少年少女の暴露大会①

  □ □ □






 イコが車を停めたという場所に行ってみたが、見当たらなかった。キーはイコの手元にあるのに、どうやって動かしたのだろうか。

 イコは「レッカー移動でもしたんじゃないの」と気力半減顔で言った。てっきり車で軽く休めると思っていたから、体にかかる重力が二倍に感じる。


 するとようやく通信機が着信を知らせた。

 応答すると先の男とは違う。もう少し声が高い……年配の男だ、これは。


『やあ、危ない目に遭わせてしまって申し訳なかった。久しぶりだ、もう七年……いや八年になるのか、ナダ』


 ──突如、思考が覚醒した。

 そして心臓が嫌な音を立て始める。イコが助けを求めてきた時とは違う、もっと本能的な何かが、考えるな、思考を放棄しろと急き立てる。

 何故かはわからない。冷や汗がどっと噴き出て体が熱くなった。




 ……俺はこの声を知っている。

 この声では安心した、そんな覚えがある。

 だが思い出してはいけない。


 今はまだ──。




「あいてッ」


 痛みが爪先を襲って、我に返った。イコが心配そうな顔で俺の足を踏んできていたた。

 そう、こういう奴なのだが、今はとても助かる。


「あー……悪い、ええと、誰だっけ? ほんと……聞き覚えはあるんだ、記憶力だけは確かなんだけど。ちょっと思い出せない……」

『そうか……』


 声の主は残念そうに言ったが、優しくなだめてくれた。


『まあそうだろうな。無理に思い出す必要はない。私はガヴェル、君があの施設から逃げ出すのを手助けした者だ。あの時の君は幼かったからな、記憶が混濁しているのも無理はない』


 嗚呼、と目を閉じた。

 そうか、道理でわけだ。


 そして、少なくとも今のところはこの老人を信用してもいいと思った。“悪い人”ではない、俺にとって敵となる人物ではない、そういう確信があった。


「また助けられたんだな。ありがとう」

『とにかくだ、君はもうこれまで通りの生活を続けるわけにいかなくなった。我々が何とか君の居場所を隠蔽していたのだが、やはり限界があったようでな。君が一八歳を……つまり成人を迎えてしまった時から、連中が追いかけられない理由がなくなったんだ』

「“追いかけられない理由”……? どういうことだ、それに」


 焦る俺を、ガヴェルの声は柔らかに制した。


『順を追ってゆっくり話そう』






 俺たちを助けたのは、ガヴェルが経営する警備会社のチームだったという。


 行為や規模が警備会社の範疇を超えている気がするが、VIPや要人警護、その他民間施設の保安警備が主で実質“傭兵”組織らしい。表立って“傭兵派遣会社”などとは名乗れないし、それでは政府や治安局の認可が下りないため警備会社を装っている──とガヴェルは言った。

 装っている時点で普通にいろいろとアウトだと思う。


 今のところ敵が誰で、俺とイコのどちらを狙ったかはハッキリしないとも言った。恐らく俺だろうということだが、どうやらイコを狙った線も捨てがたいらしい。一石二鳥を企んでいた可能性もある。それとも単にガヴェルが俺たちに隠し事をしているだけかもしれない。


 イコの話はさておき、ガヴェルは俺の置かれている状況を説明した。

 俺はずっと居場所を特定されないように動いていたが、そこにはガヴェルの働きかけがあったらしい。俺の居場所と、ある程度の安全確保はしてくれていたのだ。

 これについてはちょっと俺から物申した。


「俺が荒れ地で餓死しかけたり吹雪で凍りそうになったり、盗賊に襲われて人買いに売られそうになったり、乾燥わかめ大量に食って腹壊した時は何やってたわけ?」

『今君が言ったうちの前半については、気づかれないように人手を送ったよ。現に、通りすがりの人に助けられたろう?』

「……盗賊のくだりは? 俺自力で逃げ出したよな」

『救助に入る前に君が何とかしてしまった』

「わかめは」

「ナダ、それはどんな金持ちでもどうにもできないって」


 ところがつい先日、俺が一八歳を迎えたのを機に、様々な事情が覆されることとなった。

 未成年を追い回すには社会的な問題や制限が発生するが、ならば、例えば治安維持などといったもっともらしい言い訳が立つ。それで手始めに、俺の数あるバイト先の一つであったコンビニに白羽の矢が立ったのだろう──という推測をガヴェルは語った。


 どのようにして俺の居場所を特定したのかは分からない。

 だが、誕生日からそう日を置かずして行動を起こせるだけの権力を持った組織だということは、頭の悪い俺でも理解できる。


『十中八九、君たちを攫って閉じ込めていた組織と同一だろうがね』

れには俺も同意だ。……どうした、イコ」


 イコがぐいぐいと俺の袖を引っ張って、通りの向かい側を指さした。

 こちらに大きく手を振る二人組が見える。


『ああ、合流できたか。その二人は私の部下、お嬢さんの車を安全なところへ移動しておいてもらったのだ。案内してもらうといい』


 まるで見えているかのようにガヴェルが言う。

 礼を言いつつ、背筋が強張ったのを感じた。かなり慎重に相手どらなければ、いつか気が付かないうちに俺が呑まれてしまう。


 夜通し逃げ回った後に冷静に対処するのは難しい、そして考える時間が欲しい。イコとも話さなければならないし。

 思い切って一度時間をもらうことにした。通信機に呼び掛ける。


「悪いが、これ以上は今は堪える。後にしてくれんか」

『そうだな。済まないことをした。追ってまた君に連絡させてもらうよ』


 すぐに通話を切った。

 疲労のせいか悪い予感か、どうも心臓が嫌な音を立てている。二人組に車まで案内されて別れた後、助手席のシートの上でどっと汗が噴き出した。




 目の前が白くチラチラ光る。

 光のヴェールの向こうで繰り広げられるその景色は白昼夢のようで、現実味がない。ただ、体中を迸る何かがひたすらにおれを突き動かす、その感覚が恐ろしいような爽快感を──

 ──森の中──母の独特な匂い──足の裏に伝わる床の冷たさ──




「ナダ!」


 額に何かがぶつかって現実に引き戻された。急ブレーキで体が前につんのめり、ダッシュボードに頭を思い切り打った、その痛みだと数拍遅れてわかった。うたた寝していたのか、シートベルト着け忘れたぜチクショウ!


「あー……悪い、寝てた……」

「起こせばよかった。まあいいや、とにかくアレ見て」


 車はまだあのビジネス街を抜けていなかった。俺が寝ていたのは本当に一瞬のことだったらしい。


「ほらあそこ。……ナダのじゃね?」


 イコが指さす窓の外を見て、俺は頭を抱えて絶叫した。


「ああッ……! 俺の……ッ! 俺の自転車がァーーー!!!」






  □ □ □






 町の東のはずれに向かって、イコは車を走らせていた。いつもの百倍安全運転だ。よく運転できるものだ、先の逃走で俺以上に体力も気力もすり減らしただろうに、と言うと視線で刺された。

 イコとしては、精神的ダメージは俺の方が多い上、能力も使っているから動けなくなっていてもおかしくない、と思っているらしかった。


「まず口調がおかしくなってたよ。じじいかよ」

「マジ? どんな感じだった?」

「『後にしてくれんか』って」

「あー……」


 ばつが悪い心地になって頭を掻いた。

 せっかく何年もかけて口調を寄りにしたのに、気を張り詰めていると妙なスイッチが入ってしまうようだ。気をつけねば。


 正直体はあまり疲れてはいない。能力で体力を削るには、昨夜使った分では到底及ばない。裏を返せばそれだけ大きな力だということであり、使う時には細心の注意を払わねばならない──少なくともそう教えられた。

 では俺が一体何に止めを刺されたのかというと、かつての姿は見る影もなく歪められた、俺の長年のよき友マウンテンバイクである。


「孤児院でさあ。少しずつだけど、毎月お小遣いをもらうんだ。初めて俺がもらった金だったんだよ。それをずっと貯めて、初めて自分で買ったのがこいつだった……休みの日はいつも磨いて、なけなしの給金でパーツもグレードアップさせて、山でも荒れ野でも雪原でも、ずっとこいつと一緒に旅して回った」


 後部座席を振り返る。

 すっかり生気を失った、俺の愛車。俺の逃走手段を封じようとでもしたのか、何度も車で踏みつけたような跡が残されていた。


「それをあいつらこんなにしやがって……許さん……とんだ殺人者どもめ……」

「ナダの身代わりになってくれたんだよ。自転車はナダを恨んじゃいないさ」


 後で廃棄処理場へ運んでくれるという。生まれ変わったらまた大事にしてもらえるといいな、とサドルを撫でた。






 イコは車を路肩に停めた。路駐してある車が何台もある道だった。

 二人で車を降り、朝日の照らす住宅街を黙々とイコについて歩いた。初めて来る場所だが、向かう先がどこなのかは何となく見当がついている。


「ここがわたしン家」


 細長い平家のような一軒家がひたすら並ぶ中、イコがある場所で足を止めた。同じく細長い、細かいレンガでできた外壁の家だ。

 玄関の郵便ポストはチラシや手紙でぎっしり埋まってはみ出している。俺はイコが心配になった。何か言いたげなのを察したのか、イコは首を振った。


「そんな顔することないよ。わたしも叔母ちゃんも、あんまりこの家に帰ってきてないってだけの話」

「余計に心配なんだけど、それ」

「まあまあ。今日は叔母ちゃん帰ってくる日なんだよ、ゼロのつく日だから」


 意味が分からない。

 イコは妙な小節で呼びかけながらドンドン戸を叩いた。


「アーリカ叔母ちゃーん! たァだいまー!」


 暫し沈黙が続いた。ピチチ、と鳥が鳴いて、一時のどかな空気をもたらした。

 誰もいないんじゃないのかと口にしかけたその時、ドアが薄っすら開けられた。


「……ああ、イコ。早かったね」


 イコとそっくりな薄茶色をした瞳がひとつ、ドアの暗い隙間から覗いた。……怖い。


「その男ァ誰だい」

「カレシ」

「はい?」


 俺の喉から変な声が出た。と、ぎょろりと覗く瞳と俺の目が合った。


「なるほどね。二人とも入んなさい」

「朝早く起こしてごめんね叔母ちゃん。アリガト」

「いや、ちょっと……」


 何がなるほどなのかサッパリわからん。俺が戸惑っていると、突然ドアが大きく開け放たれ、体が暗闇に引きずり込まれた。イコと“叔母さん”が俺の腕を引っ張ったのだ。後ろでドアが閉まると、闇はますます深くなった。

 俺の右腕をがっしり掴んだまま、“叔母さん”が奥を指さした。


「まずイコはシャワー浴びといで。女の子は体冷やしちゃダメよ。君は悪いけどその後ね、風呂場が空くまで手ェ貸しとくれ。レディーファーストよ」


 イコは間延びした返事を残して、薄暗い廊下の奥に消えていってしまった。

 俺は引きずられるまま、廊下を進んですぐ左手の部屋に連れ込まれた。キッチンだ。


「実は私もついさっき着いたばかりでね。朝ごはんもこれからなのよ。食材は買ってあるから、二人でパパッと作っちゃおう。君も食べていきなさい」

「は……い、じゃなくて。あの、俺あんまりぐずぐずしてられないというか……シャワーも有難いんスけど、ええと」


 叔母さんは俺がしどろもどろに説明する間も手を止めなかった。

 四人掛けのダイニングテーブルにはスーパーの紙袋が三つほどあって、買った物を袋から出してはテーブルに並べていった。


 バゲットに角食にジャムにマーガリン、ブロックベーコンに卵、レタスひと玉、トマト三つ、玉ねぎ、マッシュルーム、シメジ、シイタケ……


(似てるなあ)


「聞いてるよ。料理上手いんだって?」

「えっ……あ、ええ、まあそれなりに」


 ガヴェルとはまた違う緊張感を覚える。この人が一体どんな人間なのかを図り損ねているせいだ。

 バレッタ一つでまとめられた髪はイコより色の濃いくすんだブロンドで、猫毛だ。顔立ちはイコよりも女性的だが、時々飛んでくる目線はイコと同じくどこか鋭い。


「じゃあ朝ごはんづくりは任せた。サンドイッチとソテーにしよう。それからちょっと家具を動かすのを手伝ってほしい」

「了解しました」


 きのこソテーは何日か前にも作ったメニューだな、と考えながらキッチンに立つ。警戒心を覚えるほどに綺麗な台所で、ほどなくして新品みたいなフライパンにソテーが、大皿にはバゲットサンドが出来上がった。


「じゃこっち。この部屋ね。箪笥をね、ここから退かしてちょうだい」

「はい」


 いいように使われている気がするが、男手が必要だったんだろうと思うことにした。箪笥はかなりしっかりした木材が使われている、イコと叔母さんで動かすには少し重そうだ。


「細っこいのに力持ちね」

「どうも、力仕事ばっかりやってるんで……それより何だ、これ」


 箪笥があった場所の後ろの壁は大きな穴が開いていた。斧か何かでたたき割ったような跡で、淵を手で掴むとポロポロと白っぽい粉が付く。

 穴の中には小さな小物箱のようなものがあった。ちょうど、幼い子供がおもちゃの宝物を入れておくような、安っぽくもかわいらしい入れ物だ。


「あ、やってもらったんだ。サンキュ、ナダ」


 風呂上がりのイコが現れた。戸惑いで俺は上手く言葉が出なかったが、イコは満足げに頷いて、退かした箪笥に手を置いた。


「やっぱ連れてきてよかったでしょ、アリカ叔母ちゃん」

「朝ごはんも作ってくれたよ」

「マジ、やった。ごはん何」

「サンドイッチとキノコソテー」

「最高かよ」


 やっぱり俺は置いてけぼりのまま、家族的な会話が弾む。

 このまま立っていても何も教えてくれなさそうなので、イコがさっき入っていったシャワー室へ向かうことにした。






  □ □ □






 俺がシャワーから上がると、更にトーストが何枚か焼き上がっていた。三人で食卓に着き、手始めにバゲットサンドにかじりつく。疲れた体に野菜が嬉しかった。


「さて若人諸君。食事中だが、大事な話をしよう」


 俺とイコがパンを頬張ったまま頷くのを見て、イコの叔母さんはカフェオレを一口すすって指を組んだ。


「そこのカレシくん、イコから君のことは聞いてるけど、会うのは初めてね。私はアリカ、妹のクララはこの子の母親なんだ。姪っ子が世話になってるね」

「どうも、ナダといいます。俺の方こそ世話ンなりっぱなしで……あとカレシになった覚えはないんだけど、俺たちそういう仲だっけ?」


 ずっと言いたかったことを付け加えると、アリカさんはクスクスと悪戯っぽく笑った。


「“カレシ”というのは私とイコの間でのコードネームみたいなもんでさ。まあその辺も含めて、この子の家族の話をしようと思う。かわいい姪っ子がまだ話してないところを見ると、どうもこの子の口から語らせるには重いみたいだし」


 イコをチラリと見る。口いっぱいにジャムパンを詰め込むので忙しそうだが、それともそう見えるだけで、もしかすると家族のアリカさんには違う風に見えているのかもしれない。


 アリカさんに視線を戻す。

 もう一度マグカップの中身をすすった後、彼女はゆっくりと語り出した。




 長い話が始まった。






  □ □ □

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