眠れぬ夜をお前らと②

「ナダくん、点検一通り終わったらもう一回掃除頼めるかい?」


 点検のバインダーから目を上げると、隣に禿げ上がった小太りのおじさんが立っていて俺を見上げていた。このPマートの店長だ。


「もちろん。雨酷いですね、昨日こんなんじゃなかったのに」

「今日の昼からずっと土砂降りだよ。客足は遠のくし、お客さんが来たら来たで床汚れるし、勘弁してほしいよもう」


 店長はこう言うが、利益を重視している人ではないので、本音ではなく愚痴のようなものだ。

 じゃあ何故コンビニ経営なんかしているのかと前に聞くと、


「定年してヒマだから」


 とのことだった。たぶん嘘だ。


 何しろこのコンビニは、出来た当時は町で唯一のコンビニだったというし、今現在でも店長は「定年してから十数年」という年じゃない。今でこそコンビニの店舗数が増え、以前より客が減ってはいるが、店長の人柄と信頼のおかげでいちコンビニでは考えられない数の常連が定着している。


 ここで長年働いている人は口を揃えて「店長はコンビニをこの町へ誘致することで、より便利に暮らせるようにしたかった」と言う。だからヒマなんていう理由は大嘘で、本当の意味で優しい人なのだ。


 もしこの人を陥れるような奴がいたら──そいつはきっと大勢の人を敵に回すことになるだろう。






 点検用のバインダーを事務所に戻して、壁に立て掛けてあるモップを手に取った。

 雨の日は乾いているモップがすぐに足りなくなるから、多少汚れていてもそのまま使い回すことが多い。大量の雨水と土砂にまみれたモップはモップにあるまじき重さになっているが、これでもあと一、二回は使えるだろう。衛生的じゃないって? そんなこと言ってられるか、クレームのしわ寄せは全部現場にくるんだぜ。



 床にこびりついた泥汚れをしつこく擦る。

 こんな日でも道路工事はあって、深夜に弁当を買いに来る工事関係者も多い。よく日雇いで働く俺もそうだが、土方ドカタの人間は全身泥まみれになる。奴らが来ると売り上げは伸びるが掃除が大変だ。


 そんな愚痴を心の中でぼやいていると、ドアベルが鳴った。

 反射的に振り向き客を確認する。肩のがっしりした男性客だった。可哀そうに、この大雨で傘も差さずにずぶぬれだ。

 というかここへは傘を買いに来たのだろうが、また床掃除をやり直しだ、と内心げんなりする。


「客の足元を掃除するのはマナー違反」との先輩の言葉通り、場所を移動して菓子コーナー辺りの掃除をすることにした。

 こちらはあまり汚れていないが、客がレジに向かうとすぐに分かるポジションなのだ。


「あ、ナダくーん、ちょっと来てくれるー?」


 と、店長が事務室から顔を出して手招きした。

 事務室はコーヒーの香りが満ちている。店長がマシンで淹れたものだ。俺もたまに飲むが、店長は常に飲んでいる。

 その店長は今しがたプリントしたばかりらしき納品書を俺に見せてきた。


「この商品、さっきちゃんと入ってきたか確認してほしくって」

「ああ」


 店長が指さしたリストの項目を見て頷いた。


「ちゃんと個数分入ってましたよ。これ特別納品の、でしたっけ」

「そうそう。よく覚えてるねえ。さすがだ、一家に一人ほしいね君みたいな子」


 ちょっと笑ってしまった。




 俺は昔から計算が苦手な代わりに、異常な記憶力があった。

 見聞きしたことはすぐに覚えられるし、分厚い本も一言一句違わず暗記できる。例えば「何ページの何行目」と言われても空で言うことができるのだ。


 だが、この体質のせいでクビになった仕事も中にはあった。外に漏らしたくない情報を万一見られたら……という懸念もあったのだろうけど、俺は今でもけっこう根に持っている。

 この店長はむしろ重宝してくれるので、とても有難い。




 店長と話を終えて店に戻ると、ずぶ濡れの客は売り場をうろうろしていた。

 深夜にやってくる客は変な人が多い。が、俺は妙な違和感を覚えていた。


 雨は昼間から降っている。

 別に今突然降られたわけでもないのに、どうして今さら、そしてわざわざ深夜に傘を買いに来るのか。


 そしてレジ側からそれとない観察を続けると、どうも挙動が変だ。

 どこからどう見ても商品を探す動きじゃない。さっきから監視カメラと手元の通信機を交互に見、しきりに店内の様子を窺っている。


 服装も時季に合っていない。いつも肌を隠す格好の俺が言えたことではないが、だんだん暑さを増しているこの六月に上下とも長い服に身を包むのは不自然だ。

 不自然ついでに夜なのにサングラスをかけているし、身につけているジャケットはやたらポケットが多い。


(天気が悪いのをいいことに万引きか?)


 ならば声を掛けねば。万引きは店の大損、ひいては店長に大迷惑だ。

 念のため首元の防犯ベルを確認し、カラーボールを制服の上着に忍ばせ、更に雨水滴る重たいモップを手にした。腰のベルトには掃除用の毛ばたきが挟まっている。武器や防具にはならないだろうけど、ないよりはいい。



「あのー、すいませんお客さん。どこか具合悪いですか」


 正面に回り込み、声を掛けた。

 と、俯いていた男がパッと顔を上げた。


 ──目が合った。

 きっと一瞬だったろう。その一秒にも満たない時間が、俺には長く感じられた。

 脳みその隅っこの方が“ヤバい”と警告した。


「……標的を確認。作戦開始」


 男からその言葉が発せられた、と同時にふっと視界が暗くなった。

 慌てて目を慣らそうと片目を閉じたが、よく見ると完全には暗くなっていない。店外の街灯が微かに照らしてくれている。


(停電……じゃねえな、まずいぞこれは)


 咄嗟に横の陳列棚の隙間に飛び込んだ。それに遅れて「パシュン」という間抜けた変な音がした。

 派手にガラスが割れる音と、奥の方から店長の悲鳴。

 慌てたせいで俺の体と陳列棚が掠り、箱菓子がいくつか床に転がり落ちた。


「ナダくん、ナダくん! 無事かい!?」


 ……こんな時にまで、何という人だろうか。

 などと思う余裕はあまりなかった。物陰に隠れて荒い息を殺す。


 あの「パシュン」という音は何だろう。

 間抜けた音の後にガラスが割れた。そういえば消音処理のされた銃は変な音がすると聞いたことがある……もしかして相手は銃持ちか?


 ──銃というと、先日の爆発現場でのことが思い出された。こいつと同一人物か仲間かもしれない。


(いや、まずはこの場を切り抜けねえと……)


 とはいっても俺の得物は掃除用具くらいしかない。強いて武器になりそうなものといえば、くそ重いモップくらいだ。

 対する相手は銃を持っている。他にも装備があるかもしれない。更にいうと、誰かと通信している様子もあるから単独犯ではなさそうだ。


 銃にモップで立ち向かうって?

 どう考えても俺が不利。


 けど、やるしかない。店を巻き込んだ俺の責任は自分でとらなきゃならない。

 事務所にいるはずの店長を目に浮かべ、モップの柄をギュッと握りしめた。






  □□□






 数分ほど、気配を忍ばせつつ観察した。

 敵はゆっくりと、俺の居所を確かめるように移動している。まだ応援は呼んでいない。奴は俺が丸腰だと舐めているだろう、そのうちがチャンスだ。


 俺は靴を脱いだ。掃除途中の床は大いに濡れていて滑りやすいが、裸足なら幾らか動きやすくなるし、うまくいけば濡れた床を利用して奴を転ばせられる。

 幸い暗くしてくれたおかげで能力を使っても誤魔化せそうだ。炎や風はダメでも水くらいなら使っても問題ないだろう。




 気配を殺して背後に忍び寄る。


 モップを打突態勢に構える。


 ……ヒュ、と短く息を吐いて、勢いよく前に突き出した。


「が……ッ!?」


 仰け反り、前に倒れ……はしなかった。

 寸でのところで踏みとどまり、俺は舌打ちする。男が振り向きざまに銃を構える──

 すかさずモップを床に滑らせ、足を攻撃した。まるで乾いてしまった頑固な泥汚れをこすり取るように。

 男は転んだ。膝をついた。その拍子に銃が手から離れた。


「そりゃっ」


 カーリングさながらに銃を突くと、持ち主を離れた鉄の塊は店の奥に滑って行った。

 と思ったら、今度は俺が吹っ飛ばされた。腹に食い込んだ足が残像に見えた。冷凍パスタが並ぶ冷凍庫のガラス戸に背中が打ちつけられ、束の間息の吐き方を忘れる。


(そりゃあなあ、体術もできるよなあ)


 詰まった息は咳き込んで吐き出した。血の味もしないし、受け身を取れただけまだマシだった、腹は痛むがすぐに立ち上がることができた。

 が、俺の態勢が崩れた隙に銃に向かう敵の背中が見えた。

 また銃をとられては敵わない。陳列棚にある商品を背中に向かってめちゃくちゃに投げつけた。


 パン。

 弁当。

 コショウ瓶。

 パスタの乾麺一キロ。届かない。

 ペットボトル。少し効いた。よろめいた隙に手に取ったのはフルーツの缶詰。


「あっ」


 しまった、と思ったがもう遅い。

 力の限り投げつけられた缶詰は、まさに銃を拾おうと屈んでいた男の後頭部に鈍い音を立ててクリーンヒットした。


 クラリ、と力なく崩れ落ちる男の身体。

 遅れてコロコロと、無傷のフルーツ缶が転がる。


(……やっちまった)


 ピクリともしない男を見て、俺の口内に苦いものがせり上がってくる。

 だが悪いが、倒した男を気にする余裕は俺にはなかった。外から気配が複数する。

 案の定、息つく間もなくドアが開いて、武装した男が三人突入してきた。


(くそっ、とにかく動く、それしかねえ!)


 銃口がこちらを向くや否や、モップを支えにして宙にジャンプした。



 ──眼下で銃が火を噴くのが、

 何発も弾幕が撃ち出されるのが、

 スローモーションに見えた。



 刹那、俺の素足が天井を蹴り、体を思い切り捻ってモップを叩きつけた。

 男の一人を足蹴に着地、と同時に横なぎに払い、更に柄で胸元を突く。

 背後にいる最後の一人は肘鉄を食らわせ、腹に一発蹴りを入れた。


 全員倒れたところで俺は更に柄を構え直した。

 店長に迷惑をかけた罰だ、と半分八つ当たりを籠めてそれぞれの顔面にモップをお見舞いした。


「強盗が」

「ぐえっ」

「一回入るだけで」

「うぶっ」

「店に、どれだけの」

「ぐ……おえっ」

「損失が! 出ると! 思ってんだ、この、迷惑野郎どもが、くたばれ、くそ、くそ……ッ、くそッ!」

「ナダくん……ナダくん! もう気絶、気絶してるから! その辺にしよう、ね?」


 どれくらいモップを顔に叩きつけていたのか、気がつくと店長が必死に俺を止めようとしていた。

 ペンライトで照らされた床を見やると、転がった男たちは沈黙していた。茫然とする俺の代わりに店長が脈をとってくれる。

 青白い街灯が頼りの暗がりの中、店長はホッと息をついて立ち上がった。


「……まあ、これくらいでは死なないよね。この人たち強そうだし。そのモップが汚いからだと思うよ」

「あ……ああ、そう……っスね……」

「とにかく、一旦全員拘束しよう。銃も遠ざけて。裏からガムテープ持ってきたから、これでぐるぐる巻きにしようか。……ナダくん?」

「は……い、すいません、すぐやります」


 力なくモップを掴む手を緩めると、柄が強盗の頭に倒れた。






 二人で協力して、伸びている男たちを背中合わせにして拘束した。

 銃は触るのも怖かったが、とりあえずバケツの水(掃除後の汚れた水)をかけておいた。


 作業をしていると、俺もだんだん冷静になってきた。そして、もうダメだ、と腹を括った。

 一通りの作業が終わった頃、店長に頭を下げた。


「ナ……ナダくん、どうしたんだい」

「店長、すいません。ごめんなさい。俺のせいです」

「何が……ああ、これのこと? 全然、むしろ返り討ちにするなんてすごいじゃないか! お礼を言わなきゃいけないのはこっちだよ」

「違うんです。コイツらは強盗じゃないんです。狙いは俺だったんです……ほんとはもうこの町を出て行かなきゃならなかったのに、いろいろ理由をつけて留まったんだ。さっさと逃げてりゃ、誰にも迷惑かけずに済んだのに」


 顔を上げられない。

 迷惑をかけたばかりか、これから俺は後始末を丸投げして一人逃げようとしているのだ。この人に、身元不明の若造に良くしてくれた人に、一体どんな顔を向けられようか。


 唇を噛みしめた時だった。

 ぽん、と肩に温かい手が乗せられた。


「いいからいいから、ほら顔を上げなさい。酷い顔じゃないか。君が狙いだって、一体どういうことだい」


 何も言えない。言ってはいけない、と呪いの言葉が俺を支配する。


「そんなに言えないことなのかい? 君は一八とはいえまだ子どもで、僕はこれでもいい歳の大人だ。それなりにできることもあると思うよ」


 首を振った。

 大人に何とかできる問題だったら、俺は今こんな生活をしていない。身元も確かにできたろう、歴とした職業に就いていただろう、それか何のしがらみもなく故郷に帰れただろう。


「うーん。こういうの得意じゃないけど、どうだろうか。僕はこの町じゃあ少しばかりがきくから、君を守ってあげられるかもしれないよ」


 また首を振る。店長はいよいよ眉尻を下げて困った顔になった。


「公の機関には頼ったのかい? 治安局はたしかに心もとないけど、身寄りのない子どもを保護する団体とかさ、そういうところは信用できるよ」


 もう首を振らなくても、店長には伝わったらしい。


「……もうここにはいられない。俺は近いうちこの町を出ます。今月分の給料はいらないです、俺をクビにしてください。俺が関わったと知られたら、店長も無事じゃいられないかもしれない」

「それは……うーん……というかそもそも君アレでしょ、正規ルートで雇ってないからね、面倒な手続きはいらないけど。うーん、どうしようかな」


 何を迷うことがあるのかと、詰めよりかけた時だった。

 店長は尻ポケットに突っ込んでいた財布を取り出した。


「君、暗算苦手でしょ。僕が代わりに計算するね。給料は先月分で締め、今月はを──そうね、十日分取ったことにしよう。あとは契約満期に係るお金……いわゆる退職金ね。あと僕が店長権限でちょっと色を付けて──」

「ちょっと、ちょっと待って、何言ってんスかあんた。俺受け取りませんよそんな」


 必死で店長を止めるが、くるくると器用に交わされた。

 ちくしょう、体格は俺の方がいいはずなのに。


「ダメだよ。払わなかったら本社から怒られるのは僕なんだからね。というわけでハイこれ。逃亡資金にしなさい、僅かだけど」


 ズルっと財布から札束が出て来て、思わず後ずさりした。

 何でそんなに入ってるんだ、普段から財布に束入れて持ち歩くとか頭おかしいのか?


「……桁二つぐらい間違えてねえですか」

「そう思うのは君がだからさ。それに言ったでしょ、色を付けるって」

「付けすぎです。無理です、あんたを倒産させたくない」

「これしきで倒産するほど、僕は貧乏じゃないよ。実は僕、お金持ちなんだ」


 暗がりでも不器用なウインクが見えた。容赦なく俺のポケットに金を押し込んで、店長は肩を押した。


「ささ、もう行きなさい。治安局が到着したら説明が面倒だ。こっちは適当にあしらっとくからさ。達者でいるんだよ」



 ──いつか、もしいつかすべてが解決したら、この人に返しに来よう。



 喉が詰まってうまく声を出せそうになかった。

 代わりに万感の思いを込めて頭を下げた。この人に恩返しをするまで、俺は死んじゃいけないと、そう強く思った。






  □□□






 制服を脱ぎ捨て、ロッカーに置いてあったカバンを背負い、数十秒後には俺はもうマウンテンバイクを漕いでいた。

 アパートの場所が割れていないのはラッキーだ、一度アパートに必要なものを取りに戻ろうと、深夜の通りを走り抜ける。


 と、カバンから振動を感じた。

 一旦自転車を漕ぐ脚を止めて通信機を取り出す。


 ちょうど着信に出られず、すぐに不在着信を知らせる画面に切り替わった。



 着信、五〇件超。

 発信者はイコの番号。



 ──胃袋が捩じ切れるような痛みを訴えた。

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