鍋、火事、銃弾、焼肉③

  □ □ □






 思考が真っ白一色に染まった。顔面が燃えるような痛みを訴えている。頬を押さえる手にぬめりを感じる、見れば汗に混じって血が付いている。


 撃たれた。

 どこから?


 軽く眩暈を覚えてしゃがみ込んだ。

 少し落ち着いたが、空気が薄いのか頭が上手く回らない。


(……落ち着け。落ち着いて考えろ)


 そもそも俺は銃に詳しくない。だから今手の中にある銃弾が一体どんな銃のものなのか見当もつかない。

 すぐそこから撃たれたのか、それとも遥か遠くから狙撃されたのか。

 誰が撃ったのか。何故撃ったのか。


 ──撃たれたことについてこれ以上考えても答えは出ない。無事に逃げることだけ考えよう。


 身は伏せたままにして、再び廊下を炎で満たした。煙幕ならぬ炎幕、なんて寒い洒落を言っている場合でもないが、目くらましくらいにはなってくれるだろう。

 ただあまりもたもたしても居られない。俺が来た時既に一階部分にも火が回っていたということは、建材を伝って延焼が広がっているということでもある。いつ倒壊してもおかしくない……どこかの柱でも焼き切れてしまえば、俺はビルと一緒にお陀仏だ。


 冷や汗がじっとりとこめかみを伝う。火事場なのに寒くてたまらない。

 ひしゃげた弾を握りしめ、嫌な考えを振り払って前を向いた。今はまず脱出しなければ。






  □ □ □






 何とか裏口から出られた俺は、少し離れた路地裏に入って息を整えた。


 ようやく消防や救急車が来たらしく、現場が落ち着きを取り戻しつつあるのが、離れた位置にいる俺でもわかった。爆発の規模は大したことがなかったようだが、ここへ向かうまでの道は爆風で飛び散ったらしいガラス片で一杯だった。


 壁を背にして座り込む。煉瓦がヒヤリとして気持ちがいい。

 着ていたパーカーは脱いだ。あれだけ濡らしたのに炎のせいですっかり乾いて煤と埃にまみれ、ところどころ焼け焦げていた。炎を操れても俺自身が燃えたり焼けたりしないわけではない。やけどもするし火は熱い。


 膝の間に頭を埋めた。気分が悪いのは、きっと煙のせいだけではない。

 手の中の銃弾を握りしめて、震える息を吐いた。


(あの銃撃はやっぱりテロなんだろうか)


 その考えはすぐに打ち消される。テロならばもっと無差別に、そして広範囲に攻撃したはずだ。撃たれる直前まで周囲に人がいたし、死人も見当たらなかった。


 わざわざ撃ってきたのだ、この銃弾の主は。


 そうなると恐ろしい可能性が浮かび上がってくる。

 爆発が起きて、俺が近くにいて、助けに入ったから狙った、なんてことがあり得るだろうか?


 ……何となく気づいてはいた。認めたくなかった。

 だからこうして少ない脳みそを捻って撃たれた理由を考えたというのに、より固い裏づけができてしまった──「狙いは最初から俺だった」という推測に。


 罠だった。俺を嵌めるためだけの、それも町の人ごと巻き込む大掛かりな。

 俺が助けに入ると分かっていて爆発を起こして、一人になった瞬間を狙う算段だったのだ。きっとあまり殺傷能力の高くない弾丸を使っていると思う。殺すためではなく、捕えるために。


「こんな罠があってたまるかよ……」


 本当に気分が悪い。イコの言う通り黙って見ておけばよかった。俺なんかよりずっとあいつの方が賢いのは、分かっていたはずなのに。

 ……そうだ、イコ、あいつとももう潮時かもしれない。こんな事件もあったし、俺と親しいのがバレたら何をされるか分からない。

 このまま町を出て、関係を絶ってしま──


「──いた! このバカ! 探したぞ!」

「いッ……!」


 声と共に頭に衝撃が走った。

 涙目で見上げるとイコが二リットルのペットボトルを手に立っていた。


「なんでそんなので殴るんだよ、首おかしくするところだったぞ!」

「ふん。さっさと乗らないからだ。まあ無事でよかったけど。いつまで経っても来ないから探しに来ちゃったよ」


 イコは路地の入り口を親指で指した。車が停めてあった。


「早くずらかるよ、今ならまだ現場封鎖される前に抜けられる」


 お前は女盗賊か、と思わず苦笑いが漏れた。先を歩くイコに引かれるようにして俺も立ち上がった。

 足が重かった。結局イコについていく俺が後ろめたくて。






  □ □ □






 ビルが遠ざかる。車は俺の家とは反対側、町の東部へ向かっていく。そちらは高台なので坂が多く、特に石畳の道なんかは車がガッタンガッタン揺れる。

 俺はあまりこちらへは来たことがない。この辺りは地価が少し高めで、店もそれなりのランクなので中卒フリーターには手が届かない。


 イコは「焼肉食べに行こう」と言った。

 わたしの奢りでいいからさ、と。


 最近イコに奢られすぎている気がするが、正直美味いものを食ってスタミナをつけたかった。疲労もたまっているし、今日の一件で精神的な疲労も襲ってきて、かなりキツい。


 日頃のお礼に、今度イコの好物でも作ってやろうか。いや、そんな時間はもう残っていないのかもしれない。本当なら今すぐにでも町を出なくてはならないのだ。

 などと思っていても食欲と疲労に勝てず、流されてしまった俺である。何なら車で移動する間にさっき買ったばかりの古着に着替えたくらいだ。

 まさかこんなに早く入用になるとは思わなかった。火事場で付いた煤や焦げは洗っても取れなさそうなので、潔く処分することにした。






「さてさて。肉も来たことだし、本題に入ろうか」


 イコが肉用の火ばさみをカチカチ鳴らしながら切り出した。

 何だろう、ちゃんと笑顔なのに肌がひりつく。


 俺たちは食べ放題コースのある焼き肉屋に来ていた。

 BGMと人の話し声と肉が焼ける音、それから店員のやたら威勢のいい声が飛び交って、耳から入る情報量が多い。


 イコが真剣な目のまま笑うのが怖くて、誤魔化そうとカルビを焼き網に並べ始めた。ジュウジュウと食欲のかき立てられる音を立てながら、脂がてらてらと光っている。網の奥の方では炎が蠢いているのを見て、さっきまでこいつを相手にしていたんだよなあとぼんやり思っていたが、いい加減イコの視線が痛いほど刺さってきて諦めた。


「……本題って、そもそも肉食いに来たんだろ」

「何のためにうるさい焼き肉屋を選んだと思ってるのさ。いつでも混んでて、大事な話をしても人に聞かれないから来たんだよ。むしろ肉はついでだ」

「ついで……ねえ」


 焼き上がったカルビを箸でつまみ上げる。これがついでだなんて。

 イコもイコで肉を二、三枚口に運んでいる。頬っぺたに幸せが滲んでいる。本当についでとは思えない。しかも食べ放題コースにして、俺で元をとるつもりでいる。ありがたいんだけど、何だかなあ。


 俺も口に肉を詰め込んだ。生きた心地が全身に染み渡る。タレの感じがちょうどいいし肉も柔らかい。

 肉の味を堪能していると、先に肉を飲み込んだイコが言った。


「話戻すよ。ていうか始まってすらないけど。あのビルで何があったのか聞きたくてさ。なかなか出てこないし、やっと見つけたと思ったらうずくまってるし」

「別に。ちょっと煙にやられて」

「嘘だね」


 俺が今まさに取ろうとした肉がサッと掠め取られた。何てことだ、物凄くうまそうにイコは口をほころばせている。


「嘘じゃねえよ。取るなよ俺の肉」

「早いもん勝ちですぅ、残念でしたー。ナダの嘘つくときの癖があるんだよ。それに頬っぺたのその傷、火事でできるようなものじゃないと思うけどなあ」


 うっ、と言葉に詰まった。今でこそ絆創膏を貼って隠しているが、右頬はやけどというより擦過傷に近い。女は少しの変化でも気がつくというけど、本当なんだなあ。

 ……じゃなくて。感心してる場合じゃないだろ、俺。


 イコが豚ロースを焼き始めて、何かを思い出すように顔を傾けた。


「外にいた時、途中気になる音がしたんだけど……あれ結局何の音だったの?」

「え、お前聞こえたの? 俺中にいたから聞こえなくて──あっ」


 しまった、と思ったがもう遅い。イコがしたり顔でニヤニヤしていた。くそ、また負けた。


「言っちゃったねえ」

「言っちゃったなあ」

「観念しろ、コイツがどうなってもいいのか」

「ああっバカヤロ、それちょっといい肉だろ! コーラかけようとすんじゃねえ! わかったわかった、話すって話すから。な? だからその右手のコップを今すぐ元に戻せ!」

「人に頼みごとをする時はどうするんだったかなあ?」


 イコはふんぞり返ってコップを傾ける手を止めた。得意げな顔がちょっとむかつく。が、完全に俺が劣勢だ。

 いいぜ見てろ、俺はプライドを捨てた男。カンペキな頼みっぷりを披露してやろうじゃないか。


「隠し事をしてゴメンナサイ。何でも話します。なにとぞ、寛大な御心でお許し賜りたく……」


 飲み物のなみなみと入ったコップがテーブルに置かれるのを見て、ホッと脱力した。

 イコは何というか、こういうところがある。良く言えば自立しているとでも言うべきなんだろうが、悪く言えばただの意地悪だ。


「……撃たれたんだよ。銃で。たぶんあの爆発自体、俺を嵌めるための罠だ」


 肉はとろける美味さだった。

 ちょっとコーラの味がするぞ、この野郎。


「たぶん、取り残されてた人たちは無関係だ。わざと上の階に爆発物を仕掛けて、俺が上階で一人になるのを見計らって無力化して、怪我人に紛れさせて攫うとか。そんな感じの作戦だったんだろ」

「……まじか。それはちょっと……予想外の答え……」


 イコは青ざめつつ焼きとうもろこしにかじりつく。


「まあそういうわけだから、今夜のうちにこの町を出ていくよ。バイト先に謝る電話入れないとなあ」

「え、出ていくの?」


 驚くイコに肩を竦めて見せ、焼き網にタレ味の鶏もも肉を並べて言う。


「そりゃあな。ここまで大掛かりな罠を仕掛けるってことは、俺の居場所はもう割れてるんだ。早いところどこかに姿をくらまさないと」

「……いやー、やめといた方がいいんじゃないかなあ」


 芯だけになったとうもろこしを置いて、イコは腕を組んで口を結んだ。


「ここまでやれるってことは財力のある相手でしょ。ならプロを雇ってんじゃないの? プロならもちろん失敗した時の作戦だって綿密に練ってるよ。町の出口とか外側とかで待ち構えてるかも」


 しかし、俺がこのまま出ていかなければまた同じことが起こるかもしれない……俺が黙ったままでいると、イコが苛立つように頬杖をついて睨んできた。


「ナダはどっちが大事なのさ? 自分の身と、町の人と」


 イコの言葉に、視線をテーブルの上に彷徨わせる。

「自分か大勢か」と言われれば、それはもちろん大勢の命だ。ただ俺の場合、俺一人が敵の手に渡ることで、大勢では済まない人々が危険に晒されるかもしれないのだ。


 ここに留まり、町の人を犠牲にするのか。

 捕まる危険を冒して、ここを出て行くか。


 いや、数の話なんだろうか。

 結局俺は、自分を大事に考えたいだけなんじゃないか?


「……ダメだ、どうしたらいいのか、もう分かんねえよ」


 焼き鳥を皿にあけて牛ステーキを網に乗せた。切れ目に散らばるニンニクが火に炙られていい匂いを漂わせ、治まりかけた食欲をそそる。


「とりあえず今週はバイトも残ってるし、ひとまず様子を見るよ。その間に妙な動きがあればすぐに出ていく。隠れるのは得意だ、上手くやれるさ」

「ふーん……ま、わたしもいろいろ探ってみるよ。それなりに伝手はあるんでね」


 ステーキは半分こして食べた。ニンニクと胡椒が効いていて美味かった。











 ──この時に縁を切れなかったことを、俺は後で後悔することになる。






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