足と壁、じゃあ俺は②

  + + +






 砂埃を巻き上げながら車が荒野を走る。町を背後にいくらも走らないうちに、治安局員が手信号で停まれの合図を出した。治安局のワゴンが複数台停まっており、ゲートやテント、機材が道を塞いでいる。治安局による検問だ。

 停止させられた車の運転席の窓が開いたかと思うと、砂色の髪の運転手が不機嫌を隠そうともせず舌打ちした。


「何? 急いでんだけど」

「先日あの町で爆発があっただろ。テロの線がまだ残ってるってんでな、厳戒態勢敷いてんだ」

「うわマジかよサイアク……こっちァ急病人がいるんだよ、この先の町医者に見せに行くんだ。持病が悪化したみたいでさ。早くここ通してくんない?」

「早く終わらせてえんなら、ホレ、身分証寄越せ」

「ちぇっ。クソ治安局め、どうせ点数稼ぎだろ」


 乱暴に差し出された学生証を見て、治安局員は疑わし気に性別欄と本人とを見比べた。


「あァ? コイツが女だァ? おいガキ、名前と学校名、学生番号、言ってみろ」

「学生番号11-3809、セラン州立ペバリー理工科学校中等部、飛び級で自動車専攻やってるプリティーでキュートでセクシーなイコちゃんでーす」

「ガキ!」

「うっせバーカ。治安局の入局試験はちゃんとペーパーあんだろ、だったら学生証の文字ぐらい読めるでしょ」


 イコはべっと舌を突き出した。腹立たし気な息を吐いた局員は、次いで後部座席の窓をノックした。


「そんで、後ろの男は? 身分証出せ」

「無戸籍なもんでよ。社員証でいいか? GHC社、人身警備部門所属だ」

「へえ、有色人種カラードの傭兵ねえ……ガラクト人か?」

「検問に関係ねえだろ」

「お前らみてえなのが警備会社だなんてのがね。まあいい、預かるぞ」


 差し出された社員証とベイとを交互に見て、局員は鼻を鳴らした。


「そのケースは武器だな。申請済みか?」

「会社の方で申請してるはずだ。俺が持ってんのはアサルトライフルに遠距離狙撃用のライフル、あとは会社の基本装備一式。この通りだ」


 ベイは持っている装備品一式を広げて見せた。局員の一人が渡された社員証を見ながらどこかに通信を飛ばしている。会社に確認の連絡を取っているようだ。

 治安局員の荒っぽい職務質問は続く。


「で? このガキと任務中か?」

「ガキは護衛対象だ。正確にはこの……のお目付け役」

「姉妹?」


 ベイは一瞬言い淀み、自分の肩にもたれかかっている人物に目線を送った。

 肩口辺りで切りそろえられた金髪が顔に掛かり、浅い呼吸が胸を上下させている。


「急病ってのはコイツだ。だいぶしんどそうでよ、急いでくれ」

「やれやれ面倒だな……おいお嬢さん、具合悪いところスイマセンがね、身元の確認できるもの、を……」


 は、ゆっくりと、身を重たく起こした。


 顔を上げると、サラリと金髪が流れ落ち、長い睫毛の向こうから、薄い青灰色の瞳が僅かに潤んで、治安局員を見上げた。

 上気した頬、熱っぽく気だるい吐息の漏れる薄い桃色の唇が、やや低くかすれた声で覚束なく呟いた。


「ええと……みぶんしょう……?」

「おいおい大丈夫か、熱上がってんじゃねえか?」


 ベイが狼狽える。治安局員がその額に手を当て、異常な体温に驚く。


「熱出てんのか――あつッ!?」

「悪いけど、水を少し貰える? 体が熱くて辛いんだ」

「あ、ああ……」

「ありがと」


 女がふわりと微笑む。局員が手渡したペットボトルに唇がつけられ、喉がこくりと鳴った。その様子をガラの悪い局員たちが間抜け面で見守る。

 喉を潤した女はペットボトルを局員に返し、汗ばむ前髪を掻き上げた。


「先生に診て貰えれば落ち着くと思う。早く楽になりたいんだ、もう行っても?」

「……へぁ?」


 ぼーっと見惚れていた男たちは情けない声を出して我に返った。


「あー、ああ。たしかにこりゃ一刻を争うカンジだな」

「そこの傭兵が社員だってのも確認できた。テロとは無関係だ。行っていいぞ」

「お大事にぃ」


 手のひらを返したように見送る局員たちに別れを告げ、車は再度急発進した……。






  □ □ □






 検問が遠ざかった後も、しばらく車内は無言が続いた。

 俺は堪えきれず咳払いする。声を高くしているのは疲れるのだ。


「もう動いていいか」

「まだ検問が見えるうちはやめとけ。望遠鏡で覗かれたら一発アウトだ」

「ハア……何が悲しくて男に寄りかからなきゃならないんだ……」

「言うな……俺も我慢してんだからよ……」


 先ほどの“女”というのは、お分かりだろう、俺だ。

 化粧をそれらしく施され、カツラを被せられただけで、中身は俺だ。


 ちなみに別に趣味じゃない。誰が何と言おうと、俺が好んでこんなことをやっているわけではないと、ここで主張しておく。


「あの局員ども、落ちたな。間違いねえ」

「可哀そうに。居もしない女に落ちるなんて、まったくご愁傷様だな」

「男だって知らないだけまだマシだ。俺なんか脳がバグったのかと……」

「おいそこの男二人。警戒心足りないよ、おしゃべりはもっと後にしな」


 運転手(女)にたしなめられ、傭兵(男)と女装中の俺(男)は黙った。






 イコが試しに俺に化粧を施して驚かれたあの後、顔面の完成にそう時間はかからなかった。「仕上がったよ」という一言と共に手渡された鏡を除くと、金髪ボブの女が映っていたのだった。瞬きをすれば鏡の中の女もぱちくりと目を瞬かせる。俺なのに俺ではない人間が映っているというのは、とても不思議な感触だ。

 眉と睫毛はカツラと同じ金色に染まっていた。あとで取れるらしい。この髪の色ならば、色素の薄い目の色も馴染んでくれるから、ちょうどよかった。


 顔はもちろんのこと、首にも腕にも色つきクリームが塗りたくられ、半袖のTシャツを着て後部座席に座り、「急病ですぐに隣町に急がなければならない」という口実を作り上げた。隣に座るとベイが凄く嫌そうな顔をしていた。イコは笑いを堪えるので必死だった。

 正直言って、この作戦は穴だらけも良いところの大博打だったが……今回は治安局員がバカで助かった。






「はー、何とか検問突破できてよかったよ。ここまで来れば一安心だね」


 もう一キロほど走ったところで、イコが窓を開けて車内に空気を取り込んだ。


「ちょっと聞きたいんだけど、ナダ、あの声どうやったの? せっかくあんたに極力喋らせないようにと思ってあの作戦にしたのに。別に元の声だってそんなに高いわけでもないじゃん、普通に男の声してるじゃん?」


 俺は体をベイから離し、席をまたいで助手席に座った。ベイは筋肉質だからか、隣に座っていると暑くて暑くて堪らないのだ。もちろん男同士でむさ苦しいのもある。


「別に女の声を作ろうとしてるんじゃないさ。それだとただの裏声になるから。そうじゃなくて、こう、何て言うか……声をワントーンずり上げたところで固定するんだよ。こうやって」


 俺の喉から少し低めのハスキーな女の声が出る。


「『口調も無理に女っぽくしない。その方が自然な感じになるだろ』?」

「言ってる意味が分かんないんだけど。ベイできる? やってみてよ」

「出来るかよ。上擦るか裏返るだろ。コンナカンジ、……ウエッ」


 ベイの喉からはアヒルを潰したような声が出た。イコが爆笑した。


「まあ、もし万一男とバレても問題ないだろ。連中もまさか俺が女装するなんて予想しない。俺が追う側ならそんな予想立てたくない」

「お前一体どこで女装スキル身につけた?」


 カツラを外して、髪を押さえていたネットやピンをむしり取った。

 そしてベイもイコも見ないまま言った。


「どう考えても黒歴史ってわかるだろ。聞くな」






  □ □ □






 途中休憩に車を停め、一旦車を降りたベイが指令役と通信する間にすっかり化粧を落とした。

 イコは女装した俺が不思議でならなかったらしい。何度も俺の顔を眺めては首を傾げた。


「女顔じゃないのに……」

「お前の化粧が上手かったのさ。上手だな、誰に習ったんだ?」

「叔母ちゃんは美容師なんだ。あのウィッグもほんとは叔母ちゃんの練習用にプレゼントするつもりだったんだけどね、ごたごたしてて渡せなかった」

「火事の日に買ってたカツラだろ、あれ。かえって助かったよ」

「あ。ねえねえ、そういえば、ベイが熱出てたって言ってたけど、あれはどうやったの? それともホントに熱あったりして……いやないよな」


 イコが手を伸ばして、拭ったばかりの俺の額に手を当てて首を傾げたので、俺は少し笑って見せた。


「熱くなれーって思ったら熱くなるだろ」

「なりません」

「なるって。こう、全身の熱を上げるっていうか。あと心臓に念じるんだよ。そうしたら体温上がる。寒いときによくやるだろ」

「バカ言ってんじゃねえよ」


 背後からの野太い声に振り返ると、ちょうどベイが戻ってきたところだった。何だか疲れた顔をしている。


「どうだ、繋がったか?」

「『よく検問通過できたな』ってよ。治安局に潜り込んでる調査員も掴み切れてなかったらしい」

「褒められたんじゃん。なんで疲れた顔してんの?」


 イコが聞くと、ベイの目が虚ろになった。


「どうやってやり過ごしたかを訊かれた……信じてもらえなかったが」

「ああ……」


 イコは察したとばかりに頷く。傷つくぞ、おい。


「で? 行先をまだ決めてないけど、指示下ったか」

「ああ。ひとまず“ペバリー”って町に向かえってよ」

「ペバリー……えーと?」


 イコがカーナビを起動し検索をかけた。ここから北北西に位置する町で、車で六時間と出た。現在時刻が正午過ぎくらいだから、休憩を挟みながら行くとしても夜には到着するだろう。


「うん、夕方には着くね」

「計算間違えてるぞ?」

「ナダの計算能力はあてにならないな。それにこのナビ、到着予想が甘めだから」


 それはイコが滅茶苦茶に飛ばすせいだろ、と俺は恐らくベイと同じことを思った。

 イコはどうやって運転免許試験をクリアしたんだろう? 試験官に賄賂でも送ったんじゃあるまいな……。






  ■ ■ ■






 白い部屋。影の映らない無機質な空間。そこに佇む俺の体は小さい。

 ああ……これは昔の光景だ。

 

 体がかゆくてたまらない。皮膚がかゆいのではなく、内側の形容しがたいどこかがかゆい。体をよじってもかゆみは治まらず、小さな“おれ”は堪らず白い壁に向かって大声で喚き散らしている。


(……何だ、これは)


 俺はこんな記憶を知らない。いやたしかに俺の記憶なのだが、この光景は今まで俺の中に記憶として存在していなかった。

 戸惑う俺を取り残して、記憶の再生は続く。


 “おれ”はやがてその体を壁に打ち付け始めた。床に転げ、体中を掻きむしった。

 父さんや母さんをひたすらに呼ぶ。まだ白化しきっていない部位が残るその皮膚に、細い引っ掻き傷や痣がいくつも走る。


 はどこへ行ったのか?

 これだけ騒いで、何故誰も来ない?


(そうだよな。誰もいないのは何故だ?)


 流れ込む記憶の感情の狭間で、俺は冷静に考えていた。この施設――俺たちが閉じ込められていた研究施設では、俺たち五人は一つの部屋に収容されていた。

 部屋の四方にはカメラがある。恐らくマイクもあったのだろう、異変を告げたりすればすぐに研究員たちが駆けつけていたから。

 そんな、常に誰かに見張られていた状態だったはずだというのに、俺が見ているこの光景はおかしなものだ。どう見ても異変が起きている被検体を放ったらかしにするなど――。




 ――と、のたうち回っていた小さなおれがピタリと動きを止めた。

 いつの間にか俺と“おれ”は二つに分かれていた。“おれ”の首がぐるんと回って俺を見た。

 そして手を伸ばして、俺の胸倉を掴んで引き寄せて囁いた。


『これ以上は見せられん。まだ早い』






  □ □ □






「――ッ!?」


 バチッと頭の中で火花が弾け、俺は目を開けた。首が、首が苦しい。手で掻きむしるとシートベルトだった。うたた寝して俯いている間に首に食い込んでいたようだった。


「あれ……俺いつから寝てた?」

「昼ごはん食べて出発した後からずっと」


 イコが冷めた声で応えた。外はもう夕暮れだった。


「うなされてたから起こそうとはしたんだよ。でもテコでも起きないからさ」

「……俺の顔が熱持ってるのはそのせいだな」


 頬に手を当てると、ひんやりした手が気持ちよかった。イコは思うさま引っ叩いたらしい。ちょっとくらい手加減してくれてもいいものを。


「もうそろそろ着くよ。さてご乗車中の皆さま、前方に見えますのは目的地ペバリーでございまーす」


 イコの調子のいいアナウンスの真似が少しおかしくて、笑ってしまった。

 そういえばベイが静かだ。後ろを見ると、腕組みして不機嫌そうな仏頂面があった。車酔いだろうかと水を渡すと、少し飲んで突き返してきた。午前に酔っていた時よりは幾分顔色がいい。


「慣れるの早いな。さすがだ」

「そういうお前はよく平気だな……」

「どうも。追加情報はあったか?」


 微かにベイは唸った。微妙らしい。


「俺らに直接関係ないってところか?」

「そんな感じだ。盗賊のアジトを突っ切りかけたが、イコがルートを変更したんで問題なくなった」

「俺が寝てる間に悪いな。寝落ちするつもりはなかったんだけど」

「最近寝不足だったじゃん。ナダはもっと寝て、その目の下の隈消した方がいいよ」


 頭を掻いた。

 今しがた見た夢のことが少し気掛かりだが、内容が内容だけに二人に話せないから、俺一人で整理するほかない。




 俺は計算ができない。初歩的な算数から難しい。記憶力が凄まじく高いのはそれを補助する為ではないか、と医者や専門家は言う。

 俺にとって記憶はすべてであり完全なもので欠けることがない。“忘れる”という感覚をぼんやりとしか理解できない。


 だから、俺がことが既に異常なのだ。今の今までその異常さを俺は見落としていた、そのことすらも不可解だ。

 あの夢は俺の脳が造り出した幻影なんかではなく、れっきとした記憶なのは間違いない。あの夢に付随する感情から感覚に至るまですべてが、現実のものとして俺の体に落とし込まれている。


 俺の知らない記憶がある。

 思い出せない……それが意味するところは?


 『これ以上は見せられん。まだ早い』


 小さい姿をした“おれ”はそう言った。あれは俺の中に眠る記憶そのものが、わかりやすいように幼い俺の姿を借りたのだろうか。

 ……何だか全体的に、ものすごく非科学的だ。


 だが。


(思い出せていない記憶の中に、何か重要なものがあるのか?)


 どんなに時間がかかったとしても、俺はいつか故郷へ帰るべきだ。その時に持って帰れる外界の情報は多い方がいい。特に俺が捕まっていた間の出来事、施設や組織の情報、規模、目的――それらが分かれば、キース族の存続にも大いに役立つだろう。

 他に捕まった人たちでは成し得ない、完全な“記憶媒体”として使える俺だからこそ成し得ることだ。


 悔しいがガヴェルも「出来るだけ情報を手元に」などと同じことを言った。ガヴェルの目的はこれだったのかもしれない。集めた情報を俺に集約し、重要なアイテムを持つイコとセットで手元に置く。ベイは俺たち二人の“壁”役というだけでなく、位置や動きを把握するための“目”でもあるのだろう。

 今はそれに甘んじるとしよう。情報は俺も必要だ。




 一人で腹を決めた時、ちょうど車がペバリーの町の門を潜った。


 深い藍色の空が、星と雲を抱いた漆黒の闇を連れてくる。

 夜がくる。






  □ □ □

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