第3章 第二の故郷、ワイユ孤児院
3年ぶりの帰省
□ □ □
「行きたい町があるんだけど」
俺がそう言うと、同時にイコとベイの顔がこちらを向いた。
面白い二人だと思ったのは内緒だ。
「意外だ。行きたい場所とかあるんだ、ナダって」
「お前俺を何だと思ってんの……」
それも心底といった風に言うので少しムッとした。
今まで俺は、自分の考え事を二人に話していなかった。二人に及ぶ危険を僅かでも減らそうと考えてのことだったが、それはこの先の信頼関係にも障るし、道を同じくする二人に何も言わないままというのもよろしくない。
それに、早く解決した方がいい問題もある。俺の体に起きた異変についてだ。
スッキリして嬉しかったが、単に疲れが取れたにしては妙だ。数日前に覚えた、あの腹の底がうねるような違和感も気になる。
「なるべくなら早く行きたいんだ。調整役を頼めるか、ベイ」
「どうせ俺ァそういう役回りだよ。どこに行きてえんだ?」
すう、と息を一つ吸った。
「俺の育て親のところ。──エルノイ州の“ワイユ孤児院”だ」
□ □ □
俺が研究施設を何らかの方法で脱出した後、目覚めた場所。
それが“ワイユ”という町にある孤児院だ。
正式には“児童養護施設”とかいうものらしい。あらゆる理由で親と暮らせない子どもや、犯罪を犯した少年院上がりの子ども、とにかく様々な事情を抱える子供たちを預かり育てる施設。──の、最終的な行き場のようなところ。
つまり大人たちが匙を投げるような、後ろ暗くて根深い事情の子供が押しやられるところだという。もちろんそうではない子もいるが、ワケアリの子供が常に一定以上いる。そこが、俺の第二の故郷だ。
「……え、何それビビる」
それを聞いたイコの第一声がこれである。気持ちは分からなくもない。
「続・少年院みたいな場所ってことでしょ。ホントに大丈夫?」
「お前が思うほど荒れた場所じゃないよ」
ベイは上手いこと上を説得してくれたようで、すんなりワイユ行きにオーケーが出た。
ワイユの町がある“エルノイ州”は、俺たちがいた“セラン州”からは少し遠く、南西方向に州を二つほど通り過ぎたところにある。そのため二週間近く日にちをかけていくつかの町を経由しなくてはならなかった。
だがこの二週間は穏やかだった。敵襲もなければ俺の不調もない。怖いくらいに順調だった。
そして今、俺の手には通信機が握られている。
ワイユの町に近づいてきたので連絡を取るところだった。事前に連絡しようとすると、通信を傍受されたり追跡されかねないとベイに止められていたのだが、ここまで来れば問題はないだろう。直前アポはマナー違反ではあるけど、仕方がない。
停まった車内でゆっくりとダイヤルボタンを押す。イコが指で小突いてきた。
「なーに緊張してんのさ」
「……孤児院出てから初めて連絡するんだよ」
「一度も連絡しなかったの? それはヤバくね?」
ヤバい。こっぴどく叱られるかもしれない。
意を決してダイヤルする。出ないでくれとも願ったが、こういう時に限ってすぐに応答されるのだ……低い低い、ベイの野太い声よりも更に低い、俺がこれまで聞いた中で一番低い声が耳元に響いた。
『はいもしもし
「あー……んん゛ッ」
声が出なくて咳払いした。もう一度だ。
「えっと……久しぶり、俺……だけど」
しん、と静まり返った空気の中で俺の鼓動だけが響いている気がする。
心臓の音が二人にも聞こえているんじゃないか。もしかしたら通信越しに届いているんじゃなかろうか。
気の遠くなるような時間に思えたが、程なくして桐生が噴き出す声がした。
『おま……やっと連絡寄越したと思やァ、詐欺みてえな口上だな!』
「オレオレ詐欺なんかじゃねえよ! 俺だって、ナダだよ!」
『バーカ、分かるっつーの。聞き違える奴があるかよ。何だよどうした、金の無心か? 女五人はべらせて修羅場か? そりゃご愁傷様、一人で野垂れ死ねクズ野郎』
「は!? 勝手に決めつけんなよ、そんなんじゃねえって……おいそこ二人、笑うなよ」
イコは声を堪えるのに必死で息も絶え絶えだ。あまり笑わないベイでさえ、顔をぐるりと後ろへ向けて肩を震わしている。
もう放っておこう。構うだけ無駄だ。
「いろいろと相談したいことがあるんだ」
『ほう? 誰に』
「……………………チェン」
桐生が言葉をなくしたのが伝わった。あのナダがチェンに頼るなんて、と思っているに違いない。
そして、ああ俺はきっと今、苦虫を潰したような顔なんだろう。
「俺が頼れる医者はあいつしかいない。不本意だし残念だけど。あとパドフさんにも聞きたいことが……場合によっちゃ、桐生、お前にも」
『なんだ、深刻そうだな。分かった。……よく頼ってくれた。頑張ったな』
今度は俺が言葉を詰まらせる番だった。──だから連絡したくなかったのに。
誤魔化すように咳払いし、努めて明るい声を出す。
「実はもう町のすぐそばまで来てるんだ。東側の入り口、分かるだろ、あそこだ」
『そうか。今日のおやつはアップルパイだ、楽しみにしとけ』
「マジ!? やったぜ」
『連れがいるのか? 何人だ、そいつらの分も用意しとく』
「俺の他に二人いる。車で来てるんだ、門の横につけるぞ」
『へえ車。やるじゃねえか』
「……俺のじゃないけどな。とにかく、今からそっちに行く。後でな」
通信を切ると、エンジンを止めているはずの車が小刻みに揺れているのに気が付いた。ジットリと運転手を睨む。ついでに後部座席の乗客にも裏拳をお見舞いした。
だから連絡したくなかったんだ……。
「ナダ……くく、ふふふ……ッ、ア、アップルパイ好きだったっけ?」
「……ぐふっ、げほっ」
イコはともかくベイがツボにはまるところを拝めるとは。
レアな光景を目に焼きつけておくことにした。仕返しだこの野郎、俺の記憶力をナメんなよ。
「笑ってろ。後で三ツ星ホテルもびっくりの極上アップルパイにノックアウトされればいいんだ」
何とか落ち着きを取り戻したイコがアクセルを踏み、車はとうとうワイユの町に入ったのだった。
□ □ □
エルノイ州は乾燥した気候が特徴だ。
雨がまったく降らないわけではないが、降ることは稀。上流の方から大きな川が流れているお陰か深刻な水不足になったことはないそうだが、農作物を育てるには適さない土地である。代わりに乾燥した土地で育つオリーブなどが名産。
その中でも特に痩せた土地として有名なのが、このワイユの町がある地域だった。しかもワイユは殊更に寂れた町だ。
いつの話かは知らないが、大昔、スラム街だったこの土地にある神父が教会を建て、町の再建に尽力した。その教会は後に孤児院を併設し、行き場のない子どもたちを誰でも受け入れるようになり、今に至る。
──ワイユ孤児院の、非常にざっくりとした沿革である。
たしかに問題のある子供たちが多い。そこで育ててもらった俺もよく心得ている。
だが誰もが匙を投げた行き場のない子が何故ここへ行きつくのか──何故わざわざ辺境の地へ彼らが送られるのか。それは一口に、教会の神父、兼牧師、兼孤児院施設長の桐生の力量だろう。
「ハイ質問」
「どうぞイコ」
「神父と牧師を兼ねるってドユコトですかー。宗派違くね」
俺は詳しくないのだが、イコの指摘する通り、宗派によって指導者の呼び方が区別されるらしい。何故桐生がふたつを兼ねているかというと、
「宗教なんてどれもみんな一緒だろ、ってのが桐生の持論」
ベイが思い切り目を剥いたが、本当だ。
宗教者らしからぬ持論を持つ桐生は、当然各方面から煙たがられている。そりゃそうだ、業界のライバル社の商品を「コレいいですよー、なんてったってこの機能がどこよりも優れててうんたらかんたら」とか言われたら頭にくる。
他にも煙たがられる理由は大勢あるのだが、それは後ほど。
「要は変人?」
「まあそういうことだ。あ、そこの角を右な」
イコが一言で結論づけた時、ちょうど教会が前方に見えた。
ゆっくりと門の横に車を停め、イコはエンジンを止めた。
「古いけど綺麗なとこだね」
「ああ、変わらないな。さて」
車を降りると町は穏やかな静けさに満ちていた。鳥のさえずりがどこからか聞こえ、雰囲気をのどかなものにさせている。青空はすっかり夏の装いで、鮮やかで清々しいブルーが、質素な石造りの街並みを覆っている。
シンプルながら小洒落た鉄柵には開け放たれた門扉があり、足元の煉瓦が教会の入り口に向かって続いている。小道の脇はよく手入れされた芝生が敷き詰められ、芝を刈ったばかりの青々とした匂いが漂う。
懐かしいな。三年前、俺が出てきた時と変わらない。
教会のドアノッカーを掴み、叩きながら大声で呼びかけた。
「おおーい、桐生! いるかー」
「そっちじゃねえ、こっちだ。早かったな」
ドアの向こうではなく脇の方からバリトンボイスが響き、庭から長身の男が現れた。出家僧の黒服に身を包むその体躯は、ゆうに二メートルに達しようか。
イコがベイの陰に隠れた。ベイもベイで警戒心を露わに、手をそわそわと銃の負い革に沿わせる。
はあ、と嘆息した。無理もない。
長身。強そうな体格。
超低音ボイス。
凶悪な人相。
黒ずくめ、黄色い肌と黒い髪、言葉遣い、エトセトラ。
善人の欠片も窺えない要素しか揃っていないこの男が、まさか神父だとは誰も思うまい。
「よう、おかえり」
悪人面の桐生は軽い調子で歓迎してくれた。三年ぶりの帰省にしては軽すぎる。
……ベイ、お前が後ずさったらダメだろ。お前も似たり寄ったりの雰囲気だぞ。
「ただいま。この二人の誤解を解きたいからいろいろ訊いていいか」
「おう、どうした」
「質問一。その顔の傷は?」
ああこれか、と桐生は目の横に走る切り傷を指でなぞった。他にも唇が切れていたり、鼻の頭に絆創膏が貼ってあったりする。俺はおおよその見当がついている。
「子供らにつまずいて転んだ。狭い部屋で足元ちょろちょろすんなって注意した矢先にコレだ、まったくよ……怪我ァしたのが俺だけだからよかったものの」
やっぱりか。
イコの頭が少しベイの体から出てきた。
「質問二。腕についてるその汚れは?」
「土いじりしてた。今度バザーに出す
「合法だろうな」
「バジルとパセリとローズマリーが違法になった日にゃ、きっと神の裁きが下るだろうよ。つーか下れ、神が裁かねえなら俺が裁いてやる。わはは」
僧服を腕まくりするのはあまりよろしくないと聞いたことがあるが、桐生の袖は肘まで捲り上げられ、筋肉質でよく日焼けた腕が自慢げに見えている。何なら襟元も緩めて、血管の浮く首筋が逞しい。
……羨ましいなんて思ってないぞ、ああこれっぽっちもな!
「質問三。……誤魔化せてると思ってるだろ、左手に持ってるもの見せてみろ」
「バレちゃあしょうがねえ。おうよ、畑仕事の合間の一服中だったよ。文句あるか」
「せめて施設の外で吸いやがれ。それでも聖職者かよ」
「ああっ! 貴重な一本が!」
能力を使って煙草の火を消すと、桐生が情けない声を出した。煙草の残りの長さを見るに、あといくらも吸えないだろう。最後までチビチビねちねち吸い続ける男、それが桐生。
「お前ら分かったろ。桐生は怖い人じゃない。だからそんなに威嚇しなくても大丈夫だ」
「そういうことだ、お二人さん。よろしくな。まあ立ち話も何だ、中に入れ。お前ら今日は泊ってけ」
「部屋あるのか?」
「あるぞ。セッティングは自分でやってもらうがな」
桐生が教会の扉を開けて俺たちを招き入れた。イコが恐る恐る俺の後に続き、しんがりをベイが勤めた。
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