俺が言えた言葉じゃない②

 俺のアパートは荒らされていなかった。

 やはりねぐらまでは割れていなかったのか。


 夕日が簡素な部屋を照らし、磨き上げられたフローリングに反射して眩しい。掃除をしておいてよかったと心底思った。大家さんに引き払う旨を連絡すると、怪訝な声でだが了承された。家賃は先一ヵ月分まで払っているし、急な話にも関わらず特に文句も言われなかった。




 クローゼットを開け、登山用の大きなバックパックに荷物を詰め始める。鍋一式と服、それに財布を詰めればあとはいつでも出ていけるようにしてあったから、支度はすぐに終わった。


 残る問題は一つ。

 ガヴェルへの連絡と、冷蔵庫に詰まった作り置きの食べ物たちだ。


(食べ物は後で考えよう……)


 かなり手の込んだ準備をしただけあって、ショックも大きい。置き土産にイコとアリカさんにあげてしまおう。



 通信機の履歴からガヴェルを呼びすと、一、二コールもしないうちに応答した。


「あー……もしもし、俺だけど」

『ああ、やっとつながったか』


 安堵したように老人の声が告げる。


「相談がある。昨晩ゆうべ俺と一緒に逃げてた子と、その家族の保護を頼みたい。俺と深く関わった二人だから、連中に人質にとられることがないようにしてほしいんだ」

『イコという少女だろう? ベルゲニウム研究に携わるザッケス博士の娘の』


 肯定しようとして、言葉を失った。

 俺は一度だって、ガヴェルを相手にイコの名を口に出していない──援護してくれた男からその名が伝わったにせよ、イコの父親が関りあることまでは知らないはずだ。


 そして“ザッケス”──もしかして……。



「……まあいい、何で知ってるかとか聞いてもどうせ答えちゃくれないんだろ? どのみちそれなら話は早い、事情が分かってるなら……」

『保護は出来る。だが如何せん、こちらの人員が足りないんだ。そして彼女が持つ情報データというのは、君たち二人が考える以上にこの件には重要なものでね、扱いは慎重にすべきだ』

「なら俺が、イコからブツを受け取って逃げりゃいいだろ」

『考えてみなさい。ザッケス博士は娘を担保にして研究に加担させられているんだ。仮に情報データの場所が敵に割れたとしても、イコと情報データが一緒になっている限り彼らも迂闊に手は出すまい。少なくとも彼女の安全は確保できる』


 だんだんとガヴェルの言わんとすることが解された。

 腹が立ってきた。そんなことを、イコにさせる訳にはいかない。


「じゃあ俺の身の安全は後回しでいい。俺単独なら、ある程度危ない目に遭っても何とか出来る」

『キースに重要な“鍵”を持って帰ろうとは思わないのか?』

「ふざけんな!」


 テーブルにこぶしを打ちつけた。

 空っぽの部屋に虚しく俺の怒号が響く。


「あの晩みたいに巻き込んでひどい目に遭わせるのは散々だ。故郷の人たちだって、こんな形で重要な情報持って帰ってほしくなんかないはずだ! 何故俺の先祖がこれまで外に助けを求めなかったと思う? どんな苦境に置かれても、ひたすらに人を避けて生きてきたのが何故か分からんのか? 利用されるか、大勢巻き込んで全滅するか、それしか道が見えんからだ!」

『君が何と言おうと、彼女とデータはセットだ。データだけでは機能しない。ザッケス博士は娘にしか解けない暗号をデータに残してあるのだ』

「……わかったぞ」


 怒りが全身を満たし、逆に脳の芯を冷やしていく。


「あんた、最初っからイコを巻き込むつもりだったんだな。ザッケスに暗号を作らせ、イコに託すように仕向けた。そうだな?」

『私は常に平和のために動いている。君を助けたのも平和のためだ。ナダ、君が敵の手に渡れば再び過去のような大規模な戦争が勃発してしまう。それを防ぐためならば、私は喜んで汚れ役を買って出よう』


 ガヴェルの声は冷静だった。

 激昂する俺と対照的に淡々としていた、いやになるくらいに。


 言い返そうと腹に力を籠めた時……怒鳴るちょうどその寸前、玄関から声がした。


「ナダ? どうした、外まで大声聞こえたよ」


 ボロいドアからイコが顔を覗かせた。俺を見て驚いた顔をしている。

 俺が黙ると、ガヴェルが声を落として言った。


『君の気持はよく分かる。君は私を恨んでいい』


 怒りを湛えた腹の力が一瞬押しとどめられ、次の瞬間弱々しい波に変わった。怒気のやり場が無くなってしまって、かわりにどうしようもない虚無感に長く息をついた。



 無力だ、俺は。

 こんな力があったってなんの役にも立ちやしない。

 恨んでいいなどと──そんなことを言われて、俺は一体どうすればいいのか。



「……わかった。どうすればいい」

『当初の予定を変更し、護衛対象はナダとイコの両名だ。君たち二人のこの先の旅路を、私の部下たちが護衛しよう。君たちの傍に腕のいい者を常に置くほか、情報収集やサポートも全力でさせてもらうよ』

「まだイコの了承を得てない。俺から話すぜ」

『その方がよさそうだな。いい返事を期待しているよ』


 通信を切った。何だか無性に走り出したくもあり、脱力して床に崩れたくもある。

 イコが恐る恐る俺に近づいてきた。


「なあどうしたんだよ。ガヴェルのじっちゃん何て?」

「お前も俺と一緒に逃げろって。俺たちのことをガヴェルの兵が護衛するとさ」

「…………どこから突っ込めばいい?」

「俺が聞きてえよ」


 重たいバックパックを置き、床に両足を投げ出して座った。

 イコも向かい側に座った。俺が何も言わないのを見て、目を丸くした。


「あれ……え、何。冗談じゃないの?」

「冗談に聞こえるしそう思いたいけど、冗談じゃねえんだなこれが」

「わたしの耳がおかしいのかな」

「じゃあ俺も耳鼻科に行かねえとな。……本当だよ、あのじいさん、お前の父さんのこともあのメモリスティックのことも知ってるっぽいぜ。あれとお前を切り離したら意味がないみたいなことも言ってた。娘にしか解けない暗号がどうのって」

「いやー、どうかな。全然暗号解けてねんだけど。わたしにしか解けないとか言われても心当たりないし、解ける気もしないし」


 疲れた。考えるのをやめたくなってきた。もう眠りたい。明日になったら何事もなかったように道路工事の仕事があってほしいと心底思う。

 ところがイコはだんだんと顔がにやけてきた。しまいには笑いだす始末だ。


「どうした? びっくりしすぎて頭変になったのか?」

「あっははは、いやいや。まあこれが一番シンプルなんじゃないの? ナダもわたしも安全で、わたしがお父ちゃんとナダの人質になることもなくて、データもわたしの手元に残る。最高じゃん」

「最高なもんか。危ねえって、今みたいに何か月も同じところに留まったりなんかできねえんだぞ。アリカさんも心配する」

「そうかな。叔母ちゃんはいいって言ってくれるよ」


 言いそうだなあ、と少し前の会話を思い出す。あのひとには何とか傍にいてくれと頭まで下げられてしまった。

 認めたくはないがたしかにこの案が一番ベストなのだろうとは思う。今の会話でガヴェルが尽くせる手はすべて尽くしてくれる人物だともわかった。この先敵になるかもしれないが、味方だと心強い。


 ……ガヴェルが敵に回るような事態になる前に、ある程度の問題を解決せねばなるまい。俺は決意を固めた。

 まずは、目の前の友人だ。


「なあイコ」


 足を戻して胡坐になった。

 イコも俺の真似をして真面目な顔を作った。作っているだけで口元がちょっとにやけている。真剣な話なのだから協力してほしかったけど、まあいいや。


「巻き込んだ以上責任は取らなきゃならない。もちろん全力で守るつもりだ。だけど俺といればたぶん……いや絶対、どうしたって傷つけちまうと思う。辛い目に遭うのは避けられんし、旅も過酷だ。それでも──」

「あほかバカ。長ったらしい前置きなんざ、あんたとわたしの間にいらねえんだよ」


 俺が迷いながら言葉を紡ぐのを堂々と遮り、イコはニカッと笑った。


「“俺と一緒に逃げよう”、それでいいんだよ。はいリピート」

「……んな恥ずいセリフ言えるか」

「へえ、恥ずかしいんだ。じゃあ尚更言ってもらわなきゃな。巻き込んだ罰ゲームで」


 声を上げて笑った。笑ううちに治まらなくなって、腹を抱えてまだ笑った。イコも笑い出した。涙が出るほど笑った。


 ──声が出るほど笑ったのは、いつぶりだろう。

 もしかしたら八年ぶりかもしれなかった。


「あはは……あー笑った」

「よし。じゃあ言えるな」

「まだ言うかよ。ほんとに言わなきゃダメか?」

「ダメ。ほら長引かせる方が恥ずくなってくよ、スパッと行けー」



 夕日が金色に染まる。地平との境が紅に染まる。

 東から星を抱いた夜が迫ってくる。

 鳥が巣へ帰る。遊び疲れた子どもたちが家に帰り、炊事の煙が空に上がる。


 もうすぐ、日が暮れる。

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