眠れぬ夜をお前らと③

  □ □ □






『ストーカーに後をつけられて、撒いたと思ったら人数が増えて囲まれた』。


 通信を折り返すと、イコはそう言った。

 昨日の昼頃には既に怪しい人影がちらついていたらしい。何とかこれまでやり過ごしたが、夕飯のために店に入った隙に車が取り囲まれてしまい、そのまま徒歩で逃げ続けている──というのが、これまでの経緯。

 簡素なビジネス街に逃げ込むと、どこからか銃撃を受け、動くに動けなくなってしまったという。


(銃撃。また銃)


 俺はともかくとして、イコは一般市民だ。

 人質にとるにはあまりに強硬すぎやしないか?


(卑怯な手使いやがる)






 出せる限りの速度を出して、アパートとは反対方向に向かってマウンテンバイクを走らせていた。向かうはこの町の北東部。少し高台になっている土地で、コンビニとはちょうど真反対に位置する。


 普段なら一時間はかかる。でも今は、一時間もかければイコはどうなるか。


 歯ぎしりすると脳に直接軋んだ音が響いた。

 昨日の夜、通信を飛ばしてきた時のイコは様子が変だった。問い質すべきだった。あの時既にイコは追われていて、言外に俺に助けを求めていたのかもしれなかったのに。


 結局俺は自分のことしか考えていない。

 わずかな違和感を逃さずにいれば、俺が自分のことで一杯にさえなっていなければ。


「くそ……くそ、くそっ……!」


 のろのろ走るママチャリを追い抜かした。

 雨と汗で前髪が額に張り付いた。髪を隠すために被っていたキャップはいつの間にか飛んで行ってしまった。焦りと自分への怒りで呼吸が荒かった。上り坂に差し掛かると、肺が破けるんじゃないかと思うくらい喉が痛くなった。

 それだけペダルを踏んでいるのに、自転車の進みが遅く感じてもどかしい。




 俺なんかどうなったっていい。

 いっそ死んじまえ、くたばっちまえばいいんだ。


 どうして俺はこの町に留まったんだ?

 町の外で待ち伏せされたって返り討ちにもできただろう。捕まったとしても能力なり体術なり使って逃げ出せるだろう。

 そもそもこの町には長く居過ぎたんだ。普通なら三、四か月で出ていくところを、俺は何か月居た? ──半年、いやそれ以上、だって俺はクリスマスのバイトをこの町でしている。


 何でそんなに長く居たんだ。俺はどうしちまったんだ。見つからないようにとコロコロ居場所を変えたんじゃなかったか。

 育ての親や世話になった人を巻き込まないように。

 親しい人を盾にとられないように。



 ずっと一人で。



(一人が耐えられなくなったから、イコと友だちになったんじゃないのか)


 俺の中で冷静な声が囁く。

 一人で生きていくなんてできる訳がなかったんだ、と。




 ……そうだよ、寂しかったんだよ、俺は。

 俺と同じ年頃の子はほとんどが学校に通って、親元にいて、友だちも親戚も祖父母もいる。


 彼らが面倒だと言いながらも授業に出る時、俺は早朝までのバイトを終えて、ホテルのシーツ交換の仕事をしに向かう。

 彼らが昼飯を食う頃、俺はをひたすら梱包してはトラックに詰める。

 彼らが遊んで夜帰って、家で温かい飯を食って寝る時には、俺は道路工事で泥まみれのまま、冷え切って堅くなった消費期限切れの弁当を食う。


 そんな生活、嫌気がささないはずがなかった。


 身を隠しながらの生活は、心がサンドペーパーで少しずつ削り取られていくようだ。それが嫌で人足の遠い森や山で過ごせば、今度は気が狂いそうな程膨大な時間が俺に襲い掛かる。

 人が怖い、どこに敵の目があるか分からない。

 人恋しい、誰かと話さないだけでこんなにも心細い。




 ──だから何だ。俺はそう生きるべきだった。


 分かっていたはずだ。俺と関わった人が、下手をすれば人質にされてもおかしくないのだと。

 巻き込むと知りながら流されるように関係を続けて、挙句予定の二倍は滞在を伸ばしてしまった。いつか深く傷つけるだろうことは自明だったのに、俺はそれに目を瞑って自分の寂しさを優先させてしまった。


 もう終わりにしよう。イコと縁を切って町を出る。

 その後はまたどこか森か山かにでも潜伏しよう。あれだけ働いたのだし、金はいくらか貯まっている。




 あとは俺の心を殺してしまえば、こんな愚かな間違いを犯さなくて済む──。






  □ □ □






 夜の闇はコンクリートのビル群をより深くモノクロに仕立てていた。人がいないのに不気味な気配が辺りを支配している。雨がアスファルトを叩く音は幾らか落ち着いてきているが、視界は相変わらず悪いままだ。

 ここから先は自分の足で行く方が早そうだ。自転車を適当な電柱に立て掛けて、影のように突っ立つビルの間を縫って走った。


 イコがいるという細い路地に入ると、猫のように輝く双眸と目が合った。


「わお、お早いお着きで。……なんちゅー顔してんのさ、酷い顔だよ」


 イコは笑っていた。いつも通りの笑い方だった。

 そして俺に手招きした。


「早くしないと、そこだから危ないよ」

「ポイント……?」


 イコの隣にしゃがむと、破裂音と共に数秒前まで俺の立っていた場所にひと際大きい水しぶきが上がった。


「ね?」

「ね、って……今のってまさか」

「気持ち悪いんだよね、何かさ。きっかり五分おきにまったく同じところを狙って撃ってくるの、ああやって」


 あれでナダが来るまでの時間を数えてたよ、と指さすイコ。まだあと三十分はかかるだろうと予想していたという。

 イコはどんな気持ちだったろう。人を巻き込むことがこんなにも心痛いとは思わなかった。


「……ごめん」

「何でナダが謝るのさ」

「俺が巻き込んだようなもんだろ。さっき俺もバイト先で襲われたばっかりで……あれ、言ってなかったなそういや」

「早く言え、聞いてないよそんな話!」


 そう言われても、もう一杯いっぱいだったんだから仕方ないだろ。


「悪かったよ、もう巻き込まないから。あいつらは俺が引きつけて何とかするから、その隙に逃げ──ぐふっ!?」


 腹にイコの拳がめり込んだ。さっき蹴られたのと同じところで余計に痛む。

 非難を籠めてイコを睨んだ……が、逆に俺の方が気圧された。

 イコは静かに激しい怒りを目に湛えていた。


「次そんなこと言ってみな。ナダが捕まる前にわたしが殺してやる」


 ……動けなかった。

 こんなに怒りを露わにする人を、俺は今まで見たことがなかった。イコは苛立つように息を吐いて、俺の胸倉を掴んだ。


「あのさあ。わたしが何のために呼んだとでも? ナダを囮にするためにって? そう思ったならあんた大バカ者だ。今更、この期に及んで、巻き込まれただのなんだのってほざくかよバカ」

「じゃあ何で呼んだんだよ? 俺の厄介ごとはある程度知ってるだろ。十中八九俺が巻き込んだようなもんだろ!」

「一番心細い時に! 頭に浮かんだのが! 誰かさんの顔だったんだよこのボケ! こんなこと言わせんなよ、こちとら十代そこそこの女の子なんだよ!」


 言いあってから二人してお互いの口を押えた。

 声が大きくなっていた。見つかってもこれでは自業自得だ。


「……ごめん。もう言わない」

「分かればよろしい。ねえ、コレを無事に切り抜けたらさ、お互い暴露大会しようか」

「俺もう暴露することなんてないんだけど」

「はい嘘ー」


 目を逸らしたのを、イコは見逃さなかった。また腹を肘で小突かれる。痛いってば、もう。


「あれだけじゃわたしが暴露する内容に釣り合わないんだよ」

「どういう意味だ?」

「わたしにもこうやって狙われる理由があったってこと。あんね、わたしはねナダ。いつかあんたを巻き込むって分かってて、その上でナダとダチやってたんだよ。オーケーわかる? 要はお互いサマなのさ、この状況は」


 なぜかイコはふんぞり返った。偉そうにする場面だろうか。

 でも何だかちょっとおかしくなって、俺は少し笑った。胸の内で疼いていたものがスッキリ晴れたような心地だった。


「じゃ、何とか逃げるか。視界も悪いし、この天気だし、風とか水くらい使えると思うぜ」

「どうする? 車奪還する? それともどこか安全な場所まで逃げ切る?」

「安全な場所ってどこだよ。交番は……正直宛にならねえな、場合によっては治安局も敵かもしれないし。人通りの多そうなところって言ったら、この時間帯だと繁華街くらいか?」

「うーん……反対側だね。この町の」


 逃げ切るというのがどうも現実味を帯びない。

 そもそも俺たちは敵の人数や構成すら把握できていないのだ。


 どこかからずっと見張られているのだろうか。というか、今敵が狙っているのは果たして俺なんだろうか? イコも実は狙われるがあると言うし、俺への襲撃とイコへの襲撃はまったく別々のものなのか?


 逃げるとして、どこへ。

 俺たちは何を以って「逃げおおせた」といえばいいのか。

 ゴールがまったく見えない──。


 と、不意にイコが俺のわき腹を突いてきた。


「……ナダ。ナダの通信機じゃない?」

「ん? 何が」

「鳴ってるよ。振動バイブの音が聞こえる」


 ポケットを探ると、たしかに俺の通信機が着信を知らせていた。

 パカリと開く。眉を寄せる。


「……非通知だ」

「出てみたら」

「やだよ、怪しすぎだろこのタイミング」

「だからこそだよ。敵なら要求を言って来るかもしれないだろ、それでわたしとナダどっちが狙いかハッキリするじゃん。ただの迷惑だったらそれはそれ」


 なるほど、そういう考え方もあるのか。

 恐るおそる応答ボタンを押す。耳に当てずにスピーカーホンにする。


「…………もしもし?」

『あまり時間がねえ、わりいが細かい説明は省かせてもらうぞ。お前ら二人、俺らが逃がしてやる』


 通信機が告げたのは、低く野太い男の声だった。






  □ □ □

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