鍋、火事、銃弾、焼肉②

 調整の結果、今週の仕事は残るところ木曜日と金曜日のみになった。どちらもコンビニの夜間シフトだ。それが終われば数日の間は「調整期間」という名目の元、店長が休みにしてくれた。

 曰く、


「他のアルバイトの人に回して給金のバランスを取る必要がある」


 という。

 そんな必要があるなんて聞いていない。以前から俺を心配してくれる人だったから、気を使ってくれたのだろう。

 とにかくだ、つまり俺は木曜の深夜まで完オフとなったわけだ。






「はー食った食った。遊びに行こうぜナダ」

「そんな暇ないよ。買い出し行かないとだし、ある程度作り置きとか準備とか……」


 誰かさんのおかげで野菜たっぷりになったキムチ鍋は美味かった。俺は大満足だが、途中からイコは口から火を吐きそうな顔をしていた。

 それでも満足そうにしているのだから、よくわからない。


「買い物行くなら車出すよ。どうせチャリじゃ運びきれないだろ」

「……いつも悪いな」

「好きでやってることだし。ホレ、乗った乗った」


 ちょっと申し訳ない気分になるが、乗った途端にその気分は消え失せた。

 何しろイコのドライブテクはひどい。信号の多い公道でどうやったらそんなに荒く運転できるものやら。発進と同時に体が後ろに引っ張られ、シートに押さえつけられた。


 文句は言えない。

 そんな立場じゃないのはよくわかっている。

 でも。


「お前さあ……同乗者への配慮ってモンをなあ、もう少しなあ……」

「へいへい。次から気ィつけますよ」


 絶対気をつけないな、これ。

 ともかくスーパーに着いた。今度こそ俺の財布で買い物をする。一週間分の食糧なのでそこそこ金が飛ぶけれど、まあ仕方がない。死ぬよりマシだ。


 それからリユースショップにも寄った。なかなかいい生地のTシャツとジーンズを格安で手に入れられた。

 イコはなぜかカツラを買っていた。叔母さんへのお土産だという。あまり叔母さんの話を聞かないが、仲はいいようだし、たぶんいい人なんだろうと思う。






  □□□






 店を出る頃には一九時を指すまであと数分というところだった。夏至が近いからかまだ日が暮れきっていないが、それでも街灯はぽつりぽつりと灯り始めている。

 買い物は時間がかかるなあ、と車のドアに手を掛けた時だった。


 ──遠くの方から突然、爆発音が轟いた。


「い……今のは……!?」

「爆発!? でもどこで……」


 慌てて周りを見回した。周囲の人々も耳を押さえながら、爆発の元を目で探す。そのうちに何人かがとある方向を指さし始めた。見ればそちらに、黒煙がもうもうと上がっている。


「もしかしてテロ?」

「テロ騒ぎは東部のはずだろ?」

「こっちでも起こらないとは限らないよナダ。行ってみよう。どのみちナダんちが無事かどうか確かめないと」


 言われて気がつくなんてどうかしている。煙の上がった方向は、俺のボロアパートのある方向と同じだった。

 急いで車に乗り込むと、シートベルトを着ける前にイコが車を急発進させた。











 現場は俺の家よりも一キロ半ほど手前の、割と新しそうな小さなビルだった。

 俺のアパートでもバイト先でもなかったのはホッとしたが、同じく野次馬参戦したおっさんの話を聞くと状況は悪いらしい。爆風で吹き飛んだ瓦礫やガラスで怪我を負った者は数え切れず、更に爆心地のビル内にはまだ何人かが取り残されているという。


「嘘だろ、ヤバいだろ。結構燃えてるぞ。誰も消防呼んでないのか?」

「んなモンとっくに呼んださ!」


 おっさんは口角泡と汗を撒き散らしながら叫ぶ。


「パニクった奴らで道がごった返してんだ。これじゃ消防車も入れやしねえ」

「じゃあ余計に野次馬やってる場合か。バケツか何かで水かけりゃいいだろ!」


 それもそうだ、とおっさんは我に返ったようで、周りにいた力持ちそうな男を見繕って支度に走った。おっさんもだいぶパニクっていたようだ。


(でも、バケツなんかで消せる炎じゃない……)


 グッと拳を握りしめた時。


「ナーダー、何考えてんだー」


 ギクリとイコを振り返って俺の口元が引きつった。

 ジットリとたしなめるような目が俺を見上げている。


「……あー、わかる?」

「あったり前だ。ナダの考えそうなことだよ。でもダメだ、やめた方がいい」

「だけど」

「大勢に見られる。そうなったらアシ・・がつく。ナダの方がその辺よくわかるだろ、どうなるかぐらい」


 唇を噛んで、燃える建物を眺める。早速バケツリレーが始まっているが、火が弱まる気配は微塵もない。消防が到着する様子もない。


 人が死ぬ。


 ──でも俺が動けば、あの中に飛び込みさえすれば、数人は死なずに済むかもしれない。


「いや行く。行くよ、イコ」

「……バカ野郎」

「知ってる。大バカだよな。でもせめてさ、こういうことに使わないと。だろ? そうでなきゃいくら俺が逃げ回ったって意味ないよ」

「バカの上にお人好しか。呆れるよまったく。でもまあ」


 背中をバンと叩かれた。

 イコの顔に、今日一番の笑顔が乗っている。


「嫌いじゃない。乗ったぜ相棒」






 その場で素早く作戦を立てた。

 まずは着ているパーカーを水でびっしょり濡らす。水が大量に滴っているが俺に注目する人はいない。誰もが燃え盛るビルと逃げおおせた人の介抱に夢中だ。

 イコは現場から離れたところに車を回して待機することになった。万一俺が何かするところを見られるか追われるかしても、イコのカーチェイスで負けないだろう。そこにはいろんな意味で信頼を置いている。

 大雑把すぎる作戦だが急拵えの作戦なので仕方がない。あとは俺が火の中に飛び込むだけだ。


 息を深く吸って、吐き切る。

 目を閉じて、自分の存在が希薄になるのをイメージする。

 周囲の音が遠のく。耳で心臓の鼓動が聞こえる。


 そのまま足を踏み出す。人混みの間を縫うようにして、するすると進んで行く。

 炎の前まで来た。人々の悲鳴が聞こえた。構わず揺らいだ炎の間をすり抜けるようにして飛び込んだ。






  □□□






「……ふぅ、入れた」


 背後では炎が扉を塞いでいる。

 火元はここよりも上の階なのか、一階のロビーやエレベーターホールは大して火が回っているわけではなかった。爆発で逃げ道が塞がってでもいない限り、一階にいた人は自力で逃げられそうだ。実際気を張り巡らせてもそれらしき気配はない。


 とすると、逃げ遅れた人がいるというのは上の階や部屋の中だろう。トイレかもしれない。水の集まるところに火は広がりにくいからそこへ逃げ込んでいるかもしれない。


 階段を使って二階へ上がる。二階は火こそ広がっているものの、爆発源というような雰囲気はない。ここも何とか自力で逃げられそうではあるが、一応呼び掛けることにした。


「おおーい、誰かいるかー! いたら音立ててくれー!」


 しばし耳をそばだてる。ここにはいない。気配もしない。

 三階へ二段飛ばしで駆け上がった。


(ビルは四階建て、二階のあの火の感じじゃ爆発があったのは三階か?)


 だとすると急がなければ。

 特に四階は心配だ。火が広がっていなかったとしても、一酸化炭素と熱風で人は死ねる。





 ありがたくない予想通り、三階は酷い有様だった。瓦礫やガラス片が辺りに散らばり、廊下一面が既に火の海と化している。


「おおーい! 無事な奴、いないか!?」


 微かに声がする。手前から二番目の部屋の残骸へ向かう。

 が、目の前を炎が遮った。


「ああもう、邪魔すんなよ」


 軽く舌打ちをして燃え盛る炎に向かって手を伸ばした。メラリ、と熱が俺の指を炙るが、構わず軽く力を籠める。俺の意識に合わせて炎が揺らめき始める。

 グッ、と拳を握った。

 刹那──炎は最期にひとつ揺らぎを残して消えた。目の前が開け、鎮火した場違いな空間がぽっかりと口を開けている。


(便利だよなあ)


 我ながら感心する。普通あのような炎を消すには、バケツ何杯分もの水と、それらを運んだり火元にぶっかけたり、更にその間熱に耐える労力を要する。

 それをほんの少しの“手間”とすら呼べない動作のみで、俺は消してしまえる。


 消すだけではない。意のままに炎を現し、自在に操ることができる。何なら水も空気も植物も、試したことはないが大地をも動かせると聞いている。もちろんできないこともあるにはあるが、あらゆる物理法則を軽々無視したこの力は、人智を超えて余りある。



 これが俺の能力。自然現象を意のままに操る能力。

 俺が追われ、身を隠さなければならない理由だ。



 火消しついでに廊下も綺麗に・・・掃除することにした。

 両の手を前に突き出し、意識を向ける。

 炎が渦を巻いて手元に集まってくる。それを次々消していく。


(水を出すのもいいけど、痕跡が残ると後々面倒だからな)


 ある程度火が消えてしまったところで、声がしたところへ急いだ。

 横倒しになったラックの下敷きになっている男を見つけた。ラックを何とか男からよけ、立ち上がるのに手を貸す。


「ああ、くそっ……」

「もしかして足やられたか?」

「いや、大丈夫だ。歩けるよ……にしても急に火が消えやがった、あんた何やったんだ?」


 というかそもそも消防士じゃないよな、何だコイツ、とでも言いたげに俺を見てきた。目線を適当にあしらって男を階段へ案内することにした。


「運がよかったのさ。歩けるなら階段使って下まで行け、下は火が少ないから簡単に出られる。外で火消しボランティアやってる人たちもいる、大丈夫だ」

「いや、あんたはどうすんだい?」

「いいから行けって。他に残されてる人、いるだろ」


 無理やり男を階段に押し込んで、三階を急いで見て回った。このフロアは男一人だけだったようだ。

 四階か。かなり危ない。助からない人も出るかもしれない、腹を括らないと。

 俺は煙で霞む階段の上をキッと見上げて足を掛けた。






  □□□






 四階には煙を避けて床に這いつくばっている人が何人かいた。彼らには特に目立った怪我もなさそうで、煙にもまだやられていないようだった。ただもう少し遅ければ助からなかったかもしれない。

 よく知った建物でも煙で道が分からず避難できないうちに亡くなる人も多いという。本当に運がよかった。


(もういなさそうだな)


 俺も急いで外に出なければ。人目につかないように、裏口から──


「い……ッ痛!?」


 右頬を何かが掠めた。

 遅れて後ろから何かがぶつかったような音がした。壁を振り返った俺の目に映ったのは、細く煙を上げる穿たれたような穴と、床に転がり落ちて微かに揺れるひしゃげた金属だった。


 落ちたそれを拾い上げる。

 世間知らずの俺でも、それが何か一瞬で分かった。


 一発の銃弾だった。

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