足と壁、じゃあ俺は②

 砂埃を巻き上げながら車が荒野を走る。町を背後にいくらも走らないうちに、治安局員が手信号で停まれの合図を出した。治安局のワゴンが複数台停まっており、ゲートやテント、機材が道を塞いでいる。

 検問だ。


「何? 急いでんだけど」

「先日あの町で爆発があっただろ。テロの線がまだ残ってるってんでな、厳戒態勢敷いてんだ」

「うわまじかよサイアク……急病人がいるんだよ、この先の町医者に見せに行くんだ。持病が悪化したみたいでさ。早くそこ通してよ」

「早く終わらせてえんなら、ホレ、身分証寄越せ」

「ちぇっ。クソ治安局め、どうせ点数稼ぎだろ」


 わざと口調を荒っぽくしたイコは少年に見える。治安局員たちも少年と思い込んでいたのか、学生証の性別欄を見て疑わし気に砂色の髪の運転手を見る。じろじろ見られたイコはべっと舌を突き出した。


「後ろの男は? 身分証出せ」

「無戸籍なもんでよ。社員証しかねえ」

「へえ、有色人種カラードの傭兵ねえ。怪しいな。そのケースは武器かい?」

「アサルトライフルに遠距離狙撃用のライフル。あとはウチの会社の基本装備一式。この通りだ」


 差別的な発言をサラリと流し、ベイは持っている装備品一式を広げて見せた。社員証とそれらを照らし合わせ、治安局員の一人がどこかに通信を飛ばす。


「で? 確認だが、今は何の任務中だ?」

「任務じゃねえ。休暇だ、この……のところに居候してる」

「姉妹?」


 ベイは一瞬言い淀み、自分の肩にもたれかかっている人物に目線を送った。

 肩口辺りで切りそろえられた金髪が顔に掛かり、浅い呼吸が胸を上下させている。


「急病ってのはコイツだ。だいぶしんどそうでよ、急いでくれ」

「やれやれ面倒だな。お嬢さん、具合悪いところスイマセンがね、身分のわかるものを……」


 ゆっくりと、身を重たく起こした。


 顔を上げると長い睫毛から薄青の瞳が治安局員を見上げた。

 上気した頬、薄い桃色の唇から怠そうにため息が吐かれ、やや低くかすれた声で覚束なく呟いた。


「ええと……みぶんしょう……?」

「おいおい大丈夫か、熱上がってんじゃねえか?」


 ベイが狼狽える。我に返った治安局員がその額に手を当て、異常な体温に驚く。


「悪いけど、水を少し貰える?」

「あ、ああ……」

「ありがと」


 女がふわりと微笑む。局員が手渡したペットボトルに唇がつけられ、喉がこくりと鳴った。その様子をガラの悪い局員たちが間抜け面で見守る。

 喉を潤した女はペットボトルを局員に返し、汗ばむ前髪を掻き上げた。


「先生に診て貰えれば落ち着くと思う。早く楽になりたいんだ、もう行っても?」

「……へぁ?」


 ぼーっと見惚れていた男たちは情けない声を出して我に返った。


「あー、ああ。たしかにこりゃ一刻を争うカンジだな」

「そこの傭兵が休暇中ってのも確認できた。テロとは無関係だ。行っていいぞ」

「お大事に」


 手のひらを返した局員たちに別れを告げ、車は再度急発進した。






  □□□






 検問が遠ざかってもしばらく車内は無言が続いた。

 俺は堪えきれず、咳払いする。声を高くしているのは疲れるのだ。


「……もう動いていいか」

「まだ検問が見えるうちはやめとけ。望遠鏡で覗かれたら一発アウトだ」

「ハア……何が悲しくて男に寄りかからなきゃならないんだ……」

「言うな……俺も我慢してんだからよ……」



 先ほどの「女」というのは、お分かりだろう、俺だ。

 化粧をそれらしく施され、カツラを被せられただけで、中身は俺だ。

 ちなみに別に趣味じゃない。誰が何と言おうと、俺が好んでこんなことをやっているわけではないと、ここで主張しておく。



「あの局員ども、落ちたな。間違いねえ」

「可哀そうに。居もしない女に落ちるなんて、まったくご愁傷様だな」

「男だって知らないだけまだマシだ。俺なんか脳がバグったのかと……」

「おいそこの男二人。警戒心足りないよ、おしゃべりはもっと後にしな」


 運転手(女)にたしなめられ、傭兵(男)と女装中の俺(男)は黙った。




 化粧後にイコに見せられた鏡には、金髪ボブの女が映っていた。

 眉と睫毛はカツラと同じ色に染まっていた。あとで取れるらしい。この髪色ならナダの瞳もそのままでいいでしょ、とイコは頷いた。瞬きすると鏡の中で薄い青灰色の目がぱちくり動いたのだった。俺ではない人間がいる。


 首にも腕にも色つきクリームが塗りたくられ、半袖のTシャツを着て後部座席に座り、「急病ですぐに隣町に急がなければならない」という口実を作り上げた。隣に座るとベイが凄く嫌そうな顔をしていた。イコは笑いを堪えるので必死だった。




「目論見通り、検問突破できてよかったよ。ところでナダ、あの声どうやったの? せっかくあんたが喋らないように考えてあの作戦にしたのに」


 もう一キロほど走ったところでイコが聞いてきた。俺は体をベイから離し、席をまたいで助手席に座った。


「ナダの声って高くないでしょ、普通に男の人の声じゃん」

「別に女の声を作ろうとしてるんじゃないさ。それだとただの裏声になるからな。そうじゃなくて、こう何て言うか……声をワントーンずり上げたところで固定するんだよ。こうやって」


 俺の喉から少し低めのハスキーな女の声が出る。


「“口調も無理に女っぽくしない。その方が自然な感じになるだろ”?」

「言ってる意味わかんない。ベイできる?」

「出来るかよ。上擦るか裏返るだろ。コンナカンジニ、ホラ」


 ベイの喉からアヒルを潰したような声が出た。イコが爆笑した。


「もちろん練習は要るよ。それに男って分かっても問題ないだろ、連中もまさか俺が女装するなんて予想しない。俺が追う側ならそんな予想立てたくない」

「お前一体どこで女装スキル身につけた?」


 カツラを外して、髪を押さえていたネットやピンをむしり取った。

 そしてベイもイコも見ないまま言った。


「どう考えても黒歴史ってわかるだろ。聞くな」





 






 途中休憩に車を停め、一旦車を降りたベイが指令役と通信する間、すっかり化粧を落とした。

 イコは女装した俺が不思議だったようで、何度も俺の顔を眺めては首を傾げた。


「変だよなあ、女顔じゃないのに……」

「お前の化粧が上手かったのさ。上手だな、誰に習ったんだ?」

「叔母ちゃんは美容師なんだ。あのウィッグもほんとは叔母ちゃんの練習用にプレゼントするつもりだったんだけどね、ごたごたしてて渡せなかった」

「火事の日に買ってたカツラだろ、あれ。かえって助かったよ」

「あ。ねえねえ、そういえばさ。ベイが熱出てたって言ってたけど、あれどうやったの? それともホントに熱ある?」

「ああ、あれ」


 イコが手を伸ばして、拭ったばかりの俺の額に手を当てて首を傾げた。

 俺は少し笑った。


「熱くなれーって思ったら熱くなるだろ」

「……ならねーよ?」

「なるって。こう、全身の熱を上げるっていうか。あと心臓に頼む」

「バカ言ってんじゃねえよ」


 野太い声がした。振り返ると、ちょうどベイが戻ってきたところだった。何だか疲れた顔をしている。


「おうおかえり。どうだ、繋がったか?」

「『よく検問通過できたな』ってよ。治安局に潜り込んでる調査員も掴み切れてなかったらしい」

「褒められたんじゃん。なんで疲れた顔してんの?」


 イコが聞くと、ベイの目が虚ろになった。


「どうやってやり過ごしたかを訊かれた……信じてもらえなかったが」

「ああ……」


 イコは察したとばかりに頷く。傷つくぞ、おい。


「で? 行先をまだ決めてないけど、指示下ったか」

「ああ。ひとまず“ペバリー”って町に向かえってよ」

「ペバリー……えーと?」


 イコがカーナビを起動し検索をかけた。ここから北北西に位置する町で、車で六時間と出た。現在時刻が正午過ぎくらいだから、休憩を挟みながら行くとしても夜に着く計算か。


「うん、夕方には着くね」

「計算間違えてるぞ?」

「ナダの計算能力はあてにならないな。それにこのナビ、到着予想が甘めだから」


 それはイコが滅茶苦茶に飛ばすせいだろ、と思った。ベイもたぶん同じ思いだ。イコはどうやって運転免許試験をクリアしたんだろうか。試験官に賄賂でも送ったんじゃあるまいな。






  ■■■






 白い部屋。影の映らない無機質な空間。そこに佇む俺の体は小さい。

 ああ……これは昔の光景だ。

 

 体がかゆくてたまらない。皮膚がかゆいのではなく、内側の形容しがたいどこかがかゆい。体をよじってもかゆみは治まらず、小さな“おれ”は堪らず部屋の中を大声で喚き散らしながら走り回る。




(──何だ、これは)


 俺はこんな記憶を知らない。いやたしかに俺の記憶なのだが、この光景は今まで俺の中に“記憶”として存在していなかった。

 戸惑う俺を取り残して、記憶の再生は続く。




 “おれ”はやがてその体を壁に打ち付け始めた。床に転げ、体中を掻きむしった。

 父さんや母さんをひたすらに呼ぶ。まだ白化しきっていない部位が残るその皮膚に、細い引っ掻き傷や痣がいくつも走る。

 あの人たちはどこへ行ったのか? これだけ騒いで、何故誰も来ない?

 どうしておれを一人にするんだ。ついさっきまでそこに、同じ部屋に居たではないか。




(そうだよな。誰もいないのは何故だ?)


 流れ込む記憶の感情の狭間で、俺は冷静に考えていた。この施設、俺たちが閉じ込められていた研究施設では、俺たち五人は一つの部屋に収容されていた。

 部屋の四方にはカメラがある。恐らくマイクもあったのだろう、異変を告げたりすればすぐに研究員たちが駆けつけていたから。一定時間が経つと部屋は暗くなり、そしてまたある程度経つと明るくなる──これは今思えば“朝”と“夜”だったのだろう。

 常に誰かに見張られていた状態だったはず。ならば、俺が見ているこの光景はおかしなものだ。どう見ても異変が起きている被検体を放ったらかしにするなど──




 ──と、のたうち回っていた小さなおれがピタリと動きを止めた。

 いつの間にか俺と“おれ”は二つに分かれていた。“おれ”の首がぐるんと回って俺を見た。

 そして手を伸ばして、俺の胸倉を掴んで引き寄せて囁いた。


「これ以上は見せられん。まだ早い」






  ■■■






「──ッ!?」


 バチッと頭の中で火花が弾け、俺は目を開けた。首が、首が苦しい。手で掻きむしるとシートベルトだった。うたた寝して俯いている間に首に食い込んでいたようだった。


「あれ……俺いつから寝てた?」

「昼ごはん食べて出発した後からずっと」


 イコが冷めた声で応えた。外はもう夕暮れだった。


「うなされてたから起こそうとはしたんだよ。でもテコでも起きないからさ」

「……俺の顔が熱持ってるのはそのせいだな」


 頬に手を当てると、ひんやりした手が気持ちよかった。イコは思うさま引っ叩いたらしい。ちょっとくらい手加減してくれてもいいものを。


「もうそろそろ着くよ。さてご乗車中の皆さま、前方に見えますのは目的地ペバリーでございます」


 イコの調子のいいアナウンスの真似が少しおかしくて、笑ってしまった。

 そういえばベイが静かだ。後ろを見ると、腕組みして不機嫌そうな仏頂面があった。車酔いだろう、水を渡すと少し飲んで突き返してきた。午前に酔っていた時よりは幾分顔色がいい。


「慣れるの早いな、さすがだ」

「そういうお前はよく平気だな……」

「どうも。本社から追加情報はあったか?」


 微かにベイは唸った。微妙らしい。


「俺らに直接関係ないってところか?」

「そんな感じだ。盗賊のアジトを突っ切りかけたが、イコがルートを変更したんで問題なくなった」

「……俺が寝てる間に悪いな。寝落ちするつもりはなかったんだけど」

「最近寝不足だったじゃん。ナダはもっと寝て、その目の下の隈消した方がいいよ」


 頭を掻いた。

 今しがた見た夢のことが少し気掛かりだった。内容が内容だけに二人に話せないから、俺一人で整理するほかない。




 俺は計算ができない。初歩的な算数から難しい。記憶力が凄まじく高いのはそれを補助する為ではないか、と医者や専門家は言う。

 俺にとって記憶はすべてであり完全なもので欠けることがない。「忘れる」という感覚をぼんやりとしか理解できない。


 だから、俺が「思い出せない」ことが既に異常だ。

 あの夢は俺の脳が造り出した幻影なんかではなく、れっきとした記憶なのは間違いない。あの夢に付随する感情から感覚に至るまですべてが、現実のものとして俺の体に落とし込まれている。


 俺の知らない記憶がある。

 思い出せない……それが意味するところは?


 『これ以上は見せられん。まだ早い』


 小さい姿をした“おれ”は言った。あれは俺の中に眠る記憶そのものが、わかりやすいように幼い俺の姿を借りたのだろうか。

 ……何だか全体的に、ものすごく非科学的だ。



 だが。


(……思い出せていない記憶の中に、何か重要なものがあるかもな)


 どんなに時間がかかったとしても、俺はいつか故郷へ帰るべきだ。その時に持って帰れる“外”の情報は多い方がいい。特に俺が捕まっていた間の出来事、施設や組織の情報、規模、目的──それらが分かれば、キース族の存続にも大いに役立つだろう。

 他に捕まった人たちでは成し得ない……完全な“記憶媒体”として使える俺だからこそ成し得ることだ。


 悔しいがガヴェルも「出来るだけ情報を手元に」などと同じことを言った。ガヴェルの目的はこれだったのかもしれない。集めた情報を俺に集約し、重要なアイテムを持つイコとセットで手元に置く。ベイは俺たち二人の壁役というだけでなく、位置や動きを把握するための“目”でもあるのだろう。

 今はそれに甘んじるとしよう。情報は俺も必要だ。




 一人で腹を決めた時、ちょうど車がペバリーの町の門を潜った。


 深い藍色の空が、星と雲を抱いた漆黒の闇を連れてくる。

 夜がくる。

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