故障と不測と記憶の空白④

  ■ ■ ■






 揺らぐ意識の暗闇の中、何かが手に触れた。

 もがくように手繰り寄せたそれは、昔の記憶。


『ナダ、あったぞ。これで必要な分は揃った』

『ありがとうバーバラ。早速母さんのところへ持って行こう』


 記憶の欠片を放り投げる。違う、これは俺も知っている記憶だ。


『いやァ僕だって悪いとは思うよ。だけど君、無戸籍でしょ? 身元も分からない、しかも未成年をウチでこれ以上雇うわけにもいかないんだよ。分かってね』


 これはもっと違う。俺を理不尽な理由でクビにした雇い主の顔を、こんなところで思い出したくはなかった。


『……ナダ、いいか。これから言……道順を……、……』


(……! これだ)


 ノイズでところどころ見えない記憶を引っ掴み、手元に寄せた。

 ところが、よく見ようとした瞬間に暗転し、完全に見えなくなってしまった。


「まだ駄目だと言っただろう。お前にはまだその資格がない」


 突然、目の前に子供の姿をした“おれ”が現れた。

 俺が驚いて手放した記憶を“おれ”は取り上げ、緑色の検査着のポケットに隠してしまった。


「返せよ。資格がないってどういうことだ? 俺は俺だ、それだって俺の記憶だ」

『黙れ半端者。目を背け、封印したのは他でもないお前だろうに』


 ゆらりと“おれ”の姿が揺らぎ、俺と距離を詰めた。

 白化しきっていない頬が、髪が、俺の額をくすぐる。


「受け入れる覚悟はお前にあるというのか。代償も無しに何かを手にすると? 覚悟がない、資格がない、すべてから逃げてばかりの臆病者めが。自分の中に何があるのか、お前はまだ理解しきれて居らんのだ」


 胸を突き飛ばされ、俺は後ろによろめく。

 追い打ちをかけるようにして、幼い“おれ”の高圧的な声が降ってくる。


「見ろ、その手を。不殺ころさずを貫き通せるほど、お前は綺麗な存在か?」


 地面に突いた手を見る──べっとりと血がこびり付いていて、俺は悲鳴を上げる。血はゆっくりと手を腕を肘を侵食してきて、それを止めようと何度も手をこする。

 その様子を見て、“おれ”はせせら笑った。


「その様子ではやはり早い。出直して来い、


 “おれ”が再び俺を突き放すと、急に地面が消えて俺はどこかへ落ちていった。

 無数の記憶を従えた“おれ”の無表情を最後に、再び俺の意識は黒く塗りつぶされた。






  □ □ □






 ギュイン、と音がした気がした。俺の体から。

 それくらい突然に、重力が掛かる感覚が戻ってきた。あまりに突然のことに大声を上げてしまったほどだ。


「うわあっ!?」

「ナダ!? ナダ起きた!?」


 体を起こすと、俺は柔らかい布団に包まれていた。俺にとっては夢のような、上質な布の感触──いやそうじゃなくて。何だよ布団って、どうなっている?


「ごめん、ナダがあまりに起きないもんでさ。もう森抜けて町に着いちゃったよ」

「俺は一体どれくらい眠っていたんだ」

「えーっと……」


 イコが気まずそうに目を逸らした。

 俺が追及しようとすると、その後ろから銃を担いだベイがぬうっと現れた。


「なあベイ。何日経ったんだ、俺が……ええと……あれ?」


 最後の記憶を探ろうと目を閉じる。たしか森を抜けそうだとか話していて、そこに……ロープトラップにまんまと捕まって、それで。


「えっ……俺捕まったよな? 盗賊にさ。ロープで」

「ああ」


 ベイにまでそんな微妙な顔をされては、余計に心配になる。俺が寝ている間に何かあったのだろうか。もしかしてまずい寝言でも言ったのか?


「で……それで? 俺の中では『捕まって、ここに至れり』って感じなんだけど。なあ、ねえちょっと、今アイコンタクト取ったろ。見えたからな。俺がいくらバカだからってナメすぎだぞ」

「な、何の話カナー」

「イコ!?」

「あー……やれやれ面倒めんどくせえな」


 ベイがドカッとベッドに腰を下ろしてきた。危うく片足が尻に敷かれるところだった俺はベイを睨んだが、奴はどこ吹く風でぶっきらぼうに説明した。


「そうだよ、お前は賊に捕まった。それを俺が追いかけて……した。あの場で一日野営張って、お前の意識が戻るのを待ったんだがな、全然起きる気配ねえからそのまま森を出て……町に到着。それが三日前だ」

「……三日?」


 指を折って掲げて確認する。イコが頷く。三日は三日。

 まる三日、俺は眠っていたというのか?


「あんた熱出してたんだよ。でも医者に見せるのはまずいんじゃないかって、ベイが」

「普通の医者に診せていいか迷ってよ。結局宿に事情を話して、特別待遇を受けてる。感謝しろよ」

「……ありがとう……悪かった」


 額に手を当てると、脂汗で気持ち悪かった。

 しかし熱があったとは信じられない。俺はものすごく気分がよくて、体がここ最近で一番軽いのだ。

 そう話すと、二人とも妙に納得顔になった。……俺の知らない何かで通じられると、あまりいい気分はしない。俺だけ蚊帳かやの外かよ。


「……シャワー浴びてくる」


 ベッドを降りて、イコが指さしたシャワー室へ向かった。

 ひとまず寝汗を流してサッパリしよう。






 熱い湯を浴びながら髪を掻き上げ、湯気で曇った鏡を見る。

 鏡に映る俺は相変わらず真っ白だ。髪の生え際から毛先まで混じりけのない白、外仕事のせいで荒れていても肌は白。眉毛も睫毛も白。薄い青灰色の瞳だけが辛うじて色を残している。

 半年前までは左頬の辺りに白化していない皮膚があったのだが、それがいつの間にかすっかり消えている。


 鏡を見たのは久しぶりな気がする。イコの手鏡を何度か突きつけられはしたが、まじまじと自分の顔を観察したのはいつぶりだろう。鏡を見るのは嫌いなのだ、ゆっくりと確実に白化している事実が見えてしまう。


(……“知らぬが仏”、ってヤツか?)


 夢の中で対峙した“おれ”は何度も言った。

 覚悟がない。資格がない。自身の中に眠るものを理解していない。知るには早い……それほど衝撃を受ける何か、ということか?


「“逃げ続けてばかりの”……」


 あの幼い姿の“おれ”は一体何なのだろう。俺が見せるただの幻影か?


  『半端者が』


「……黙れよ」


 頭の中で聞こえた声に苛立って返す。が、どうも引っ掛かる。たしかに俺は人間的に熟しているとはとてもいいがたい。半端者、その通りだ。でもあれはそういう意味ではないように思える。脈絡がない。

 逃げているのも致し方ないことだ。俺は俺を悪用しようとする誰かの手に落ちる訳にはいかない。逃げるのは俺の義務で、責任で、役割だ。それはもう俺の中で折り合いがついているし、飲み込めている。


 それとも立ち向かえというのか?

 俺一人で? 誰がそれを望んでいる?

 ──俺が?


「いや違うだろ。そういう方向じゃない気がする」


 直感がそう告げている。俺の中の何かが、違う違うと囁く。

 ……あまり心地のいい感覚ではない。ギリギリのところで得物が逃げていくようで酷くもどかしい。


「ナダー、ごはんきたー」


 シャワー室の外からイコが呼び掛けてきて、思考が中断された。

 ちょうどよかった、考えても埒が明かないし、暗い気分になるだけだ。せっかく体が軽くなったのに。やっぱり疲れていたんだろう。


「おう、今上がる。……上がるから早く脱衣所から出て行ってくれませんかね」

「ちぇっ。バレたか。せっかくナダのヌード拝んでやろうと……」

「お前はどこのエロおやじだ。やめてくれ」


 笑い声を残して今度こそイコが出て行った。

 能力を使って、体に残る水滴を払い落とし、髪も乾かしてシャワー室を出た。予め棚に用意していた下着をつけようと棚を見る。


 ない。──やられた。

 脱衣所の外へ向かって叫んだ。


「…………イコぉぉぉこのアホーーー!! 俺のパンツ返しやがれぇぇぇ!!」






  □ □ □

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