第2章 記憶の欠片と「■」の片鱗

足と壁、じゃあ俺は①

  □ □ □






 再びアリカさんを訪ねると滅茶苦茶に変な顔をされた。つい数十分前にあのような別れ方をした相手がとんぼ返りしてきたのだ、当然だ。


 彼女に再度事情を説明した直後、俺の通信機は再び奪い取られ、ガヴェルを相手に夜通しクレームをつけたのは言うまでもない。その間俺とイコは再び休息を取ることができたので、ガヴェルには悪いが有難かった。




 話し合いの結果、当分はイコの車で旅をすることになった。

 イコに最初から歩き旅を強いることはできないし、より早く遠くへ行ける。追手が俺のことをよく知る相手なら、俺の移動手段は徒歩かマウンテンバイクだと考えるだろうから、その意表もつける。もちろん警戒は必要だが。


 さしあたって、ガヴェルが俺たちに派遣する護衛要員と早々に落ち合う必要性が出た。実はもう町に来ているという。仕事が早いなあと俺は感心したがイコは顔を曇らせた。あの晩逃げ回る俺たちを援護した一人ではないか、というのがイコの考えで、既に手を回されていることに対する懸念でもあった。

 あの電話の主を思い起こして、俺は溜息が出た。荒っぽい人でないといいのだが……。






 夜が明け、アリカさんに別れを告げて車が走り出す。

 イコは普段から車で生活することが多かったせいか、俺が予想したほど荷造りに時間はかからなかった。足りないものがあれば買い足せばいい、とイコは笑った。


 ……旅立ち、あっさりしすぎじゃなかろうか。

 フットワークが軽いなんてものじゃないぞ。


 車が向かうのは商業街、そのはずれにある酒場だ。

 昼間は食堂になっているというその店で“護衛員”が待っているという。たしかに酒場なら季節外れの格好をした俺も浮かないだろうし、ある意味適度にプライバシーが守られる……はずだ。

 だが酒場に到着し、外のウインドウから中を覗いた俺たちは思わず無表情になった。


「あいつっぽいな」

「だね。それっぽいのはあいつだけだ」


 車から出ないまま店内を観察し、それらしき人物が他にいないか確認する。

 その男で間違いなさそうだ。……大変遺憾であるが。


 その男はいかにも傭兵といった出で立ちだった。

 ベストは防弾仕様なのか厚手で、半袖のシャツから覗く首や腕は太く筋肉質。浅黒い肌は日焼けというだけではなさそうだ、そういう人種なのだろうか。とにかく他の客とは明らかに異質な雰囲気を放ち、店員も傍を通らずわざわざ遠回りしている。


 明らかに浮いている。

 白い俺より浮いている。


「何つーかさあ、あいつの周りだけ絵柄が違うんだけど。俺やだよ、あんな奴に声かけて気分損ねたら殴り殺されそう」

「でもあいつで間違いないでしょ。さ、頑張れ。何かあった時のために通信繋いでおくから」


 イコに車から放り出され、腹を括るほかなかった。

 ドアを押し開けると、安っぽいベルの音がカラカラ鳴った。


「へいらっしゃい。おひとりかい?」

「いや、人と待ち合わせしてんだ。……たぶんあいつ」

「ああ、あんたが連れか。助かったぜ、あのお客、もう二時間もああしてんだよ」


 店員が声をひそめて、顎で男を指した。曖昧に頷き返し、そちらへ向かう。

 奥まりすぎない、且つ店中を見渡せる、壁際の席――。


「……ガヴェルの部下って、あんたのことで間違いないか?」


 声を掛けると男は顔を上げた。どう見てものそれではない目つきが俺を捉える。負けじと見返すと、低い返事が男から鳴った。


「ああ。なるほど、“白い少年”ね……ボスに聞いてた通りだ」


(……ん?)


 少し首を傾げる。どこかで聞いた声だ。それもつい最近……。


(あー分かった。あの時の)


 男の向かいの席に腰を下ろすと、店員がそそくさと水だけ置いて去っていった。テーブルに跳ね飛んだ水滴を能力でこっそり掃除しながら、俺は答え合わせを始める。


「直に会うのは初めてだよな。先日はどうも、俺らに指示出しながら援護してくれた奴だろ?」

「へえ、よく分かったな」


 男のこげ茶色の目が軽く見開かれる。正解だったようだ。

 得意気な風に取られないよう、少し肩を竦めて見せた。


「一瞬思い出せなかったけどな。しかし、あんた一人か? もう二、三人はいると思ったんだけど」

「情報収集だとか後方支援に回ってるのが数人。お前らの傍につくのは俺だけだ」


 相槌を打ちながら男の隣をチラリと見る。男のがっしりした体躯に隠れるようにして、長い銀色のケースが壁に立て掛けられている。ジュラルミンケース、というやつだろう。

 ……中身はすぐに予想がついた。傭兵の主たる持ち物と言えば一つしかない。


「そうか。じゃあ……行こう。もう一人は車で待ってる。ところで名前は?」

「ベイと呼べ」

「……お前もうちょっと愛想よくしようとか思わねえの」


 ベイと名乗った男は何も注文していなかったようで、支払いをせずにそのまま店を出た。後に続いて俺も出ると、店員と客は心底解放されたような顔つきになっていた。可哀そうに、どちらがとは言わないが。


「おーおかえり。うわ、マジで強そう。筋肉ムキムキ」

「コイツが運転するのか? お前じゃなく?」


 ベイがどう見ても俺より年下のイコを訝し気に見る。

 イコはウインクした。


「戸籍持ってないナダは免許取れないからね。まあ安心して、大船に乗ったつもりでドンと構えてくれたまえ」

「あっベイ、後部座席でもシートベルトはつけろよ、イコはドアを閉める前に……」


 遅かった。乗る前に忠告すべきだった。傭兵ベイの身体は急にバックした車の衝撃に耐え切れず、運転席と助手席の間につんのめって挟まった。






  □ □ □






「ボスのガヴェルはあくまで責任者だ。情報を統括して指示を出す奴は別にいる」


 ベイは町を走り抜ける間、揺れる車で頑張って説明した。

 声が揺れて凄いことになっている。


「俺を通して、お前らを危険の少ねえ場所に誘導する手筈になってるが、ある程度は現場の俺らが判断することにもなりそうだ。……おい、笑ってねえでちゃんと聞け!」

「聞いてます聞いてますぅ、……笑ってなんか、くく、ぶふっ」


 とうとう噴き出してしまった。運転中のイコも堰を切ったように笑いだした。


「あっはっははは、や、悪い、悪いって。そんな顔すんなって」

「そうだそうだー、そんな風に眉間に皺寄せてっと……だっはっはっは! あー無理、ウケる!」


 イコはベイのしかめっ面がツボに嵌まったらしい。どう見ても気圧されるほど怖いのだが、揺れる声のせいで全部台無しだ。


「安全運転をイコに求めても無駄だぜ、ベイ。半年の付き合いの間、徐行運転してるところなんて幾らも見たことねえんだ」

「事故る前にブレーキ掛けるからいいじゃん」

「そう言ってるといつか事故るぜ。今は三人分の命かかってんだから、ほんと頼む……前見て運転しろアホ!」


 ベイは話すのを諦めたのか、さっきから黙ったままだ。

 まあ、あれだけ笑ってしまったのは、少し悪いことをしたかもしれない。今後の関係性を少しでも良好なものにするべく、ここは素直に謝っておこう。


「なあ悪かったって、別にお前をバカにしたわけじゃねえんだ」

「……ちげえ……袋ねえか」

「袋? ……あっまさか。イコ車停めろ、ベイが酔った」






 窓を開けてみると、もう少し走れば町の出口というところまで来ていた。涼やかで土埃の匂いをかすかに含んだ風が車内を満たす。初夏に相応しい、爽やかな空気だ。

 ベイはだいぶ落ち着いたようで、絶好調に悪態をついていた。


「車酔いとか百年ぶりだぜ。もっとマシな運転できねえのかお前は」

「あんた幾つよ? 百五十歳?」

「三十手前ぐらいだ。言葉の綾だろうがよ。軍用ジープもこんなに揺れねえぞ、どんなドライブテクだ」

「へへ、それほどでも」

「褒めてねえ」

「え、まだ三十路いってないの? その見た目で? 老け顔ォー」


 イコは打ち解けるのが早い。もうベイをからかい始めている。

 俺はバックパックから双眼鏡を出して、出口に検問がないか探した。


「あー……しまった。もたもたしすぎたか」

「どうした?」

「検問張られてる。治安局だ」


 検問のゲートやその横に着けられている車にしっかり「治安局」とロゴが見える。町の外はだだっ広い荒れ野が広がるだけだから、一応道を外れて検問を避ける手もあるにはあるが、しかしその方法を採れば十中八九、治安局に撃たれるか、応援を呼ばれて余計面倒なことになる。

 ベイは顎をさすった。


「奴らが捜してんのが何なのかによるな。どっちにしろ怪しまれるのは絶対に避けてえ。イコは一般人で誤魔化せるだろうし、俺は休暇中ってことで社員証出せばいいが……問題はナダ、お前だ」

「だよな。後ろの荷物に紛れるか?」


 ベイは首を横に振った。


「いいや、そりゃダメだ。荷物も全部あらためられる。身分証持ってねえ奴は署に引っ張られるだろうな、ネズミ捕りと一緒で恰好のいい点数稼ぎになるから」

「なら変装は? わたし色つきの日焼け止め持ってるよ」


 イコがどこからともなく化粧品のチューブを取り出した。ついでにと言わんばかりに、作業つなぎのポケットからいろんな化粧道具も引っ張り出す。

 何でそんなところに入れているんだろう?


「はいはい、こっち向いて。目ぇつぶって……睫毛も白いんだなあ、マスカラ塗ってみるか」

「え、化粧すんの? 本気か?」

「黙んなさい。あ、いいね、肌は何とか誤魔化せそう。問題は髪だな……そういえばアレがあった。おいバカナダ、動くなよ」


 しばらくの間、されるがままにもみくちゃにされた後、改めて俺の顔を眺めたイコから表情が消えた。信じられないものを見るような目つきだ。


「なんでしょうか。どうして変な顔してんだよ、イコ」

「ねえベイ、ちょっとこれ見てよ。どう思う?」

「お前らなァ、こんな時に遊んでんじゃねえ……って、おい、マジかよ……」


 ベイも言葉を失った。二人してゴーストでも見たような顔するんじゃねえ、と睨むとベイが目を逸らした。というか、こげ茶色の目が宙を泳ぎまくっている。

 イコは腹を括ったようにベイに指示を出した。


「……ナダ、仕上げに入ろう。ベイはやり過ごす作戦考えて」

「おう、任せろ。くそ、ショックが抜けねえ……」

「なあ仕上げって一体何の──」






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