魔女の棲む森①

  □ □ □






 ──その森には恐ろしい魔女がいる。


 一度ひとたび足を踏み入れば、人食い魔女に食らわれる。

 しかし気に入った者には、気まぐれに手を貸すこともあるという。


 大切なものと引き換えに、何でも願いを叶える薬をくれるだとか、

 どんなことでも知っていて、望む秘密を教えてくれるとか、

 夜に森の動物たちを伴って魔女集会に参加するとか、空を飛ぶとか、ヘビとカエルを煮込んだ料理を好むとか、他人に化けられるとか、エトセトラ。




「──というわけで、現時点で一番安全なのが“エバンズの森”……なんだが……」


 朝食を食べながら一通り偵察の結果を並べ立てて、ベイは腕組みして俺を見下ろしてきた。


「おいシャキッとしろ、ナダ。昨日の水遊びの威勢はどこ行った」

「嫌だあ行きたくねえ……“エバンズの森”だけァ行きたくねえ、殺されるぅ……」

「珍しいね、ナダがそんな風に駄々こねるなんでさ。その森の噂知ってんの?」


 テーブルに突っ伏す俺の脇腹をイコが突いてくる。くすぐったい。


「知ってるって言うか、行ったことがあって」

「ほう。ナダは魔女に気にいられたんだね。何があったのさ」

「死んだ方がマシだと思えるような訓練を受けた」


 二人の顔がクエスチョンマークで一杯になった。言葉が足りなかったか。しかし正しいのだ、悲しいことに。


「“魔女”と“訓練”が結びつかねえんだが」

「対人戦闘とナイフ術を仕込まれたんだよ。“エバンズの魔女”ってのはその師匠だ」

「もうちょいマシな嘘ついたらどうなんだ?」

「嘘じゃねえって! 信用しろよ!」


 二人とも全然信じてくれないが、嘘ではない。

 孤児院にいた頃。危うい言葉遣いと目立つ外見のせいで、あまりにも学校で浮いていた俺は問題児たちに嫌がらせを受けていた。そんな俺を見かねてか、中等部編入後の夏休み、桐生の伝手でと称してその森に連れて行かれたのだった。


 結果、“夏休み”は一ヵ月伸びた。帰してもらえなかったのだ。その延長期間と引き換えに俺はこちらの言葉が上手くなったし、休み時間になると集団タックルをかましてくる同級生連中を交わせるようになった。

 おかげで“ヤバい奴”のレッテルが確かなものとなり、いじめはなくなったが更に浮くこととなってしまった。逆効果に終わったわけだ。


「いいか。俺はな、この世に二度と会いたくねえ奴が三人いる。一人は会っちまったけどチェン。二人目は研究施設にいた奴。三人目がエバンズのくそばばあだ」

「……“ばばあ”」

「そう。会うのはチェンで十分だ、あのばばあにだけは絶対に、金輪際関わりたくねえ」


 俺が強い口調で言うと、二人はなぜか身を後ろにそらした。信じられないものでも見ているような目だ。


「あのナダが。ベイ聞いた? ご老人に優しいナダが『くそばばあ』だって」

「聞いた。録音しときゃよかったぜ」


 口の端を引きつらせながら左手をかざすと、ベイの肩が僅かに震えた。

 満足。


(だけど……)


 ふと、考える。

 エバンズの魔女くそばばあの正体は元殺し屋、引退した後はもっぱら後進の育成に力を注ぐほか、情報屋もやっていた。思い出したくもないことだが、俺もそちらの稼業をよく手伝わされたものだ。


「……俺たちは今、圧倒的に情報不足だ。もしかしたら裏切り者の糸口も掴めるかもしれないし、俺を追う組織がどこのどいつかも、ひょっとしたら……。気は進まないけど、蛇の道は蛇、情報屋のばばあを頼るのも手かもな。嫌だけど」

「ホントに嫌いなんだなあ。そんなに怖い人なの? わたしらが行って大丈夫?」

「ベイもいるし。あんな老いぼれに後れをとるほど鈍っちゃいねえよ。そもそもいつまでもガヴェルに頼ってるわけにもいかねえんだ」


 変な方向に口調変わったね、とイコが苦笑いしてきた。

 ともあれ、方針は決まった。出発は明日早朝、目指すは東の“エバンズの森”。あー、行きたくないなあ。






  □ □ □






 麓の町を二つ通り過ぎた頃、イコは一息入れるために車を停めた。

 ベイが警戒しているほど治安が悪い様子はなかったが、問題だったのは治安ではないのだろう。

 町の外はある程度手入れのなされた林が続き、しばらくすると視界が開けて草地に変わった。更に進めば、いかにもといった雰囲気たっぷりの森が目の前にそびえて俺たちを迎えた。


「ここが“エバンズの森”?」

「そう。悪いけど車は一旦置いて行くぞ。あのばばあは自分の足で入って来ない奴が嫌いなんだ。下手すりゃ殺される」


 大木の傍に停車させ、ドアや窓がぴったり閉じていることを確かめてロックを掛け、更に草をまぶして見えにくくした。気休めだがこの森に足を踏み入れる者がそもそも少ないから、これくらいやれば車も無事だろう。

 それが済むと、二人を案内しながら森を進み始めた。日は射し込むし薄暗いわけでもないのだが、俺の後に続くイコとベイはどこかそわそわしている。噂のせいだろうか。それとも気を張っている俺のせいか。


 罠はない。動物が警戒心も低く走り回っている。

 殺気も感じられない。少なくとも今ここで不意打ちを狙っているわけではなさそうだ。


 清々しい空気に似合わぬ緊張感を漂わせながら、無言の道中が続く。






「──ストップ」


 いくらか進んだ頃、俺は片手を上げて合図した。

 取り出したナイフの鞘を投げ捨て、左手に構え。

 右手はバランスを取るように胸の前に。


「ベイ。イコを背に隠して下がってろ。いいか絶対に手ェ出すな──」

「ほう? お仲間に指図とは、随分余裕じゃァないか」


 ギィン! と高らかな金属音と共に、目の前で火花が散る。

 後ろに飛び退いて距離を取った。が、構え直す暇もなく二撃目。


「……ッ、このくそばばあ!」

「何だいその口の利き方は。師匠と呼びなッ!」


 息つく間もなく攻撃が繰り出される。

 素早く、そして的確に俺の隙をついた攻撃。


 だがこちらもやられっ放しではない。

 短く鋭く息を吐き、身を捩って地面から蹴り上げる。


「チッ、若造が」


 蹴りは交わされたが織り込み済みだ。

 距離さえとればこっちのもの──。


「なァんて考えてるうちはまだまだ甘いね、小僧」


 するりと背後に忍び寄られ、喉元に得物を突きつけられた。

 勝ち誇った老婆の笑い声が耳朶を打つ。


「あたしの勝ちだよ。観念して……」

「油断したな」


 ナイフを向けている婆の肘の内側に腕をねじ込み、そのまま服を掴んで地面に投げ飛ばした。

 そしてすぐさま森に退散。息を吐ききり、自分の存在を周囲に溶かす。俺という人間は存在しない、俺は森の一部、木の幹を彩る葉、枝葉を揺らす風……。


「ああやれやれ、面白くないねえ。出ておいで小僧、お前さんに隠れられちゃあ収拾がつかないじゃないか」


 森の中心で諦めたように老婆が片手を上げた。

 一見すると降参の意に思える、が……。


「うるせえくそばばあ! 久々に来てみりゃ随分な歓迎の仕方があったもんだな。俺ァ騙されねえぞ、今構えてる投げナイフを仕舞うってんなら姿見せてやる!」

「あたしにハンデがありすぎだものさ。これくらい大目に見とくれよ」

「ほざけ! これでようやく五分五分だっつーの! 俺よりボケたかこの耄碌もうろくばばあ、入れ歯で舌噛んで死ね!」

「言わせときゃアこのバカ弟子が。目にもの見せてくれるわ!」











 ──半時ほどのち。


 ベイの「遊んでねえでいい加減本題入れ」との掛け声に、仕方なく俺が折れてやった。勝負の行方はやや俺の方がリード。


「いーやあたしだね。弟子に後れを取るほど鈍っちゃいないよ」

「ハイハイ、俺は優しいからそういうことにしといてやる。くたばれ!」

「コラ」


 ……ベイが言うと凄みが出る。俺はさておき師匠ばばあすら黙らせるとは。

 家に入れてもらった俺たちは、テーブルについて出された茶をすすっていた。魔女と噂されるだけあってか、師匠ばばあの淹れる茶は美味い。ただ油断していると時たま妙なものが入っていたりするので注意が必要だ。今日は連れがいるから何も入っていないようだ、安心して飲める。


 小さな家は俺が最後に来た時からそう変わっていなかった。

 ログハウス風のこぢんまりした家の中は、天井に吊るされた薬草の匂いで満ちていて、独特の空気感を醸しだしている。変わったことといえば、いくつか小物や壁掛けタペストリーが増えたくらいだろうか。


「それで?」


 師匠は自分の席につき、ほんわりと湯気の立つティーカップを傾けた。紫色のゆったりした服の上にこれまた不思議な柄のショールを羽織り、齢のわりに豊かな量の白髪を装飾付きのバレッタでまとめている。どう見ても変な薬を作って良そうな魔女だが、この服装で歴戦の動きをしやがるので侮ってはいけない。

 目を細めて香りを楽しみ、俺を見て皺の浮く口の端を上げた。


「“本題”と言ったね。何の用で来たんだい?」

「……情報を買いに来た。情勢が知りたい」

「曖昧だね。まず前提を話しな。お前は今何をしていて、何をしたくて、どうしようとしているのか。どこに行こうとしているのか。それを教えてくれなくちゃア、売れるもんもないね」


 このばばあが誰にでも俺の存在を伏せてくれるとは考えにくい。弟子だろうが何だろうが、金になると判断すればすぐさま売るだろうから、何もかもを話すわけにもいかない、だが残念ながら、大体の能力のことは既にバレてしまっている。

 溜息をつく。面倒くさい。俺は頭を使うのが得意じゃないんだ。


「俺は今逃げていて、安全な旅をしたくて、東か北の方角に行きたい。行先はまだ決められていない、とにかく逃げ続けているところだから」

「ふうん。追手はどこのどいつだい」

「それもまだ……出来たらあんたから何か手掛かりが欲しいところだけど、こちらから渡せる判断材料も少ないんでね。一つ言えることがあるとすれば、これまでの襲撃はほとんどが野良盗賊どもだったってことぐらいだ」


 緊張する。バイトの激務よりもストレスが半端ない。逃げたい。このままお茶をぶっかけて逃げ出したい気持ちをグッと堪えているせいで椅子がカタカタ音を立てているが、師匠は涼しい顔で優雅にお茶を啜っている。

 カタリ、と微かに茶器を触れ合わせて師匠がカップを置いた。爪紅マニキュアを塗った指を組み合わせて、俺ではなくイコとベイの方にニッコリ笑いかけた。


 ヤバい。

 これは、非常に、ヤバい気配がする。


「お前さん達。いいことを教えてやろうか」


 やめろ、と言う前に魔女がなまめかしく唇で弧の字を描いた。


「コイツは確かにどうしようもないバカ弟子だけどね……“隠密”と“変装”に関しては、私の何枚も上をいくんだよ」






  □ □ □

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る