故障と不測と記憶の空白①
□ □ □
俺が車を降りると、ベイが驚いた顔をした。
「何だ、もっと遅くていいぞ」
「これくらいの時間で大体半分になるだろ。お前も少し寝ろ、俺より車酔いするんだから」
浅黒い顔に思い切り渋面が浮かんだが、俺は引き下がらなかった。
「一人旅の時はいつもこの時間に起きるんだよ。これから朝めし作ったりすればちょうどいいからな。ホレ、いいからさっさと寝た寝た」
渋々ベイは車に乗る。
俺は焚き火の傍に座って手を温めた。今は夜の二時前くらいで、六月半ばの今、この時間帯は少し冷える。肌を隠すために来ている長袖パーカーがちょうどいい。
盗賊に襲われたせいで予定通りに次の町に着けず、俺たちは野宿する羽目になってしまった。
俺とベイで交代で見張りをしようということになったが、当初ベイは寝ずの番を一人でやると言い張った。俺とイコで車酔いのことをいじり倒し……じゃなくて説得して、ようやく交代制に納得してもらえたのだ。
ベイは一見、不機嫌そうな車酔いの傭兵に見えるが、車にいる間も気を張っている。常に最新の情報が入っていないか気を配り、襲撃に備えていつでも武器を準備しているのだ。
彼は今のところパイプ役としても護衛役としても申し分ない働きだし、イコはイコで運転手を担ってくれている。一番役割の少ない俺が多く負担を受け持つのは当然のことだ。
実は、早起きした理由はもう一つある。
少し考え事というか、寝ているのが気持ち悪かったのだ。
人気がないことを確認し、両手から炎を迸らせる。二重の螺旋に立ち上げた炎を、今度は水を現し消火する。ジュワッと音を立てて水蒸気に変わったそれを再び手元に集めて水の塊を作り、自分の周りを巡らせてみる。
(力は普通に使えるな……)
体調が悪いわけではない。すこぶる元気、寝起きもサッパリ。
ただ何となく……体がおかしいような感じがするのだ。腹の辺りで何かが蠢くような、ふとした瞬間にそれが膨れ上がって突き破られそうな、そんな感覚。力を使うのに合わせて、腹に巣食うその何かがうねる。
俺の体に一体何が起きているのだろう?
キース族特有の感覚なのか、俺だからなのか、そもそも力なんか関係なくて普通の人も味わう感覚なのか。
(……嫌な感じだ)
いつの間にか力んでいた腹を緩め、膝に手をついて立ち上がった。
とりあえず飯の準備をしよう。あのボロアパートでの作り置きは今日中に消化してしまわないと。
何となく胸にしこりを抱えたまま、俺は炊事を始めるのだった。
□ □ □
「――あーッ!」
朝めしを食べる手をはたと止めたと思ったら、次の瞬間叫んだイコ。
驚いて俺とベイが見ると、イコは車の運転席によじ登り、そして何かを手に戻ってきた。
「いやー忘れてた、マジ危なかったわ。ほんと、あそこで検問引っ掛からなくてよかった」
「お前……まだそれ持ってたのか!」
思わず声が大きくなる。イコの小さな手に収まりきらないそれは、黒く光る銃だった。
銃を見てベイが眉を寄せる。
「そいつは?」
「ナダと逃げ回ってたあン時に拾ったヤツ」
奪ったの間違いだろ、というツッコミは胸に留めおいた。言ったところでここに拳銃があるという事実に変わりはない。
「敵を知る手掛かりにでもなればと思って、後で分かる人に見てもらおうと思ってて忘れてた。ベイってこういうの詳しそうじゃん?」
イコが視線で指した先には、ベイの肩に背負われた長い銃がある。俺はよく知らないが、中近距離に使う歩兵銃らしい。
ベイはイコから銃を受け取り、ひっくり返したりレバーを引いたりして調べた。
「まあ、政府組織で採用されてる
……途中何を言っているか分からなかったが、これだけで敵を特定するのは難しいということか。
ところがイコはまだ食い下がる。
「じゃあさ。それに入ってる弾は?」
「弾がどうした?」
「普通の弾丸なのか、それとも……例えば“麻酔弾”とか」
俺とイコの目が合って、言わんとすることが理解できた。少なくともあの夜の“標的”は絞れるのではないか、そういうことだろう。
俺たちを捕えるのが目的だったのなら、殺さないような弾丸を選ぶはず。更にイコがメモリスティックを持っていることまで知っている存在ならば、昔俺を攫った組織と同一と考えられる。
だがそうではなく、単純に俺の力を狙っての襲撃で、イコは人質か邪魔者扱いなのであれば──考えるのは嫌だが、殺傷能力の高い普通の弾丸が入っているだろう。
その場合、第四の新勢力も視野に入れなければならない。とても面倒な話だ、俺を狙う組織は一つでいい。一つでも十分面倒なのに。
息を詰めてベイを見守る。
ベイは慣れた手つきで弾倉を引き抜き、中に込められている弾をつぶさに観察する。
「……特殊弾……か? 見かけねえ弾だ。ウチの奴に調べさせるか」
「頼む。まあよかったよ、力を狙う新参者が現れたわけじゃなさそうだな。特殊弾ってことは」
「その線が濃いな。いや、そもそもイコを“イコ”として認識してねえかもしれねえぞ。敵が狙ってるプレートだかデータだかがナダと一緒になってるとは、まだ知らねえのかも……」
「なあベイ、敵について何か分かったことはないのか?」
ベイは顎をさすって熊のような唸り声を上げた。
「昔お前を捕らえてた奴らが何者なのかってのが、実は不透明らしくてな。上もいろいろ調べてはいるそうなんだが……」
「“上”……」
その言葉がふと引っ掛かった。
ベイの言う“上”とは、ベイの所属する傭兵会社の上層部、つまりガヴェルのことも含まれる。ということはだ、辻褄が合わないではないか。
「不透明なはずがない。俺、あそこで……あの研究施設でガヴェルと会ってるんだぜ。施設に現れておいて『どこの組織か知りません』なんて、そんなバカげた話はないだろ」
「……あのな。俺は所詮末端なんだよ。その辺ちゃんと理解してもらわねえと困るぜ。一応聞いてはみるが、期待はすんなよ」
再びベイが朝食に手をつけるのを見て、俺も肩を竦めて会話を終わらせた。
場の空気を変えようと思ったのか、イコが明るい声で切り出した。
「次の町は何日泊まるんだっけ?」
「ざっくり見積もって、大体三、四日ってところじゃねえか」
「マジかよ。それはちょっと……」
「今度は何だナダ、何か問題でも?」
顔をしかめた俺を見て、ベイがまた眉を寄せた。
俺は皿を置いた。腕を組んだ。なかなか飯が進まないが、話をまず進めねば。
「問題大ありだ。宿泊費はなるべく浮かしたい」
「そうは言ってもな……」
「ベイ。お前だって俺と同じ無戸籍なら分かるだろ。いいか──」
深呼吸。
「──俺の、稼ぎは、少ない」
「あ、そういう話」
「イコ、大事な話だぜ。無戸籍でスキルなしの中卒フリーターだぞ? どんなに身を粉にして一日中働いたところで、切り詰めてギリギリ死にかける生活してたって、手元に残る金って思ってる以上に少ねえんだよ。コンビニの店長にもらったお金は本当にいざという時に残しておきたいし。そういうわけだから」
「分かった、分かったから……期待はするなよ」
ベイの目がだんだん虚ろになっていくが、上には掛け合ってくれるようだ。
俺は満足して朝めしの残りを平らげた。
□ □ □
朝食を済ませた後、俺たちはすぐに出発した。
昨日ペバリーの町を出てからしばらくは岩の多い荒れ野が続いていたが、背の低い草が見られるようになってきた。岩だらけの荒原よりは幾らか気分が潤う。
時々休憩を挟みつつ昼頃まで走り続けたところで、イコが車を停めた。
休憩には早い。首を傾げて声をかけてきたベイに、運転手はカーナビをいじって不機嫌に答えた。
「なーんかおかしくない? 昨日から走り通して着かないのは変だ。いい加減町に差し掛かってもいいはずなんだけど?」
「そのナビいかれてんじゃねえか?」
ベイの言葉にイコは唸った。
「これ、最新機種なんだよ。そう簡単にいかれてたまるかっての……あーダメだ、全然反応しない。やっぱ電波基地局の近くじゃないと作動しないのかなあ……」
「“電波基地局”……?」
不穏なワードだ。俺が思わず聞き返すと、イコはナビを突く手を止めないまま説明してくれた。
「そう。最近の機械──まあ通信機とかテレビとか、あとこのカーナビもそうだけど、電波性物質“エステトン”を介して情報を送受信するんだよ。エステトンを使って物体を動かす理論も出来上がってて、もうちょっとで実用化に……って話はまあ置いといて。このカーナビもプロトタイプだから、基地局から離れた場所だと動作が遅いって話は前からあったんだけど、まさかこれほどとはねえ。それで?」
俺が顔色を変えたのがバレていたらしい。イコがくるりと首を振り向けてきた。
「なに。怒らないから言ってみ」
「俺のせいかもしれませんです。ゴメンナサイ」
「素直でよろしい。でもなんで? キースの能力で妨害電波とかあったっけ」
「えーっと……たぶん違う……?」
「どうして疑問形なんだよ」
小難しいことは俺には分からない。だが、結論だけを机の上に乗せるとすれば、この一言だ。
「
イコとベイから呆けたような声が上がった。
頭が痛い。もっと早く言うべきだった。無知だった俺も悪いが、こんな事態になるとは思っていなかったのだ。
「詳しい理論だとかはよく分からんけど、俺がエステトン仕様の機械を使うと壊れるんだ。昔そういうことがあって、医者に調べてもらったら、その……ベルゲニウムとエステトンで、反発作用? とかいうのが起こって、物質の波が強いベルゲニウムが勝っちゃって、負けたエステトンの方が動かなくなる……みたいな……」
二人の無言に圧され、しどろもどろに説明を試みたが、結局尻すぼみになってしまった。何度も言うが、俺は頭がよくないのだ。
ベイは俺の気持ちを汲んでくれたらしい。生暖かい目だが、肩をポンと叩かれた。
「お前が理解できてねえのは分かった。面倒だから動かねえ理由はもういい、仕方ねえ。ところで、なんで医者なんだ? エステトンは専門外だろうが」
「俺のいた孤児院の専属小児科医でさ。変人だから色んなことに詳しいんだ」
「理由になってねえぞ」
「俺もそう思うけど、事実だよ。なあイコ、この前までカーナビ動いてたんだろ? ほんとにウンともスンとも言わねえのか? ……イコ、おいイーコー。戻ってこーい」
「……ほァ!?」
おでこを指で弾いてようやく、イコは我に返った。恨めし気に俺を睨んでカーナビの画面を連打する。
ナビの不調はたしかに俺のせいかもしれないが、イコの扱いが乱雑なせいもあるんじゃないか? そんなに指で突いたら劣化も早いだろうに。
ナビは現在地点が定まらず、本当に駄目になってしまっているようだった。
俺は車を降りて後ろに回り、トランクにある自分のバックパックから地図とコンパスを引っ張り出して、助手席に戻った。イコがピュッと口笛を吹いた。
「わお、アナログぅ」
「機械音痴だからな。ええと、ペバリーの町がこの辺……で、今昼過ぎだろ? 車と太陽の位置関係からして、たぶんだけど東に逸れ過ぎたんだと思う。真反対に引き返して、西の方に少しずつ方向変えながら探せば、いつかは町に着けるはずだ。……そんな不安そうな顔すんなって。俺だって伊達に一人旅してねえよ」
信頼感ゼロの顔の運転手。ところが思わぬ援護射撃が入った。ベイだ。
ベイはベストのポケットから通信機を取り出して言った。
「俺も同意見だ。まずは元来たルートを逆戻りすればいい。こっちはこっちでサポート頼んでみる」
「頼もしいな。任せた」
「ってことは、戻るしかないってわけね。はーい出発しまーす」
渋々イコが車の向きを変えてアクセルをギュッと踏んだ。ベイから不満声が上がった。
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