魔女の棲む森②

  □ □ □






 魔女ばばあ曰く──。


 散々詰めが甘いだの何だのという割に、一応は俺の腕を認めているらしい。師匠の訓練プログラムを最短で修了したばかりか、教える予定のなかったことまで吸収して飲み込んでしまったらしく、面白くなってアレコレと仕込んだために“夏休み”延期に繋がったのだと、後日になって桐生を伝手に言い訳してきた。

 ふざけんなばばあ、俺の夏を返せ。


 こと、先に口にしたように隠密系や変装の術は手放しでほめてくる。気配に関しては、どうも俺の気配は人間というより“自然そのもの”に近いというのだ。


「いや分かるわ。ナダって人間臭くないんだよね」

「……傷つくぞ……」


 イコの言葉にベイまでもが頷いている。あとでウォータージェットの刑だ。

 なぜその話題を今、師匠が出してきたか。目的はバカの俺にもよくわかった。


「ばば……いや師匠。やめてくれ、それだけは勘弁してくれ」

「何をだい? 情報に見合う対価が他に用意できるのかい。目新しいネタも無けりゃ金もない。あたしの売り物が高いことは、弟子のあんたならよく分かってるはずだよ」


 ……そうなんだけど。たしかにその通りではあるんだけど。


「弟子割とかねえ……んデスカ」

「ないね。残念ながら。だけどあたしも悪魔じゃない、あんたの得意分野でをしてくれりゃあ、お代は取らないよ。これ以上願ってもない割引だと思うんだけれどねえ、どう思うねお二人さん」

「何て言うか、むしろナダがここまで嫌がる理由を知りたいんだけど」

「は!? イコ、このアホ、余計なことを言うんじゃね……」

「よしきた」


 ダメだ敵わん。三十六計逃げるに如かず、だ。

 椅子を蹴ってスタートを決めた……と、思ったところで体の自由を奪われた。何だコレ、どうなってんだ俺の体、顎をしたたかに打ちつけて状況把握が遅れる。


「あがッ!? 痛ってェなくそ、放せ!」

「ふふふ、逃がしゃしないよ。その様子だと、お友達に一度お目にかけているようじゃないか、“ニコラ”を」

「ニコラ? 何の話?」

「おや知らんのかい。コイツの女装した姿だよ」

「ばばあテメエ! 殺す! あいたたたたた腕うでウデッ関節キメんなこのッ……!」


 合点がいったようにイコが手を打つ横で、ベイの目が泳ぎ出した。俺と目を合わせまいとしている。

 バラされてしまった。あれは一度きりにしたかったのに、くそばばあ!


「……名前ついてたんだ、あれ」

「うるせえ、何とでも言いやがれ。おいばばあ放せって、俺はやらんぞ二度と! どうせロクな仕事じゃねえだろ“ニコラ”の仕事って!」

「そんなこたァないよ。ちょっとした運び屋みたいな仕事さ」


 ようやく解放されたので、逃げる理由を失った俺は仕方なく椅子に座り直した。ばばあもいつの間にか元のように座っていて、俺のカップにお茶のおかわりを注いでいる。


「先に一度ブライアンっていう……まああんたの後輩にあたる男だ、そいつに任せたんだが、途中でヘマをやらかしてね。何とか南西の町に隠せはした、でも運びたいのは南東の町だ。上手いこと運んで受け渡してくれりゃあ、あんたの望むネタを何でも持って行けばいい。どうだい、なかなか美味しい話だと思うけど?」


 イコが勝手に俺の飲み物にハチミツを何杯も溶かし込んでいる。それを眺めながら、腕を組んで考えた。

 たしかに金もネタもない。だから俺はこの要求を鵜呑みにするほかないのだが、いささか虫が良すぎる。この魔女のことだから、絶対何か裏か仕掛けがあるに違いない。

 困り果ててベイを見やると、ベイはベイで何か考え込んでいるようだった。というか、魔女相手にベイの力を借りるのは得策ではない。この問いかけは魔女の試しだ。俺が交渉を進めなければ、正しい助力を魔女は与えてくれない。


「……あーくっそ、くそったれ、この性悪ばばあが。分かったよ、その依頼受けてやる。ただし約束は守れよ」

「もちろんさね。信用にかかわることはちゃあんとキッチリやる。今日は泊まるといい、お遣いは明日の朝にでも行っとくれ。さて、年老いた婆に代わって晩飯を頼まれてくれるのは?」

「おい結局それも俺じゃねえか!」

だバカタレが。情報と寝食はまた別だよ」


 また丸め込まれてしまった。

 けど、夕食に一服盛られる心配がなくなったから、それで良しとしよう。甘ったるい紅茶を喉に流し込んで、袖を捲りながら台所へ向かうのだった。











 翌日。


 仏頂面で朝食を摂り、俺は変装の道具が一杯詰まった部屋に通された。

 もう既に気が重い。これから俺は女装しなくてはならないし、何が一番嫌かって、外野のこの二人だ。


「さ! 着替えよう着替えよう!」

「どうしてお前まで入ってくるのイコ……」

「メイクアップアーティストに何を言うかキサマ。あまりにも態度がアレだと顔もアレにしてやるぞ」

「ただでさえヤヤコシイのにやめろ。俺が追いつけねえ。まったく最近の若ェ奴らは……」


 そう、イコとベイである。

 ばばあから見ればベイも十分“最近の若者”にカテゴライズされると思うのだが。もしかしたら俺よりベイの方が酷い顔をしているかもしれない、何しろすべてを諦めきった目をしている。


 厳密に言えば、ベイは俺のボディーガード役として付いてくることになっているので外野ではない。普段とあまり変わらない気がするが、俺の見た目が変わるので追手も気づくまい。気づいても追いかけたくないと思う。俺なら女装した標的なんて追いかけたいものではない。


「ほら始めるよ。扉閉めて。いい加減覚悟決めな!」

「うわあ嫌だいやだイヤだ、誰か助けてくれええええええ──!」


 イコに部屋へと連れて行かれ、鼻先で扉がピシャリと閉じられた。






  ◇ ◇ ◇






 断末魔の叫びを残して、扉にナダが吸い込まれていった。

 こういう女には逆らわない方がいい。俺ではナダを助けてやれない。


「あたしが施してやるまでもない様だ。あの娘に任せておけば大丈夫だろう。さ、あんたは準備万端なんだろ、こっちに来てお茶でも飲んで待っていればいい」

「……どうも」


 銃を肩から下ろして、丸テーブルについた。目の前に湯気の立つ飲み物を差し出され、ついでに菓子を山と盛った皿を勧められた。ひとまずクッキーを一枚取るにとどめた。


 この家に来て、いろいろと合点のいったことがある。

 ナダの育ちが普通ではないとはいえ、妙に戦闘慣れしているところや殺気耐性の強さ、それから変装のスキルは異常ともとれるほどだった。すべてこの魔女の仕込みだったのなら得心がいく。


 クッキーを茶で流し込み、俺は香りを楽しむ老婆に目を向けた。


「──元殺し屋の“レディ・マム”」


 ピタリ、と老婆が動きを止めた。

 俺は皿からビスケットを一つ摘まみ取った。


「あんたのことだろ。違うか」

「根拠は?」

「ねえ。だが引退してどこぞで後続を育ててるって噂を耳にしたことがあってよ。あとは単なる勘だが、間違っちゃいねえんだろ」


 魔女はくつくつと低く笑った。愉快そうな笑みだが、聞かされる方は背筋に寒いものが走る、そんな笑い方だ。

 年老いて色の薄くなった瞳が細められ、僅かに険が差す。正真正銘、“殺し屋”の目つきだ。


「その名で呼ばれるのは久々だねえ。そうだよ、そいつはあたしの昔の呼び名さ。今は違う。“エバンズの魔女”、それが今の名だ。あんたもそう呼んどくれ」


 レディ・マムは数十年も前に裏社会で名を轟かせた殺し屋だ。名の通り女であること、変装の達人なこと、その他には一切詳細が知られていないという、もはや伝説的な存在にすらなっている。

 そんな人物が、今はこうして情報屋を営んでいるとは……俺にとって僥倖以外の何ものでもない。


「あんたの売り物ってのはどれくらいの幅だ?」

「おや、何かネタをお探しかい? あの子らのいないところで訊くということは、あたしの弟子とは関係のないことなんだろうね。高いよォ、あたしの商品は」

「ガラクト紛争に関するネタだ」


 耳鳴りがするほどの静けさが突然訪れ、ナダとイコが騒ぐ声がくぐもって耳に届いた。かなり騒いでいる、主にイコが。

 カチカチと規則正しく時を刻んでいた壁時計が、不意に鐘の音を鳴らして定刻を告げた。


「ネタは、ある」


 静かに魔女が告げた。

 堪えず浮かべていた、人を食ったような笑みは消えていた。


「だが些か広すぎる。もう少し条件を絞っとくれ」

「……これでどうだ」


 ベストのジッパーを胸元まで下ろし、首にかけてシャツに隠していたをテーブルに置いた。ヂャリ、と耳障りな金属音を立てるそれは、古いドッグタグだ。

 懐から虫眼鏡を取り出してそれをつぶさに観察していた魔女は、やがて長い溜息と共に背もたれに身を預けた。


「……なるほど。なるほどねえ。そうかい……お前さん、あの戦の落とし仔か」


 答える代わりに茶を啜る。爽やかな香りが体を通り抜けて行くような感覚が心地いい。部屋からはまだ賑やかな声が響いてくる。少し騒ぎ過ぎではないだろうか。

 魔女もしばしその音に耳を傾けた後、カップをソーサーに戻した。腕を組んで銃に目を向ける。


「ってことは、“ミズリル”探しだね」

「俺が奴らについて知ってんのは保養施設の事件まで……その後の奴らの行方、最近の動向、分かることは何でも」

「ミズリルを探ってどうするのさね?」

「それもお代に含まれるのか?」


 魔女は目を伏せて笑った。ようやく笑った。


「……歳だねえ。野暮なことを訊いたね、忘れとくれ。ともかく、ミズリルに関することとなれば、ちと難しいね。今すぐ売れるネタは少ないんだ、少し待ってもらうよ。なァに、あの子の“お遣い”についてってる間に集まるだろうさ」

「頼んだ。金はいくらでも出す」

「おやまあ。それならバカ弟子のためにちったァ出してやりゃあいいものを」

「コレは俺個人の依頼だ。……あの二人は関係ねえ」


 そのようだね、と魔女が言ったところで、扉が開いて喧騒が更にやかましくなった。イコがニヤニヤして、まくっていたTシャツの袖を下ろしていた。


「お待たせェ。上々の仕上がりですよ、お客さん」


 出てきたニコラナダを見て現実に引き戻された。

 老婆から感嘆の声が上がる。


「ほう、上手いじゃないか。もっと派手な恰好にすると思ったんだがねえ。箪笥にいろいろ入ってたろう?」

「最初はロングワンピとかも合わせてみたんだけどねー。隣町まで行くんでしょ? 動きやすい方がいいかと思って、途中で路線変更をね。ボーイッシュにキメてみました。なかなかアリだよねえ」


 シンプルなTシャツにオーバーサイズのスタジャンを羽織り、これまた大きめのジーンズを合わせてスニーカーという、かなりラフな服装だ。男が着ていても何らおかしくはないのだが、というか実際着ているのは男なのだが、肩辺りで切り揃えた金髪と一緒に揺れるピアスがそうとは思わせない。

 女だ。背の高い女がそこにいる。


「どうだかわいいだろう。存分に愛でるがいい!」

「バカ言うんじゃねえイコ……俺ァ気がおかしくなりそうだ……」

「なんだい、見掛け倒しだねえ」


 エバンズはイコと同じくニヤニヤ笑っているが、俺といえば一瞬にしてすっかり乾いてしまった唇で否定するのが精一杯だった。

 いやマジで誰だお前は!


「さて、最終打ち合わせをしようか。もう一度受け取り場所との確認を、師匠」


 二度と聞きたくなかったハスキーなアルトボイスが発せられた。首を傾げるとピアスが揺れて光を反射した。薄く彩られた唇が作戦を淡々と吐き出していく。

 ……心を殺すことにした。






  ◇ ◇ ◇

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