラヒムてめえ! 離しやがれッ!」
「いやすまねえ。嬢ちゃんにとって俺ァ戦犯だからよ、逆らえねえんだわ。分かってくれ」
「くっそこの日和見野郎が! ナダ、さっきいいだけ殴る蹴るしやがって、まだ気ィ済まねえってのか!?」
「俺の気は済んだよ。でもイコはまだ何も精算してねえだろ? それに……」
俺とて苦渋の決断だ。何しろ、
「俺がアレの餌食になりかねないからな!」
「おま……それが本音だろ! 俺ァ身代わりか!」
「まあまあ、そう言うなって。俺は感謝されてもいいぐらいなんだぜ、ベイが無駄に意地張ったりしねえよう然るべき情報をほじくり出したんだから。なあイコ、約束したろ、譲歩してやれ」
「ふふ……仕方ないなあ。ナダに免じて、
「
一瞬ベイから力が抜けて、激しくもがき出した。ラヒムと俺で必死に締め上げる。怪我しているのにどこからこんな力が出るのやら。
「やめろ離せ! ふざけんなテメエら覚えてろ!」
「ベイ。いいこと教えてやる」
重ね重ね言うが、俺としても非常に苦しい選択なのだ。イコに
ベイにそっと耳打ちした。
「お前が素直に戻ってきてなかったら……R18な縛り方で拘束プレイされてるところだぞ」
「…………は? 拘……なん……!?」
「これが俺にできる最善だった。……耐えろ、ベイ」
夜更けの廃墟に男の絶叫がこだました──。
ジハルドは保養施設跡地からまっすぐ北へ、“ザンデラ山”の方を目指して逃げているという。やけに足が早いと思ったら途中で車をパクったらしい。追跡を悟られぬよう後を追っていた後発隊チームが、山の麓にバラック小屋を見つけ、恐らくそこに潜伏しているだろうと突き止めた。
「だけどよ大将。奴を追い詰めたとして、それからどうすんだ?」
イザベラがいないので俺は元のように助手席に座っている。後部座席はベイとラヒム二人でゆったりと座れる広さだ。やはりあの隙間に俺が収まるなんて、随分無理のある話だったのだ。
銃の手入れを終えたラヒムの問いに、首を振って答える。
「奴を追うのは捕まえるためじゃない。大した情報を持ってないのは分かったし、捕らえたところで面倒も見れない」
「じゃあ……」
「あまり機転の利くタイプじゃないようだからな。追い詰めていけばいずれ、助けを求めて“雇い主”のところに行くはずだ」
「うわー。性格悪ーい」
イコにだけは言われたくないな、と後部座席のもう一人……ベイを見て思った。腕に負った火傷や切り傷は手当てしてあるが、それ以上に“罰ゲーム”が堪えたようだ。ただでさえ黒い目が虚空を見つめていて、それはもう哀れである。
本当、俺じゃなくてよかった。
「これに懲りたらもうあんなことすんなよな、ベイ。イコの教育に悪いから」
「わたしの扱いひどくね?」
「お前十五歳だろ。十五歳が十八禁な縛り方知ってるのはおかしいんだよ。ガッコは一体何やってんだ」
「先生の研究室に面白い本があったんでね。誰かに試してみたくて。あとでナダにやったげようか? ちょっと縛られたいって目ェしてたでしょ」
「してません。やめてください」
「してたって。羨ましそうにしてたよ」
「してねえです。羨ましいんじゃなくて可哀想だったんだよベイが。見ろよ、あんなにへこんじまって」
ハンドルを握るイコは満足げに鼻を鳴らした。
「こっちは危うくトラウマになるところだったんだ。それ以上の醜態でも晒してもらわないと釣り合わないし上書き出来ない。これくらいでちょーどいいんだよ」
「なあ君たち。忘れちゃいないかい、ベイは君たち二人より大人だよ」
ラヒムの苦笑いを含んだ声が飛んできて、イコは肩を竦めたのだった。
俺たちはそれぞれ簡単な食べ物を口にして、一路ザンデラ山の麓を目指している。
ザンデラ山は元々俺たちが目指していた場所だ。この山を越えてガラクト地方を脱する予定でいたが、まさかベイの因縁の相手を追うことになろうとは。
ここに、俺は引っ掛かりを感じていた。
出来過ぎていやしないか。身内に裏切りが起こり、飛び火を免れるために避難した土地で“キース”の力に近いものを目にして、しかも“オホロ”などという存在も耳にした。そして追っている男のねぐらが俺たちの脱出ポイントとなっている──?
(ガヴェル、あんたはやっぱり敵なのか?)
一瞬、指示役のガナンとかいう男のことが頭をよぎったが、彼は現場の声と上司の意向の間で板挟みになっていたにすぎない。通信機で聞いた声は苦渋に満ちていた。
俺たちを──いや
ガヴェルは俺とイコを使って一体何がしたいのだろう。とにかく自分たちの安全を確保するので頭が一杯になってしまっていたが、考えれば考えるほど不可解なことが多い。
彼が俺を匿うことの利点とは何なのだろうか。「平和のため」とか言っていたが、本当だろうか。彼の思い描く“平和”はどんな形をしているんだろうか。
そういえば、ガヴェルはこんなことを言っていた──
『キースに重要な“鍵”を持って帰ろうとは思わないのか?』
(……俺に、ガラクトを見せたかったのか?)
“オホロ”に囚われたガラクトの民と、その成れの果てを。
……残酷なことをする老人だ。そのためにベイやラヒム、イザベラを俺たちにつけたというのか。ベイが抱えているものを知りながら、よく似た力を持つ俺を護らせたのか。
イコの罰ゲームがショックで打ちひしがれてこそいるが、ベイは憑き物が落ちたようにスッキリとした表情になっている。人相が二割くらい良くなった。だが、本当にこれでよかったんだろうか。違う形でベイを“オホロ”に縛りつけてしまったようなものだ。
俺がそう働きかけることも織り込み済みで、あえてベイを直接の護衛に配置したのか?
潮時だ。
どのみち一度、どこかでガヴェルのことを探らねばならなかったのだ。本部との繋がりが薄い今が好機。
「……近い」
と、その時ラヒムが唸った。彼の一声に空気がピリッと張り詰め、銃がガシャリと鳴って待機完了を知らせた。
ベイを見やると、いつもの護衛の顔に戻っていた。せっかくちょっと人相が良くなったのに。
「距離は」
「さてね。おじさんももう若くねえからさ。イザベラー、通信クリアか? どの辺だ?」
『そこで車停めて。あとは徒歩で来てちょうだいな。何だか様子が変なのよね』
不穏すぎる一言だ。が、ラヒムは俺とイコを車内に待機はさせないことを選んだ。全員で車を降り、忍び足で荒れた土を歩いていく。
ちなみに俺は靴を履いている。ラヒムに頼み込まれて仕方なく履くことにした。本当は裸足の方が歩きやすいのだが、素足だと火傷するからやめた方がいいと進言された。現地人の言うことは聞いておくものだ。
夜が明けきらない荒れ地は空気が冷たく、寒色の薄明かりに照らされた岩々があちらこちらで息を潜めている。その岩陰に身を潜めるイザベラが俺たちを見つけて手招きした。
「状況は?」
「何とも。ジハルドがあン中にいるのは間違いないんだけどね、なんか……もう一人仲間がいるっぽくて」
「そいつも能力持ちか」
「不明。性別、年齢、それに元ミズリルかどうかもね。ラザロの保養施設の事件で姿を消したのはミズリル兵だけじゃなかったでしょ?」
イザベラの顔は曇っていた。眉をひそめて岩の向こうの掘っ建て小屋にじっと視線を注いでいる。
「……もう一人いるのは確かなのよ。ジハルドが誰かに話しかけてるのも聞こえる。あいつ声デカいから。でもねえ……その“相手”の声ってのが、しないのよ。ジハルド一人で喋ってるみたいな」
その言葉に、俺たちも揃って耳をそばだてる。
……奴が誰かに怒鳴っている。しかし声は一人分だ。
「気配はするな……お前らどう思う、いっそ突入してみるか?」
「待ってくれラヒム」
俺が声を上げると、銃を持ち上げかけたラヒムが動きを止めた。
神経を集中して気配をもう一度探る。いや探るまでもなかった。小屋の中から感じる“それ”に、腹の奥がぐねりとうねった。
「大将……顔色悪いぜ。失血ひでえんだから座っとけよ」
「マズいことになった。暴走だ」
暴走、とイコの呟きに頷き返す。
「ジハルドかどうかは分からない。だけどこの感覚、キースが暴走する直前の空気によく似てる」
「暴走したらどうなるの?」
イコとベイは聞いているが、ラヒムやイザベラは暴走について知らないのだ。自分では能力の制御が利かなくなり、やがては死に至るのだと簡単に説明して続けた。
「みんなはここで待っててくれ。暴走が始まったら危ないから」
「奴ァ敵だぞ? 一人で行くのは危ねえ、君は俺らのあとからついて──」
「ラヒム」
遮って、ラヒムの目を真っ直ぐ見る。
「火は、熱いんだ」
「…………」
「風に揉まれれば首などすぐ折れる。水には逆らえない。自然の理が牙を向いたら、人間はひとたまりもなく無力なんだよ」
それを常に胸におけと、物心ついた頃から叩き込まれた。
この力は異常だ。人間が手にしていいものでは本来ないのだ。それを身に宿してしまった以上、決して使い方を誤ることなかれと、徹底的に教え込まれた。
ミズリルたちにはそれがない。だから危険なのだ。
“キース”として、彼らを見過ごしてはいけない。
「なら俺がついてく」
「ベイ……」
「元身内の不始末だ。銃もナイフも使わせねえ。暴走をどうにかする手立ては?」
「ああ、それは──」
内臓がひときわ強く蠢いたのを感じた瞬間、衝撃音が轟き小屋の屋根が吹き飛んだ。
イザベラがイコに覆い被さったのが視界の端に映った。古びた木材の破片と一緒に水が降ってきた。
水。
ジハルドが操れるのは炎のみ。
ということは──。
「もう一人……暴走してるのは、水の遣い手だ」
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