故障と不測と記憶の空白③

  ◇ ◇ ◇






 姿の見えない賊に向かって威嚇射撃を繰り返すうち、包囲網は徐々に解かれゆき、やがて撤退していった。

 イコは地面に崩れ落ちた。緊迫した状況にもかかわらず、よく俺の指示を聞き、動いたものだと思う。労いの意を込めて頭を撫でてやった。

 だがもう一人……ナダは連れ去られてしまった。不意を突かれたとはいえ、もっとやり方があったはず。三人とも無傷でやり過ごす術があった、それを叶えられたはずなのに。


「ああくそ、しくじった……」


 とは言え、攫われたのがイコではなくてホッとしている。イコは戦闘力ゼロだが、ナダはある程度の対処なら一人でできる、それくらいの力量はありそうだ。不幸中の幸いといったところか。

 だからといって手をこまねいてもいられない。万一ということもある。早く救出に行かなければ、最悪このままゲームオーバーだ。


 俺はイコをチラリと見た。一緒に連れて行くには危険だが、ナダの奪還に向かう間イコを一人にもできない……俺の考えていることが伝わったのか、イコは力強く頷いた。


「大丈夫。足手まといにならないように頑張る」

「くれぐれも余計なことすんなよ」

「もちろん」


 イコは当たらなかったロープの罠を地面から拾い上げた。そして何を考えているのか、妖しく歪んだ笑みがその顔に浮かぶ。

 ……急に心配になった。何がとは言わないが。


「……余計なことはすんなよ」

「分かってるって。ナダが連れてかれたのはどっち?」


 賊どもが撤退していった方角を指さして、移動を促した。音をなるべく立てないよう、二人で足を忍ばせてそちらへと進んで行った。












「……シッ。止まれ」


 しばらくじりじりと歩を進めたところで、ふと足を止めイコを手で制した。運よく背の高い茂みがあり、そこに隠れて様子を窺う。

 茂みの向こう側には、一軒の木造の小屋があった。大分古いものだ、ところどころ板が剥がれ落ちているのを無理やり補強している。その隙間や窓から明かりがチラチラと揺れている。


 ……いや、違う。

 あれは照明の光などではない。


「ベイ……なんか燃えてない? 焦げ臭いっていうか、煙の臭いがする……」

「俺も今そう思ったところ、だ……ッ!?」



 それと認識した途端、全身を覚えのある感覚が迸った。目には見えない巨大なエネルギーが吹き荒れる、そんなイメージを彷彿とさせるその感覚。

 周囲の森が、あの日の森林ジャングルとフラッシュのように重なる。


 喉が煙で焼け付く。……違う、ただ喉が渇いているだけだ。

 耳元を大河が唸るような音がする。……いや、幻聴だ。


 ──あり得ねえ。そんなことがあってたまるか。

 この感覚を、どうして今……!


「えっ、ちょっと、ベイ!?」

「お前はここにいろ。絶対にそこ動くんじゃねえぞ」


 気が付くとイコにそう言い捨てて走り出していた。そう、ちょうどあの日も俺は走った。俺たちはあの密林に拒絶されたから。

 今はどうだ? これは何だ?






 ドアを蹴り開けて突入し、すぐアサルトライフルを構えた。

 敵影なし。気配もなし。銃口を下げたが、煙の臭いが鼻を突いて顔をしかめた。一階部分には誰も見当たらない……上か。

 一階右手に朽ちかけた階段を見つけ、一気に駆け上る。


 ナダが俺を能力で脅してきた時──そうでなくともナダがあの力を使う時、妙な感覚が肌の下を巡った。これまでは正体が分からなかったし、抱いた恐怖感も当然のものだと思い込んでいた。あれだけの力だ、自分に向けられたらひとたまりもないと。

 違う。俺が恐怖したのは、があの日の出来事とそっくりだったからだ。そのことに今ようやく確信を抱く。


 二階に到着。熱を孕んだ空気がより強く、風となって全身に襲い掛かる。口元を肘の裏側で覆い、揺らめく熱風の間に目を凝らす。


(何がどうなってる?)


 チラと腕時計に目をやる。ナダが攫われてから一時間も経っていない。その間に一体何が起こったのか──炎に巻かれた部屋の中で、大勢の賊が床に倒れ伏す中で、千切れた縄を纏ったままのナダだけが、景色から浮いたように一人佇んでいた。


 名を呼ぼうと喉まで出かかった声が、寸前で感じた違和感に行き場を失った。

 その背中に漂う空気感が、何か違う。


(……動けねえ……)



 腹の底から湧き上がるこれは、本能的な忌避感情だ。嵐の前の静けさのような、災害の前触れのような──


 知らず知らずのうちに息を詰めていた。

 に気付かれてはならない。目が合ったらおしまいだ。


(頼む……こっちを見るな……)



 ──ゆらり。



 願いに反して、ナダの姿をした“それ”が体を傾げ、首が俺の方を向いた。

 目が合った。合ってしまった。ブルーグレーの瞳は踊り狂う炎を映し、ゆらゆらと静かにその明かりを湛えている。

 “それ”が口を開いた。抑えられた涼やかな声が、しんとその場に染み渡る。


「丁度良かった。もう直ぐは時間切れなのでな、運び屋が必要だったのだ」

「……何の話だ。何の真似だナダ、気色悪い演技はやめろ」

「この者たちは助からん。連れて行くのならおれだけにすることだ」


 話が噛み合わない。というか、ナダが別人のようだ。

 子供じみていて、それでいて老人のような口調。声は間違いなくナダのそれだが、あまりの変わりように困惑よりも悪寒を覚える。


 “それ”が両手を広げた。その動きに合わせて部屋を暴れる炎が激しさを増し、倒れたままの賊どもをゆっくりと飲み込み始める。


「何……を……?」


 成す術もなく見守るしかない。手元にある銃がただの鉄の塊のように感じる。

 “それ”は白い頬に炎の色を躍らせて無機質に言った。


「おれの中で力は膨れ上がる。今まで留められた力は何時いつせきを切る。今回は偶々たまたま窮地に陥ったからおれが出て来られたのだ、普段の権利はの方にある。お前も気を付けておけ」

「何言ってるかサッパリだぞ。そういう抽象的な話は後にしろ、さっさと逃げねえとここも崩れ――」

「……ああいかん」


 ふ、と。炎が一瞬、踊りを止めた。

 縄の絡まる腕がパタリと下ろされた。


「時間切れだ」


 そう呟いた途端、ふっつりと糸が切られたようにナダの体が床に崩れ落ちた。

 慌てて駆け寄って抱え起こしたが、完全に意識がなくなっていた。ついでに俺の中で渦巻いていた悪寒も。


「……ああくそ、この野郎、好き勝手やりやがって」


 炎が俺たちも飲み込もうとその手を伸ばしてきた。

 悪態をついてナダを背中に負い、階段を駆け下りて外へ出た。背後でが焼けていくその臭いは必死で無視した。






  ◇ ◇ ◇






「おかえり……遅かったじゃん」


 茂みに戻ると、イコはロープであやとりをしていた。


「そんで? 我らがお姫サマはご無事で?」

「……どうだかな……なあ、コイツ二重人格だったりするか?」


 俺を見上げる顔が呆れかえった。軽く首を振って、俺は元来た道を顎で指した。

 小屋の中であったことを説明し終える頃には、半端に野営の支度がなされた場所に戻ってきた。未だ意識が戻らないナダを車に寝かせ、俺とイコだけで夕食を摂った。


「二重人格とか、下手なSFじゃあるまいし。……あーもう悪かったって、ホントなのは分かったから」


 言い返そうとすると、イコは手を払って遮った。スープに浸したパンを一口放り込んで咀嚼した後、考え込むように唸り声を上げた。


「うーん……わたしの知る限り、ナダがそんな風になったことは一度もないな。あったらあったでナダも自覚してなきゃおかしいだろ、あいつあんなにバイト詰めててスケジュール間違えたことないんだよ? 意識が抜けてる間に、そのー……別人格が行動してたっていうような、そんなことはないと思う」

「じゃあさっきのは何だったってんだ? 表情も口調も気色悪かったぞ」

「口調?」


 皿を置いたイコが首を傾げる。


「どんな?」

「じじくせえ感じだ。時間切れだ、とかって繰り返してもいた」

「じじくさい、ねえ」

「思い当たるのか」

「ナダの故郷じゃそんな訛り方らしいよ。こっちで言う老人みたいな喋り方。今も時々、焦った時とか疲れた時に出てるね。聞いたことない?」

「……あったかもしれねえな」


 あったような、なかったような。それくらいの記憶だ。

 それにしても気になるセリフが多い。「力が膨れ上がる」だの「普段の権利」がどうの、そして「時間切れ」。……どういう意味だ?

 思考が停滞しかけた時、パチンとイコの手が鳴らされた。


「わたしら二人でこれ以上頭捻ったって仕方ない。話は全部ナダが起きてからだね」

「……あいつホントに寝かせたままで大丈夫か?」

「そのうち起きるんじゃない。さて、ごちそうさまー。さっさとお皿片付けちゃおう。今日はわたしも見張り番するよ」


 立ち上がってイコは猫みたいな伸びをした。

 一方的に切り上げられてはどうしようもなく、俺は大人しく皿洗いに取り掛かるのだった。






  ◇ ◇ ◇

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